第11話 阿修羅観音 参上

「いえ、その、まだ調査中なので、ハラスメントがあるとは、言ってないですよ」


 俺は慌てたふりをする。それがね、部下は勿体もったいぶって話を続けた。


「それがね、横田さんが言ってるらしいんですよ」


 その一言にピタリと空気が止まり、部下たちは顔を見合わせ、申し合わせたかのように一斉に笑い出した。それは無えよ、と他の部下が腹を抱えて笑っている。ブスだからか。根暗だからか。あんな女にセクハラする奴なんていねえよ、と言いたいのだろう。

 部下たちが笑っている中、木瀬は笑みを貼り付けた顔で顔色が悪く、落ち着きをなくしていた。


「えー、横田さんって、そういうこと言うタイプだったんですか」


「あんまり化粧もしてないし。もう女を諦めてるのかと思ってましたよ」


 正にそういう考え自体がハラスメントに値するのを、彼らは理解していない。


「いや、横田さんいい人ですよ。真面目だし、仕事もしっかりしてるし。尊敬する先輩ですけど、まさかそういうこと言う人とは思ってなかったなぁ」


「でも最近、ちょっとミスが多いっていうか。何度か部長に怒られてますよね」


 ぶよぶよの体を小さくして話に入り込まないようにしていた木瀬は、自分に話を振られて、慌てておしぼりで顔を拭いた。


「まあ、あれは怒るってほどのものじゃないよ。どうしたら直るか。要因を見つけ出してだね、ア、アドバイスしてただけなんだけどな」


 余裕ぶってはいるが、早くここから立ち去りたいのだろう。急に財布を出し、伝票を挟んだバインダーを手に取った。部下たちはその動作に気づいていない。


「あれじゃないですか。最近怒られてばっかりだから、部長に逆恨みでもしてんじゃないですか」


「そうですよ。こんなに親身になって教えてくれる上司なんていないっすからね。自分のミス棚に上げて、当て付けでそんなこと言ってんじゃないっすか」


「それを訴えるって、横田さん、どうかしてますよ」


 部下たちは勝手に早合点している。大丈夫っすよ、俺証言しますよ、などとフォローしてくれるので、木瀬は幾分落ち着きを取り戻し、バインダーを置いた。部下たちの前で上司然とした態度を必死で保とうとした。


「まあ、私の指導が行き過ぎた点もあったのかもしれません。私の熱意を横田さんに伝えきれなかった。取引さんとも、もっと女性らしく笑顔で接すれば、相手さんも聞いてくれるよ、なんて言う言葉が適切ではなかった。少し寄り添ったつもりで冗談を交えたつもりが、セクハラと取られても仕方がなかったかもしれない」


 あくまでもセクハラを女性蔑視してしまった、という内容で収めたいらしい。こっちは映像でちゃんとして見てんだから嘘は吐くな、と言ってやりたいが、グッと堪えた。


「そうっすよ。勘違いも甚だしいですよ。部長は悪くない!」


 この中で1番若いと思われる部下が、ビールジョッキを高々と挙げ、一気に飲み干しおかわりを注文した。この状況を楽しんでいるとしか思えない。


「まあ、このことは週明け、横田さんとしっかり話します。ですけど、弁護士さん。そんなことで私たちをつけてきてたんですか?」


 おっと。この期に及んでマウントを取ってこようとしてきやがった。こちらが冴えない弁護士だから、そうきたか。


「それにのんな公共の場で、失礼じゃないですか。これが風評被害になったらどう責任取るおつもりですか?アポも取らないで、こういうのって法律的にはどうなんですか?」


 木瀬は自分の後ろめたい部分を取り繕うために、強気に出てきた。そちらがそういう態度なら出る所に出ますよ、とでも言いたげだ。出る所に出られたら、困るのは本人なのに、強気に出てこちらに諦めさせる算段だろう。


「あ、いやいや。今日は木瀬さんにそれを伝えるためでなく、依頼人と面会がありまして」


「居酒屋で面会ですか?」


 明らかに疑っている。そして、俺の姿を上から下まで眺めて、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


