第2話【food fight-タビマエノショウガイ-】(7)

 時に、魔術を行使するにあたり必須な行動があるのをご存じだろうか。



 所謂いわゆる詠唱えいしょうである。



 体内から体外へ、己の魔力を魔術として昇華しょうかさせ、事象として顕現けんげんするには、必ず詠唱を行わなければならない。



 俳句における五・七・五や、詩における三行詩(起・承・転結)などとは異なり、詠唱の内容・文言に関しては特に決まり事がなく、術者の嗜好しこうに合わせてそれらしいことをつぶやくのが一般とされている。



 たとえば綺羅星きらぼしねねの場合は、童歌わらべうたが詠唱と同義であった。



「……タァンス、長持ながもち、どの子が欲しい~」



 腰から下げた大振りの駒――ディアボロに絡んだ糸をするするときながら、ねねは詠唱に集中する。



「どの子じゃわからんっ、あの子が欲しい~」



 誰しもが一度は耳にしたことはあるだろう“花いちもんめ”の関西バージョン。



「あの子じゃわからんっ、この子が欲しい~」



 唱え終わるまでには十数秒の時間が必要となるも、もたらす効果は折り紙付きな、ねねの十八番レパートリーの内の一つ。



「この子じゃわからんっ、相談しっましょ――――そうしましょ!!!」



 先程投擲とうてきしたゴムボールの比ではない、更に重さと速さを増した駒が地面と並行し衝撃波ソニックブームを轟かせ、胃豆へと向かっていった。



 狙いは頭部。



 相手が自分を殺す気が無いとはいえ、素手相手の胃豆いとう躊躇ちゅうちょせず刃物を向ける永渦えいか以上に、明確な殺意を持っての一撃。



 否、ねねは己の全力を以てしても、地べたに座り込み食事の最中である大柄の男にはかなわないのではないかという懸念けねんを抱いてしまったが故に、手加減をする余裕が失われていたともいえる。



 そして、脳裏のうりに浮かんだ嫌な予感は払拭ふっしょくされず――非情な現実としてねねの前に立ちふさがるのであった。




 ドンッ!!!



 乗用車同士の衝突しょうとつにも似た、鈍く大きな音が辺りに響く。



 ねねが出し得る全身全霊マックスの一撃、直詠唱にて発動させた魔術の成果、音速以上の速さを伴いつつも100キログラムに相当する重さを加味されたディアボロは、果たして胃豆いとうの額に命中した。



 ――が、しかし。



「……痛いじゃないですか。驚いて思わず握り飯しょくじを落としそうになってしまいましたよ」




 、彼は負っていなかった。




「っ!? ……う、噓でしょ――?」



 信じられない出来事に、狼狽ろうばいするねね。



「ところがどっこい、現実ですよ。いやはや見事なものです。魔術師同士の戦闘において、不意打ちアンブッシュ以外で血を流したのは十年ぶりくらいでしょうか。良い腕をしてらっしゃる、才能ありますよ貴方あなた



 ディアボロを額に受けのけぞったことで中断されていた食事を、是非ぜひもなく胃豆いとうは再開する。



「ハァ……ハァ……こっ、こんなん無理ゲーじゃん……かっ……」



 追い込まれたが故に後先を考えない、で行使した魔術をもってしても、ほぼ無傷である刺客しかくに対し、ねねは動揺どうようを隠せなかった。



 呼吸が荒くなり、こころなしか心拍数しんぱくすうも上がってきている。



 だが、彼女はこの時はまだ気が付いていなかった。



 胃豆いとう不要の節介プラスハマーと呼ばれる所以――彼が持つ魔術の特性が、守備だけでなく攻撃に転化した際に訪れる初期症状しょきしょうじょうが自身にあらわれている事に、気が付くはずも無かったのである。



 当初、彼女は精神的な問題から呼吸が乱れているのかと思った。



(ちょっと待って……なんか身体、めっちゃダルくない……?)



 倦怠感けんたいかん、どころの話ではない。 



 早鐘はやがねを打つかのような心臓の鼓動、関節の節々はきしむような不和ふわを伴い、視界がらぐほどに強烈な頭痛ずつう、歯が触れ合うだけで氷を押し当てたかのような口内に広がる鈍痛どんつうに、今やねねはさいなまれていた。



 予兆無しに、彼女はえがたい不調におちいっていた。



(まさか……既にいた……?)



 おそい来る様々ないたみに耐えきれず、ねねはその場にしゃがみこんでしまう。



「良い具合にみたいですね。どうですしんどいでしょう?」



 あいわらず食事をりながら一歩も動かずの胃豆いとうの声が聞こえてきた。



「ハァ……ハァ……んっ……ぐぅ……」



 玉のような汗をしとどに流しながら、ねねは応じる事が出来ない。



「楽になりたいなら早く降参こうさんしなさい。辛いでしょう、苦しいでしょう。貴方が今体感しているとの付き合いが長い分、お気持ちはよおく分かりますよ」



「ふぅ……ふぅ……なんの……これぐ、らいで…………ごふっ!」



 不意ふいにむせ込み思わず口元をおさえたねねの右手には、べったりと赤い血が付着ふちゃくしていた。



(もしかしてあたしってば、真剣マジ危険なやばい状況?)





 胃豆いとう殿柵でんさく、通名:不要の節介プラスハマー



 食物の咀嚼そしゃく音が詠唱としてつむがれる、彼の持つ魔術の特徴は大きく分けて二つ。



 ひとつは己に向けられた攻撃の威力を極端きょくたんぐ、強固な防御力ディフェンス



 そしてもうひとつは、自身の体調を望んだ対象へと同期リンクさせる強制結合能力バイタルチューン




 まんまと術中にはまってしまったねねは、自覚するまでもなく絶体絶命の窮地に立たされていた。

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