第9話 お山の大将
蓮実は横田を見送ると、身支度をして、近所に借りているアパートへと帰って行った。
俺たちは精舎に戻り、すぐに準備をした。横田の普通の生活を取り戻すために、1秒でも早く取り掛かりたい。みんなの思いはそれぞれだろうが、考えていることは同じようなものだろう。
押入れから段ボール箱を出した。その中から小さいプラスチックケースを出して、中身を吟味した。その様子を天馬は覗き込み、クスクスといやらしい笑みを浮かべる。
「お前はそれがあるから、いいよな」
俺は天馬に嫌味を言ったつもりが、彼は喜んで法衣を脱ぎ始めた。上半身だけ裸になり、これな、と言って背中を見せてくる。その背中にはご自慢の阿修羅観音が描かれている。どうだと言わんばかりのこのポージングは、俺たち何度も見せられている。お前は遠山の金さんか。一休は耐えきれず吹き出した。
「出た。アシュラマン!」
背中の絵柄を笑う一休に、ポージングしたまま体当たりした。一休は転げたが、ひっくり返ってもそのまま大爆笑していた。
彼の背中の阿修羅観音の縁取りが太く、少し体を斜めに構えた姿勢で、キリッとした目の男前に描かれている。カラーリングも鮮やかで、それは刺青ではなくタトゥーの配色。
彼が若かりし頃、少し悪ぶっていた時代に、タトゥー彫り師になった友人に入れてもらったと聞いている。根性や覚悟を決めて入れる刺青と違って、絵のタッチがポップなのだ。路上のペイントアートに近い。
天馬も若気の至りで入れたタトゥー。少々ダサいという自覚はあるらしく、若干後悔しているようだ。これをウケ狙いで見せてくることが多い。ただ俺たちが揶揄うと怒る。
横田を手助けするために、これを使おうというのだ。これまでも幾度か使ったことがある。これでターゲットを脅すのだ。何度も見せられた俺たちなら笑ってしまう絵も、一般人相手なら脅しの効果的面だ。これが刺青ではなくタトゥーだと認識しても、背中一面にタトゥーを入れてる人間を目の前にすれば、脅しの効果として充分だ。
「お
天馬はプラスチックケースを覗き込んで、俺の変装グッズを揶揄う。プラスチックケースには、いくつもの歯が入っている。入れ歯だ。少し出っ歯になるもの。歯茎が盛り上がって、入れると頬が盛り上がるもの。八重歯になる前歯、などなど。
寺に出入りしている仏像彫刻家の
俺は少し出っ歯になる前歯を選んだ。
「やめて、ちょっと。俺、それ1番笑っちゃうから」
天馬は俺の変装をバカにする。俺はそれを前歯に嵌めると、天馬は指を差して笑い出す。一休は、俺の前歯と天馬の背中を両方差して笑っている。俺は段ボール箱の方からロン毛のカツラを被ると、イヤミ!イヤミ!と2人は腹を抱えて転げ回った。
「真面目にやれ!横田さんは苦しんでんだぞ」
とは言ってみたものの、1番ふざけているのは俺だ。
俺はロン毛のカツラを段ボール箱に戻し、明日は地毛で髪型をオールバックにしようと決めた。
俺の役目は弁護士。天馬の役目は横田の彼氏でチンピラだ。今回は一休がシナリオを考えた。まったく子供じみた仕返し方法だ。こんなことで横田を救えるのか、と聞きたいかもしれない。だが、こんなことで大抵の人間は折れる。ハラスメントをする奴なんて、人間の器が小さいのだ。
『復讐』と言うと大袈裟すぎる。だから『仕返し』が妥当だ。俺たちは偽物の僧侶だが、法を犯すつもりはない。お釈迦様の教えとは外れてしまったとしても、社会のルールから外れることはなかなかできない。
スマホのカレンダーを確認すると木曜日。横田の言う部長さんは、金曜の夜はほぼ毎週、部下を引き連れて会社近辺の居酒屋を飲み歩いているらしい。また明日も、こちらの仕事とは関係なく早朝から起こされ、掃除やお説教はこなさなければならない。
明日に備えて寝ようと提案し、俺は風呂に向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
胃がもたれるようなニンニクの匂い。肉の焼ける音、グラスがぶつかる甲高い音。すれ違う人の吐く息からは酒の混じった匂い。人々の喧騒。繁華街の夜の空気は
今回のターゲットの
