Ⅲ 日常の終焉

「――いったい、何が起こったんだ……」


 昨夜はもらった薬のおかげだろうか? いつもよりもぐっすりとよく眠れ、すっきりとした気分で目を覚ますと朝食をとるためにダイニングへ向かった僕だったが……確かに先生が言っていた通り、世界は一変していた。


 といっても良い方へではない。むしろよりいっそう、僕の家族はおかしなことになっている……。


 誰も、動かないのだ。


 父さんはテーブルで新聞を読んでいるし、母さんはキッチンに立っている。妹もソファでテレビを観ているし、皆、やっていることはいつも通りだ……。


 だが、誰も動かないのだ……指先一つピクリとも動かさず、まるで、石像のように固まってしまっているのである。


 顔を見れば、皆、目を見開いたまま瞬きすらもしていない様子だ。


「ねえ、みんなどうしちゃったんだよ? 無口なのはいつも通りだけどさ……そんな、体まで動かさなくなることないだろ……?」


 僕は固まった家族達を交互に見回しながら、独り大いに狼狽し、震える声で三人に尋ねる。


 昨夜までは皆、普段通りに生活していたというのに、今朝目覚めてみると、このような理解し難い状況になっていたのでる……。  


 静けさに包まれた家の中、僕以外、家族全員動くことのないこの状況……なんだか、この世界の時が止まってしまったかのようである………。  


 そこで、慌てて壁に掛けられた時計に目をやってみたが、その秒針はちゃんと動いており、コチコチと時を刻む音を一定のリズムで静寂の中に響かせている……。


 それじゃあ、いったいこれはどういう状況なんだ……。


「父さん! いったいどうしちゃったっていうんだよ!? なんでみんな固まっちゃってるんだよ!?」


 僕は声を荒げ、口をきかないどころか動くことすらしなくなった家族達を問い質す。


「母さん! ちゃんとこっち向いてくれよ! なあ、おまえもそんな、点いてもいないテレビの方見てないで…ひっ!」  


 だが、そうして独り声を張り上げながら、こちらを振り向かせようと妹の肩に手を置いた時のことだ……僕は指先に、とても人間のそれとは思えない感触を感じて慌てて手を引っ込めた。


「つ、冷たい……」


 場所がズレて手の触れたその首筋が異様に冷たいのだ。まるで死んでいるかのように、血の通った温かさというものがまったく感じられない。


 それに、冷たいだけでなく妙に硬い……その皮膚に弾力はなく、なんだか生物の肉体ではなく無機物に触れたような感触である。


 ……いや、この質感には覚えがある……子供の頃、興味本位で店頭にあるそれ・・を触ってみた時のものに非常に酷似している……。


「……そ、そんな……ま、まさか、そんなことが……」


 僕はおそるおそる、物言わぬ妹の背後から、ゆっくりと正面に回り込んで、その疑念を確かめるためにその顔を凝視する……。


「…っ!」


 すると、その悪い予想通りに、その顔は人間のそれではなかった……。


 それは、マネキンだったのだ!


「そ、そんなバカな……と、父さん!? か、母さん!?」


 今度は新聞を読んでる父さんと、洗い場の方を向いたままの母さんの顔も覗き見てみるが、やはり二人とも妹同様にマネキンへと変わり果てている。


 瞬きこそしなくても、ついさっきまではちゃんと人間だったというのに、いったい、いつ入れ替わったのだろうか!? ……い、いや、それとも本当にマネキンに変わってしまったのか!?


 ……わからない……何がなんだかまるでわからない……いったい、僕をとり巻くこの世界に何が起こったというのだろうか!?


 完全に理解を超えたこの異常極まりない状況を前に、茫然自失となった僕は静まり返った馴染みある我が家のダイニングで、足元から崩れ落ちるようにしてその場にへたり込んだ――。

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