第2話【food fight-タビマエノショウガイ-】(8)

 胃豆いとうの攻撃により、様々な疾患しっかんさいなまれているねねとは対照的に、水汽みずき永渦えいかはいたって健康体であった。



 突然うずくまり吐血をし、その場から動かなくなってしまったねねを眺めながら「何か変な物でも拾い食いしたのかなぁ」などと、的外れもはなはだしいことを考えていた。



 しかしながら、己が振るう刃物ナイフの斬撃が一切通らず、かつ同伴者パートナーであるねねが戦闘不能に等しい状況に陥っていることに対しては、楽天家マイペースな彼女と言えどもそれなりに不味いのではないかと感じ始めていた。



 断っておくが永渦えいかには、胃豆いとうの魔術の概要――攻守に関する仕組みからくりについての一切が分かっていない。



 しかし分かっていないからこそ、一旦とはいえ攻撃の手を止め静観していた彼女の次にとった行動は、圧倒的不利ともいえる戦況を覆し得る乾坤一擲けんこんいってきの其れであった。



「ていっ」



 気の抜けた掛け声と共に、永渦えいか胃豆いとうの傍にあったビニール袋の一つを、右脚で蹴り上げる。



「これはクリリンの分! そしてこれはクリリンの分!! そしてそしてこれはクリリンとその子供たちの分だぁああああ!!!」



 袋口から飛び出し、地べたにぽとぽとと落下したおにぎりの数々を、踏み抜く様にして一つ一つ台無しにしていく彼女。



「………………」



 突如として展開される暴挙に、石化したかのように硬直する胃豆いとう



 原理が分かっていないながら、彼女がとった行動は胃豆いとうの魔術の発動条件トリガーたる“食事を行う”ことを停止するに至ったのであった。



 同時に、身体をむしばまれていたねねの疾患しっかんも一時的に進行が遅まるという副次的な現象すら生まれていた。



(め、めちゃくちゃするなあの子は……)



 未だ様々な悪化を身体の要所要所に抱えている所為せいで全快からは程遠く、肩で息をしながらねねは顔をあげる。



 永渦えいか援護アシストに呆れつつも、窮地を脱せられそうな取っ掛かりを作ってくれた彼女に、多大なる恩を感じかけていた。



 しかし――。



「ほたえなやこのガキャ……くるさりんど~!」



 胡坐あぐらから立ち上がり、腕を大きく引いた胃豆いとうの掌底が、永渦えいかの顔面、鼻から下の部分へと叩き込まれる。



「ギャッ」



 ペキペキパキパキッ! ゴンッ!!



 短い悲鳴を上げ、一つや二つで済まない程度に折れた歯々を撒き散らし、後頭部から地面に落ちた永渦えいかは、ビクンと身体を痙攣けいれんさせた後、そのまま動かなくなった。



「……はっ! しまった。私としたことが思わず我を忘れて手を出してしまった……」



 皮膚に刺さった永渦えいかの前歯を払いながら、胃豆いとうはしまったしまったと連呼する。



「とてもダサいですね。事前に殺さないと言っておきながらこの体たらく。格好悪い事極まりない……いやしかし可能性は低いが当たり所次第ではワンチャン死んでいないかも……」



 己にとって唯一無二ゆいいつむにの“食事”という行為を妨害した永渦えいかを見下しながら、独り言を続ける胃豆いとう



 不慮の事故で相手を死なせてしまったかもしれないという事に対して悩む彼とは違い、ねねには永渦えいかの生死に関しては心配する必要は皆無である。



 水汽みずき永渦えいかはこの程度では殺せない――が、この状況はかなり危うかった。



(遠目だからしっかり確認出来ないけど、今あの子がとすれば、少しばかりよろしくないね……)




 銃で狙撃されようとも、頭部を吹っ飛ばされようとも死なない彼女えいかの、盲点ともいえる弱点の一つ。




 即ち、、ということ。




 昨晩の膜間まくまとの対決時の様に数秒で復帰することは叶わない、どころかこれまでのねねの経験上恐らくは最短でも十分――永渦えいかが復帰する為にはそれだけの時間がかかるだろう。



(いや違う。この際、水汽みずき永渦えいかさんが行動不能なままでも構わない。大事なのは、理解わかったのは、奴の食事をこれ以上継続させてはいけないという、のみ……!)



 ねねは、身体を引きる様にゆっくりと胃豆いとうへと近付いていく。



 直線にして2~30メートル、普段であればなんてことは無いちょっとした距離が、今のねねには酷く長く感じられていた。




 程なくして、ああだこうだと独白を続けていた胃豆いとうの目の前に、満身創痍まんしんそういのねねは立っていた。



 身体を前に寄せ、手を伸ばせば触れられるぐらいの、至近距離。



「もしかしてお友達の件怒ってたりします?」



 激昂げきこうしていた時の方言は消え、標準語にて質問をしてくる胃豆いとう



「別に……おじさんは知らないかもだけど、あの子……この程度であれば大丈夫、だし……」



 目下悪化の最中にあり、脂汗でびしょびしょになった額を拭い、行きも絶え絶えにねねはそう返す。



「左様ですか。謝っておきますが、わざとじゃあないんですよ。ほら、人って絶対に譲れない大切なモノをそれぞれ抱えているじゃないですか。私の場合は食事がそうでして、我を失ってしまうんですよね」



「知ってる……見てた……」



「なら話は早い。貴方も同じことを繰り返そうとするのではなかろうかと、少しばかり懸念していたものでしてね。私は膜間まくま蚊脛かけいとは違って、加虐趣味や暴力嗜好を持ち合わせておりません。さっきのお友達はやってはいけないことをしてしまった、故に変則的イレギュラーな結果となってしまっただけです」



「ふぅ……ふぅ……大丈夫、あたしはおにぎりを潰したり、しない……」



「ではどうします? わざわざ近付いてきて、ようやっと降参してくれますか?」



 ぱくぱくとおにぎりを食べながら、余裕の表情を見せている胃豆いとうだったが、相対するねねには彼が全く油断をしていない事が感じられていた。



 ねねの全力の魔術を受けかすり傷ひとつで済ます鉄壁さに加え、対象をこれでもかというぐらいに弱体化し終わった状態であるというのに、胃豆いとうには僅かの隙すら見当たらない。



 昨日対峙した膜間まくまとは格が違う、恐ろしく強い魔術師だと再認識せざるを得なかった。



「白旗上げるのは……お断り、だね……」



 敗北必至、勝ちの目が見当たらない袋小路デッドエンドの立場にありながら。




 綺羅星きらぼしねねは未だ、諦めていなかった。




「それはそれは! とても前向きで良いですね。手負いの獣程恐ろしいものはありません。追い詰められた貴方の隠し玉、是非とも見てみたいものですなぁ!」



 高笑いと共に両手を広げたその瞬間を、ねねは見逃さなかった。



 彼女は脱力し、前のめりに倒れ込み――そして。





 胃豆いとうに抱き着き、柔らかな唇を重ねたのであった。

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