部下の肩に凭れかかり、フラつく足で次の店を探す。俺はそのまま尾行した。次はキャバクラでも寄るのかと思いきや、また別の安い居酒屋チェーン店の暖簾を潜った。店を変える必要があるのか?意気揚々1人で入り、、外にも聞こえる大声で、4人でーす、と上機嫌だ。後ろの2人は顰めた顔を見合わせて、後に続いて入店した。横田の話では、木瀬という部長さんは部下に慕われているという話であったが、案外そうではないのかもしれない。
少し時間を置き、俺も入店した。
「何名様ですか?」
どう見たって1人だろう、と言い返してしまうところであったが、今の俺の設定は冴えない弁護士。安いシワシワのスーツに、ガリ勉中学生のような銀縁の眼鏡。髪型は七三分け。少し前歯が出ていて、いつもオドオドしている。裁判では万年負け続きの、安い弁護料しか取れない気弱な弁護士だ。
「あのー、今1人なんですけど、あとで1人来ても大丈夫ですか?」
「カウンター席でよろしいですか?」
店員はマニュアル通りの受け答えで席に案内された。
店員が背中を向けたところで、店内を見回した。木瀬たちは奥から2番目のテーブル席に座っていた。俺は店に入ってすぐ1番手前のカウンター席に案内された。席について、少し様子を伺うことにする。枝豆と生ビールをグラスで注文した。男のくせに生ビールをグラスで頼んで、気弱感が滲み出す。
店はそんなに広くないが、1番手前のカウンター席と奥から2番目のテーブル席では少し離れすぎている。もう少し席が近ければ、頃合いを見計らって話しかけられるのだが、態々席を立って側まで行くのは不自然すぎる。どうやって声をかけようかと店内を見回すと、木瀬たちの席の近くに御手洗いがあった。もう少しタイミングを見ることにする。
「若い頃はさぁ、残業とかって言っても、残業代なんて付けなかったわけよ!仕事が多くて、もうキャパオーバーなんだから定時に終わるわきゃない!だけどな、そうやって押しつけてくる上司に、仕事できねー奴だって思われたくねえから、サクサクっと終わらせちゃいましたよ、って残業付けずにポンと返すわけよ。それが男の仕事の美徳ってことでな!」
上機嫌の木瀬の声は、席の離れた俺のところにもハッキリと聞こえるくらい大きかった。
「だから、仕事できちゃうから、また仕事任されちゃうわけ。そうやって仕事も早くなってー、それで、一人前になっていくわけよ。それができる奴とできねー奴で差が出ちゃうんだよ」
この木瀬という男。よくいる昭和型仕事人間で、時代錯誤も甚だしい。聞いてもいない自分の武勇伝を話す。終いには「むかしはグレててケンカばっかしてた俺が」みたいな架空の話をするタイプだ。見た目は地味で、誰もが嘘だと見抜いているのに本人だけ気づいていない。パワハラをする奴の典型的なタイプだ。
「でもよ、今は時代が違う。なにもお前たちに残業して残業代付けるなって言ってんじゃないよ。俺は他の俺ら世代の分からず屋たちとは違うから、ちゃんと定時に帰る方がいいと思っている。残業したらちゃんと付けなさいって、お前たちに言うぞ!ちゃんと残業代付けなきゃ、逆に怒るからな!お前らはみんな頑張ってる。ちゃんと分かってる。だから、そういう時代もあったことだけをお前たちに知っておいてほしいだけだ」
部下たちは。部長、流石です!とゴマを擦っていた。いったいこいつは何が言いたいのか、多分若い部下たちに伝わっていないのは一目瞭然だ。自身で部下たちをフォローしたようなことを言っているが、結局自分の自慢話にしか聞こえない。
この後続く話は、こういうタイプのお決まりのコース、そりが合わない上司をぶん殴って辞めさせただことの、納得いかない事案があった時に社長室に怒鳴り込んだだことの、デタラメな自慢話で酔い始める。
「まあ、そんなことできるのも俺ぐらいしかいないな。お前ら、俺は悪い見本だからな。見習うなよ」
そう言って全員の顔を指を差して、いやー流石部長、とってもマネできないですよ、とゴマを擦られて高笑いしている。部下の誰も信じてないのに、一人ご満悦。お気楽な奴だ。
「ちょっと、トイレに」
部下のうちの1人が席を立った。少し時間をずらし、俺も御手洗いへと向かった。
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