第1話【eleven years later-ジョウキョウサイカイ-】(6)

「……ぐっ……うぐっ……ごっ、ごべんなさっ……い……殺さないで……おじさんの言う事……ふぐっ……なんでも……聞くからぁ……」



 四肢の自由を奪われたねねは、恥も外聞がいぶんもなくさめざめとほほを涙で濡らし、膜間まくまへと命乞いをし始めた。



 彼女の整った顔は今やしわくちゃに歪み、とめどなく漏れる嗚咽おえつによって言葉は途切れがちであり、先程までの余裕は完全にがれ落ちた、追い詰められた弱者さながらの様相を存分に発揮していた。



「もうひと悶着もんちゃくくらいは覚悟していたのですが――驚きましたよ。案外というか存外、脆いのですね」



 膜間は困惑する。



 一瞬、演技ではないのだろうかという疑念が頭をよぎるも、眼下にいる少女の嘆願具合は真に迫り過ぎていた。



 紛れも無い本音であると感じられた。



 先般、ねねと対峙した際に彼は彼女の命を奪うという様な意図を直に伝えていたのだが、実際はそのような命令は彼の主からは受けていないし、膜間の最終的な目的は彼女自身の身柄拘束であって、この顛末に至ったのは結局、小生意気な少女を多少なりとも怖がらせてやろうという意地の悪い考えが働いたからに他ならない。



 しかしねねは彼の行き過ぎた悪ふざけ--行動おどしに対し、尋常ならざるおびえを抱いているのも事実。



 ならばその勘違いを正すのはお楽しみことが終わってからでも構わないだろと、彼の脳裏に浮かんだくらい感情が後押しする。



「号泣したり助けを呼ぶべく叫ばなかったのは、重畳ちょうじょうですね。ディアレディ。もっとも既に辺りには人払いの術を施しているので、只の一般人であればこの場に辿り着く事すら不可能なのですが、今となってはどうでも良いでしょう」



 羽織ったスーツを脱ぎ、ズボンのベルトの金具をゆったりと外しにかかる膜間。



「私の言うことを何でも聞くといいましたね。ディアレディ。なぁに、私もそこまで鬼ではありませんから、要は取引トレードみたいなものですよ。安心しなさい、あるじには私の方よりうまく説明しておきましょう。さあさあ、ディアレディ。それでは暫し一緒に悦楽の時を――」



「ぐすっ……ひっぐ……あの、今なんて……?」



「? 何がです」



「確認したいの......今おじさんが言った事を......もう一度」



「ですから、言うことを聞くのだと言うのであれば」



「違うわバカ。その前だよボケ。発情さかるんは構わないけど、質問に答えるぐらいちゃんとしようよアンポンタン」



 カチャカチャとベルトのバックルをいじっていた手が、ピタリと止まる。



「……どうやら、まだ貴方は。自分が置かれた立場というものを、分かっていないらしい。事穏便に済まそうと思っていたのに、その態度には感心出来ませんね」



 絶対窮地に立たされた死に体のねねより浴びせられた挑発に対し、口調こそ未だ穏やかなものの、膜間のこめかみには青筋が浮かび上がり、ぴくぴくと脈打っていた。



 一触即発激昂寸前ブチギレまぎわの膜間とは対照的に、いつの間にやら泣き顔を止めていたねねの口元には、うっすら笑みさえ浮かんでいた。



「今一度繰り返しましょう。ここには何人たりとも来れない様な仕掛けを、人払いの術式を辺りに施しているのです。貴方が泣こうが叫ぼうが、ピンチを救う都合の良い助っ人が馳せ参じる事は、絶無に皆無だと言ったんですよ」



「ふーん」



 たずねながらも微塵も興味が無さそうに返事をするねねに対し、膜間はいよいよ苛立ちを抑えきれなくなったのか、肩をわなわなと震わながら、声を張る。



「なぁオイ嬢ちゃんよ。余裕かまして達観ぶって……満足か? って感じか? 思いあがるのは勝手だが、コケにするのも大概にしとけよ。そっちがそんな態度ならこっちもこっちで大人の怖さってものを存分に――「別にさぁ」あん?」



 直接的な暴力を振るいかねない、かなり際どくも危うい心理状態にまでたかぶっている膜間の言い分をさえぎって、首と胴体以外ロクに身体を動かせないねねが、ぽつりぽつりとしゃべり出した。



「別にあたしは達観している訳でもないし、余裕なんて小指の甘皮程も持ち合わせちゃあいない。ついさっきまではね――おじさんが言う“人払い”の話を聞くまでは、だけども」



「…………」



「実際、便利だよねアレ。だって大して魔力を消費しないし、才能の有無にかかわらず式さえ組んじゃえば魔術師であれば誰でも使えちゃう優れモノ。その及ぼす効果の常に内側である、緑夜叉ろくやしゃ村にいた身だからこそ、どこか懐かしさノスタルジィすら感じちゃうっていうか」



「でもさぁ。何事にも例外は必然的に存在する訳で、ってのはご存じ? それが原因で10年以上前にあたしの故郷が滅ぶ原因になっちゃったのは、ある意味出来過ぎた伏線回収ってなことを勘ぐっちゃうよねぇ」



「話が見えねぇよ。それが起死回生ぎゃくてん因子ファクターだとでもかすのかい」



「いやいや、違くて。いくらなんでもじゃあ、あたしに勝ち目が無いのはちゃんと理解してるよ。両手両足を封じられて、詠唱しようにも口を塞がれちゃえばそこまでだし、おじさんの絶対優位リードが揺るぎないのは事実だよ」



「なら結局何が言いてぇんだ」



「あははっ。人物キャラ崩壊こわれっぷり半端ないなー。聞きたい? ねぇ聞きたい? しょうがないなぁ。今回ばっかしの特別だよ? あのねおじさん。うしろのしょーめん、だぁーあれっ」



 いぶかしみながら背後を見るも、そこには誰も立っていなかった。



「安い虚威はったりだったな。んじゃまぁ、お遊びはこの辺で――」



 しかし膜間が振り返った先には。




「ねねちゃんをいじめる奴はお前か」




 顔面を真っ赤に染めた、斑模様の白いワンピースを着た少女が出現していた。




「なっ――!? 誰だてめぇ!」



 ぎょっとして身を固める膜間へと正体不明の少女は床を滑る様に距離を詰め、後ろ手に隠していた刃物ナイフを逆手に握りしめ、勢いそのままに前方へと腕を突き出した。




「さっさと死んじゃえ。このげすやろう」




 どんっ、とぶつかる音がした後。



 地鳴りを連想させるかのような野太い男の絶叫が、主演場テント内に響き渡った。

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