第2話【food fight-タビマエノショウガイ-】(2)

 見計らったかのようなタイミングで鳴ったチャイムに対し、ねねは永渦えいかへと目配せアイコンタクトをした後、すぐさま玄関へと歩みを進めた。



 一瞬、居留守を使うという対応策が頭に浮かぶも、前提として誰かが自宅を訪ねてチャイムを鳴らしたという事実は、顔の見えない誰彼より既に主導権イニシアチブを取られてしまっているので、これはもう対応せざるを得ない。



 職場から自宅へ移動する間に誰かに追跡された感覚は無かったとはいえ、何故今なのだろうかという疑問も生まれてしまったからには、これ以上の間を開けるべきでは無いという判断の下でもあった。



 ねねは鍵を外し、取っ手ドアノブをゆっくりと回し、扉を開ける。



 玄関の先には、見知らぬ男が立っていた。




「おばんでした。おらぁ胃豆いとう殿柵でんさくいいます。夜分遅くにすまんのだけんど、アンタ綺羅星きらぼしねねでないかい?」




 男の背丈はねねと然程さほど変わらない160cmではあるが、外見において特筆すべき点は他にあった。



 他にというよりも、むしろその一点にのみ目がいってしまうというか――有り体な言い方をすると、男は“かなり太っている”体型をしていた。



 ぱんぱんに張った腹部は、直径1メートルのバランスボールに匹敵ひってきする横幅よこはばを有している。



 夜更けの訪問者きゃくは、そんな特徴的過ぎる体の格好わがままボディだった。



 だとしてもこの場合、玄関先に立つ男の体型はねねにとっては些事さじであって、問題は――。




(聞き間違いじゃなければ、この人……今はっきり“いとう”って名乗ったよね)




 膜間まくまから聞き出した2名の内の一人――不要の節介プラスハマー胃豆いとう



 ねねを付け狙う魔術師が、手を伸ばせば互いに手が届く距離にいる、この状況。



 自ら名乗り、つねねに対し素性すじょうを確かめるべく疑問を投げかけてきた、その直後。




「いえ。あたしの苗字みょうじは綺羅星ではなく西乃にしのです。訪問先のお部屋を間違えられているのではないのでしょうか?」




 先般、膜間から受けた不意打ちから学び、有無を言わさず相手へと攻撃を叩き込む手段もあるにはあったが、それを選ばずに。



 ねねはひとまず、咄嗟とっさに思い付いた偽りフェイクの苗字を述べるに留めた。



「あんれ。そうなんけ? こたえたな、ここやに違いないん思たんじゃけんど。んだ、いずぃがしゃあないべ。したっけ、邪魔しました」



 彼女の返答をそのまま真に受けたらしい胃豆いとうは、軽く頭を下げた後、のそりのそりと引き返していく。



(えっ終わり?)



 ねねは拍子抜けする。



 わざわざ訪ねて来たということはつまり、それなりの確信があったのではなかろうか。



 仮にねねから尋ね人では無い旨をやんわり否定をされたとしても、訪ねる以上は何らかの切り返しを用意しているのが普通ではないだろうか。



 あっさりし過ぎている、当の本人が毒気を抜かれるくらいに。



 対象の心を読む――感情の機微や本意を読み取る魔術をねね自身が持ち合わせていないとしても、今の所胃豆いとうから敵意・悪意のたぐいは感じられない。



 何よりも相手の明確な目的も一向に不明なままであるのに、ここで彼を帰らすのは本当に得策なのだろうか?



「あのっ。待ってください」



「なんね。おらぁに何か用でもあるんかや」



 放っておけばそのままいなくなってしまいそうな胃豆の後ろ姿へと、ねねは慌てて声を掛けた。



「えっと。ごめんなさい、嘘つきました。あたし本当は、綺羅星ねねなんですよ」



「……ほぅけ! えがった。なんもなんも、アンタが頭ぁ下げる必要は無ぇでな。安心しぃ、おらぁは別に乱暴とかせんでね。へなまずるい気ぃは無ぇ。だけんども、ちょっち。10分くらいでも構わんけ、おらぁの話聞いてくれんか?」



 膝を手で叩きながら、破顔一笑する胃豆いとう



(“争う気は無いから少しだけ自分の話を聞いてくれ”ってこと、なのかな。方言が激しいから、正直合ってるか微妙だけど)




 ともあれ、ねねは胃豆いとうを自宅へと招き入れた。



 この行動が正か誤であるかは、現時点での彼女に分かる筈も無く。

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