第2話【food fight-タビマエノショウガイ-】(9)

(これは一体……?)



 胃豆いとうはそう自問自答するも――展開される現実に思考が追い付いていなかった。



 事は単純明快。




 捕獲対象の少女――綺羅星ねねがをしてきた。




 ただそれだけ、それだけでしかない、たった一文で表せる簡単な内容だのに、胃豆いとうは反応出来ず、彼女の為すがままにされている。



 ねねが倒れ込むと同時に触れた唇は、柔らかでそして甘い匂いがした。



 想定外の出来事が故に、彼は彼女の勢いそのままに押し倒される形となる。



 初めは自らが転移させた疾患に耐え切れず、意識を失ったのかと思ったが、違う。



 彼女の明白な意思をそのまま実行しているに他ならない。



 結果からすれば、もはや胃豆いとうは完全に虚を突かれてしまったと言えよう。



 そして状況はさらに加速する。



 あてがわれた唇の奥より――彼女の真っ赤な舌が胃豆いとうの口内部へと侵入してきた。



(!?!?!?)



 理解不能だったし、意味不明だった。



 一回りも年下の少女におおかぶさられているこの状況は、一体どういうことなのだろうか。




「む……くちゅくちゅ……ふっ……」




 甘酸っぱい吐息が、べったりと密着した胃豆いとうの顔へとかかる。



色仕掛けハニートラップ? だとしてもこれは、普通ならば、ここまで積極的になれるものなのか……?)



 軽い痺れにも似た眩暈めまいを感じながら、胃豆いとうは未だ動けない。



 彼はけっして機能不全E・Dでは無かったが、今は亡き膜間まくまとは違い、情欲よりも理性が勝る人格の持ち主である。




 動けずとも、冷静であった。




 なぶられながらも、この状況の意味と意図とをはかるべく、思考停止には陥ってはおらず――そして彼は彼女の知謀の核心へ辿り着いたと確信した。



(そうか……そういうことか)




 覆いかぶさり事に集中していたねねの両肩を掴み、なるべく乱暴にならぬ様、力を込めず、胃豆いとうはねねを自らから突き放した。




「わわっ」



 一驚いっきょうしたのか軽く声をあげたねねと、その彼女を簡単に引き剥がすことに成功した胃豆いとう



「まさかこんな方法があったとは、ね。あまり力を込めたつもりはありませんが、怪我はございませんか?」



 起き上がらず、あお向けの体勢まま胃豆いとうは尋ねる。



「紳士的じゃん。どういう風の吹き回しかな」



「魔術はおろか、させる。それが貴方の狙いだったのでしょう」



 文字通り口封じという訳だ、と胃豆いとうは軽く笑った。



「してやられましたよ。元来私は奥手なもので、お陰で対処にかなりの時間がかかってしまいました――ですが、もうその手は通じません。そろそろ止めを刺して……」



 身体を起こし、同期の魔術バイタルリンクを行使する為に食事を再開しようとした胃豆いとうだったが、彼はようやく己に起こっている変化に気が付いた。



(なんだこれは……。いつもの片頭痛とは違って、脳が揺れている感覚と眩暈、それに――)




「今で、3分34秒。ようやくみたいね」




 べっと唾を吐き捨て、ねねは言う。




(それに、何故だか……今の私は全く食欲を感じていない……!)




 食べる事を愛し、愛するが故にボディマス指数B M I 値は55を超える程の肥満体形となり、それ故に様々な疾患を負いながらもけっして減量や治療を行わなかった胃豆いとう



 彼は食事が出来るならば何も必要としなかったし、世界で最も食という行為に貪欲なのは己であると自負して止まなかった。



 なのに、なのになのに、そんな自分が今この現在において、食欲が完膚無きに迄失せているという事実から推測されることは、即ち。




(やられた……。さっきの口づけは食事を中断させるなんてことではなく、私に……ッ!!)




「マンガやアニメだとさぁ、くじらとかくまとかならぐにぶっ倒れるぐらいの致死性の毒なのに~なんて言うけど、安心して。命に別状は無い様、配分には気を付けたつもりだし」




 決闘当日の今日、ねねは起床と共に自宅の近くにある薬局に足を運んである数種の薬剤を処方してもらっていた。



 主となるメインはマジンドール錠。高度肥満症患者に対し有益な効能を持つ、食欲抑制剤の一種である。



 明白な確信があった訳ではないにせよ、相手の食事という行為を封じる必要があると感じた為、ねねは投与量を無視しその他効果を倍増、ないしは即効性を引き出す為に他薬剤とをすり鉢にて混ぜ合わせ経口摂取用カプセルに閉じ込め、先程の接吻時に胃豆いとうへ其れを口移しにて呑ませたのであった。




「ふざけるな……こんな、こんなぐらいで私が負けるなどと……ッ!」




乙女の初回ファーストキッスはそれだけの価値があるってことだよ」




 過度の摂取に因る副作用、高血圧クリーゼによって、今や胃豆いとうの首から上はガクガクと痙攣し、非常に危険な状態へと移行しつつあった。



 震える身体を克己の精神にて起こし、彼は指を自らの口元へ突っ込み嘔吐を図る。



「ゲェー! ゲェー! ぐっ……ゲェー!!!」



 ……も、えづくだけでうまくいかない。



「あはは無駄無駄。吐かれちゃわないように催吐さいおう抑制薬よくせいやくも配合してるし、それに」



 いつの間にか左手に握られていた、透明なボールペンの様なものをひらひらとかざしながら、ねねはこう続けた。




「経口とは別に、血管に直注入しちゃってるし。見て見てねぇこれ、インスリン注射器。ちゅっちゅするのに夢中で、刺さった痛みは感じなかったでしょ?」




「う……ぐぅ……ウウウウウウゥッウウウウゥウウ!!!」




 獣の様に唸る胃豆いとうを尻目に追い打ちをかけるねねであったが、無論これはハッタリブラフである。



 医の道に精通しない一介の道化師風情には、ただでさえ皮下脂肪の厚い彼の血管へと的確に薬を流し込む技術スキルは皆無。



 とはいえ、この一言がこの度の決闘の決着となり得る決定打になったのは確かであって。




 ぐりんと白目を剥き、ぶくぶくと泡を吐きながら、ついに胃豆いとうは意識を失いその場に倒れ込んだ。




「ふぅ……つ、疲れた……」



 胃豆いとうが動かなくなったことを確認すると同時に、ねねは膝から崩れる様にその場へと座り込んだ。



「ねねちゃんおつかー、って。おぉっあれはっ! やっつけちゃったんだね!? すごいすごいすごい!!」



 後方より、永渦えいかの声がする。



「お疲れ様水汽みずき永渦えいかさん。いや本当疲れたよ……超しんどいよ……」



「ねぇねぇどうやってやったの? おしえておしえておーしーえーてー!!」



「ちょっウザいってば! 疲弊してるのにそのノリで身体揺するのやめてっ。吐く、吐くからマジで!!」



 戯れてくる永渦えいかの口元には、当然の権利の様に真っ白な歯が生えそろっていた。





 ともあれ、二人の少女は申し込まれた決闘に対し、辛くも勝利を収める。




 1対2にもかかわらず、予想外の大苦戦を強いられたそのすぐ後に――敵側もタッグを組んで強襲してくる未来など予想出来る筈も無く。



[Plus Hammer] was defeated!!


Next ▶▶▶ 【limited express panic】

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