第1話【eleven years later-ジョウキョウサイカイ-】(5)

 支えを失ったねねの胴体が、その場へずるりと崩れ落ちる。



「あいたっ」



 受け身を取るのもままならない所為せいで、勢いそのまま尾てい骨を床へとしこたま打ち付けてしまい、ねねは苦痛に顔をゆがめた。



(常に気は張っていたし、油断もしていなかった……なのにまた。しかも今度は手足を同時にだなんて)



 見える見えないの次元とは別問題ではないのかと考えるも、時すでに遅し。



(ダルマさんが転んだどころじゃあない、これはもう、なんていうか――)



「正に手も足も出ない、といった所でしょうかね。ディアレディ」



 ねねの胸の内を先読みしたかのような膜間まくまの声が響くと同時に、急に辺りが明るくなった。



 半ば仰向けに倒れたまま身動きできないねねは、首を持ち上げ前方を見ると、そこには強烈な光を放っている小さなペンライトが落ちていた。



「そうなってしまえば、そうなってさえしまったならば。もはや私の勝利は天地開闢てんちかいびゃくの頃より決められた約束事が如く、けっして揺らぐことは有り得ません」



 床に落ちたペンライトが、前触れなしにころころと転がる。



「ではでは。そろそろここらで種明かしネタバレといきましょうか。いやさ、空白期間ブランクがあるとはいえ、貴方は健闘した方だと思いますよ? ディアレディ。直向ひたむきに前向まえむきに、貴方しか出せない貴方だけの全力を、余さず惜しまず一滴残らず、限界間際まで出し尽くした結果がその有り様なのでしょうから」



 するする……するする……



 最初は乾いた布がこすれる様な、か細い音であった。



「ですからこの私もその姿勢に敬意を払って、末期の水あるいは冥土の土産はたまた三途川の舟賃たる六文銭代わりに、未だ自分が何をされたのか存じ上げていない明瞭ならざる疑問のこたえを、示すのもまた一興かなとね」



 ずっずず……ずっずず…… 



 やがてそれらは次第に、大きさと数とを増していく。



「置手紙に記された主演場ここへと来てしまった時点で、貴方の負けは確定したのです。魔力を込めた道具で武装して来ようが、当たらなければどうとでもないし、逆に私は当てようとする努力すら無用だったのですよ。ねぇディアレディ。だって私は貴方がここへと来る前に――」




 




 言い終わった頃合で、一人の人間がそこに立っていた。



 黒いサングラスをかけた、黒いメンズスーツを着た、20代半ばの男が、ねねを見下ろし立っていた。



 説明するまでもなく、この男こそが膜間隈ノ輔くまのすけなのだろう。



(やられた……。不味マズったなこりゃ。認識違いも甚だしい、ちょっと考えれば分かるってのに、どうしてあたしは気が付かなかったんだ)



 見えていなかった、のではない。



 彼女が認識していないだけで、実際には、見えていた。



 他のみを薄くする事しか出来ないと錯誤していた膜間の魔術は、あろうことか自にも同等に効果を及ぼせられたという、現実。



 ねねがこの主演場テントへと足を踏み入れた瞬間に、床面・壁面・天井の全てに擬態した膜間へと、彼女は接触してしまっていた。



 だからこそ、膜間にはねねを攻撃する機会チャンスが無限に存在していたのだし、突き詰めれば何時でも良かったのだ。



 彼が言うように、これはもう勝負にすらなっていない、一方的な八百長試合出来レースもいいところだった。



「どうです。ディアレディ。白旗でも上げますか? かぶとを脱ぎますか? それとも大穴で未だ足掻いてみせますか? おっと、私としたことがいけないいけない。そもそもお手手とあんよがそんなんじゃあ、どれもこれもが難しいですよねぇ。ハッハハ! ハッハッハハッハ!」



 高らかに笑う膜間とは対照的に、ねねの顔は徐々に暗く沈んだ様相モノへと変わっていく。



しゃくだけど。悔しいけれど。ここまで差を付けれたならば、今のあたしには戦局をひっくり返す手立ては……無い)




 そして最終的に彼女、綺羅星きらぼしねねは。




 嗚咽交じりに、すすり泣きながら膜間へと。




 恐ろしいほど真剣な様子で、命乞いを始めるのだった。

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