「いや、普通はもっと静かなところで面会するんですが、い、依頼人の要望でして」


 周りの客たちの中には、こちらをチラチラと覗き見るが、みんな酒も入っているので、大した興味も示していないようだ。


「じゃあ、横田さんには私から言います。何か誤解が生じているようなので」


 依頼人が横田だと思い込んだのだろう。本人さえ来れば自分自身で言いくるめられる、そう思ったのだろう。木瀬は座り直し、安全地帯に入ったかのように余裕を見せた。


「あのー、誤解が生じているようですけど、依頼人って横田さんじゃないですけど...」


「はぁ?」


 予想外の俺の言葉に、4人の緊張が緩んだ。まあ、俺がそう仕向けたのだが。


「今から会う依頼人というのは、その、横田さんの彼氏さんで...」


 一同は顔を見合わせ、笑い出した。彼女と付き合う奴なんていたのか、そういう下卑た笑いだ。


「横田さん、付き合ってる人いたんすね」


「知らなかったぁ。どんな人ですか?今からその人来るんですか?」


 部下たちは期待と嘲笑の入り混じった不快な笑顔で、俺に聞いてくる。


「依頼人のプライベートなことなので、これ以上は。あの、ですから、もう帰った方がよろしいかと思います」


 俺はをして、バインダーを木瀬に手渡した。


「いや、彼氏さんにも不愉快な思いをさせてしまった。直接、私が謝って、誤解を解きますよ」


 木瀬はが来ることで、気不味い表情を見せたものの、面倒はこの場で解決させようと、紳士的な態度を装った。予想通りの展開だ。


「ですが、それは少し時間を置いて、その場を設けますから、ここは一旦お帰りしていただいた方が...」


「いえ。ここで私の誤解を解きたい」


「あの、その、相手さんは、ちょっと理由わけがありまして、その、普通の話が通じるかどうか...」


 俺はポケットに手を突っ込んで、スマホの画面をタッチした。触れば天馬に通話が繋がるように、省エネモードをオフにして設定してある。これが、合図だ。

 タイミング良く店の戸が開いた。いらっしゃいませ、と店員のマニュアル挨拶。白いシャツを着た男が店内を見回している。白いシャツの男は、天馬だ。


「あー、いたいた。三原さん」


 天馬は俺を見つけて、千鳥足で近づいてきた。もちろん酒は飲んでいない。予定では酔っているフリをする設定はなかったのだが、いらぬアドリブを入れてきやがった。こちらもそれに合わせなければならない。面倒臭い奴だ。


「あー、もう。鮫島さん、また飲んでるんですか」


 俺は天馬を、自分が案内された席に座らせた。『鮫島』というのが、天馬の今日の役名。なんだか態とらしい名前で、もっとありそうな簡単な名前がいいと思うのだが、天馬は譲らなかった。理由は、「カッコいいだろ」「それに、強そうだろ」、そんなところ。乱れた白いシャツに、派手な赤のスラックス。裸足でリザード革のシューズ。絵に描いたようなチンピラの格好だ。

 さっきまでヘラヘラしていた連中も、こちらを見ておとなしくなっている。彼らも、もうお気づきだろう。このチンピラが、横田の彼氏だ。不安そうな顔で下を向く4人。


「三原さんよぅ、麻里がいつも辛そうな顔して帰ってくるんだよ。アンタ、弁護士だろ。どうにかしろよ!」


 ダメ押しで横田の名前を出す。彼らにとって、もしかしてこのチンピラは横田の彼氏ではないかもしれない、という淡い希望もこれで消えた。

 俺は鮫島(天馬)から見えないよう、木瀬たちに手で店の出口を示し、見つからないうちに、と帰るよう促した。まあ、そのまま返すつもりはないのだが。

 4人はまだ手付かずの料理があるにも関わらず、そそくさと帰り支度をして席を立った。

 彼らは顔を伏せた状態で、俺たちの後ろを静かに通り過ぎようとしていた。木瀬が後ろを通過するタイミングで、俺は天馬の背中をトンと叩いて合図を送った。天馬はガバッと後ろを振り返り、「あー!」と木瀬に向かって大声を出した。


「あんた、麻里のところの部長だろ!」


 木瀬はスルーしようとしたが、天馬が木瀬の肩を掴んだ。


「おい!お前、木瀬って奴だろ!」


 完全に目が泳いでいる。「人違いじゃないですか?」と小さい声で、しかも無意味に声色を変えていた。俺は笑いたい気持ちを必死で堪えた。


「人違いじゃねえよ。社員旅行の写真で、しっかり確認してんだからよ!間違いねえよ!」


 天馬は意気揚々として絡んだ。俺は慌てて、止めるフリをした。

 部下たちはというと、さっさと店外へ出て、遠巻きでこちらを眺めていた。


「お前よう!」


 天馬は木瀬の首の後ろを捕まえて、外へと連れていった。俺はレジで適当に勘定を済ませ、後へ続いた。表では部下たちが3人固まって、少し離れた位置から天馬たちの様子を伺っていた。繁華街では、この程度の揉め事は日常茶飯事で、誰も見向きもしない。


「誤解です。ちゃんと話し合いましょう」


 木瀬は滴り落ちる汗を拭おうともせず、天馬の手を振り払うと両手を前に出して後退りしていく。走って逃げてもいいのだが、腰が引けて足に力が入らないのだろう。膝から下が震えていた。後ろポケットを弄っていた。財布を出して、金で解決しようとでもしているのか。


「おい!」


 その時、部下のうちの1人、1番若い奴が天馬に近づいて言った。


「部長、こんな奴、やっちゃってくださいよ」


 突然強気で出てきた若者。予想外の展開に驚いているのは木瀬本人だった。


「アンタ、部長は学生の時、テコンドーの全国大会で準優勝してるんですよ。怪我しないうちに、やめといた方がいいですよ」


 若者はズイッと天馬の前に出た。念のため木瀬の素性は調べておいたが、高校時代はパソコン部、大学に上がってもテコンドーなんて齧った形跡もなさそうだった。多分、悪気もなく部下たちの前で格好つけた嘘なのだろう。ボクシングや空手ではなく、テコンドーというレアなところを突いてきたのには、笑える。

「なんだ、テメーは」天馬も笑いを堪えるため、若者の方に向いて睨みを効かせる。


「いやー、むかしの話だからねえ」


 木瀬は弱々しい声で、まだ嘘を突き通すつもりだ。


「むかしの話でも、こいつ酔っ払いですよ。部長、シメちゃってくださいよ」


 もうここまでいくと、部下たちは木瀬の嘘を見抜いているのではないか。その上で木瀬を試しているようにしか見えない。


「若造、調子こいてんじゃねえぞ」


 天馬は若者の襟首を掴んだ。やためくださいよ、若者も天馬の襟首を掴み返した。その時、ビリッと音がすると、襟を引っ張られた天馬の背中が破けた。天馬の破けたシャツの背中からは、天馬ご自慢の阿修羅観音が姿を現す。


「ヒィッ!」


 木瀬は間の抜けた情けない声をあげた。






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