第97話 東京
待ち続けることは難しい。
鷹取真琴の言葉は私の中で静かに響き続けた。
未来がわからないから待ち続けることは難しい。待ち続けることは欲求との戦いで、自分との戦いだと思う。
もし何もかも最初から決まっていて、いつ開いても一語一句変わらない書物のように変えられないとしたら。もし運命なるものがあるのなら待ち続けることは無意味に思える。私が何をしても変わらないし、何かをしたとしても後から誰かが「それが運命だ」って言うんだろう。
運命論的な考えは私の気持ちを少し楽にした。最初からすべてが決まっているなら、私には彗をどうこうできない。もともと私は願うことしかできないのだ。2年間話しかけてきたけれど目覚めることはなかった。だから、私は彼の植物状態を受け入れ、それ以上の彼を望まないという考えに集中した。
私の心は頑丈にできていない。
こうでもして私自身を騙さないとおかしくなってしまう。
春、私の書籍は無事刊行された。
私の処女作「わたしの愛した彗星」が書店に並んだ。一般的な大衆小説だが名のある賞だったのもあって初版は多く刷ってくれた。私は1週間くらい色んな書店を回って自分の作品を探すのが日課になった。
私の経歴と顔が載っているPOPを見つけると背筋が凍る。もともと顔を出すつもりはなかったのだが流れで出すことになり、私のインタビュー記事が全国に流れた。美人作家だか現役大学生だか、とにかく私のステータスは売りになるらしかった。
当然、書店員のアルバイトは続けにくくなるとわかっていたから、刊行日が確定した段階で辞める旨を話した。約2年間アルバイトを続けていた。接客業で毎日大勢の人を見るから世の中には色々な人がいるのだと勉強になった。
経験や思い出は私の作品作りに大いに役立った。何かを作るとき、自分の手持ちがゼロだと生むことはできない。自分が蓄積してきた匂い、音、光、感触、味の五感情報が豊富でないと創造性は貧相なものになると私は思った。
大学では人から視線をもらうことが多くなった。
もとより「すごい美人がいる」とちらほら視線を感じていたが、作家となったことで露骨な視線を感じるようになった。それが面倒でマスクをしたり、伊達眼鏡を付けて変装したりもしたが雰囲気で人は気付くものらしい。
人の視線に辟易する私を見て、千穂は積極的に話しかけてくれた。彼女と話していれば視線は気にならなくなるし、学食でも落ち着いて食事ができた。
「そういえば遅れたけど読んだよ」
学食でカレーライスを食べていたら唐突に千穂はそう言った。
「……そう」
「あれ? 読んじゃダメだった?」
自分の本を読んでくれるのは嬉しいけれど気恥ずかしさには未だに慣れない。
「恥ずかしいのよ。本を出してから恥ずかしいことばかりだわ」
「本屋に行ったらアリナの顔があってびっくりしたよ。あ~、これは確かにアリナの性格なら恥ずかしがるなぁって思ったね」
「それよそれ。やっぱり顔なんて出さなきゃよかったわ。物語に作者の顔なんていらないもの」
「でも綺麗に写ってたから売り上げにプラス効果でしょ。面白かったよ。ちょっとSFの入った恋愛小説って感じなのかな。アリナらしい綺麗な話だったよ」
私はその感想を聞いて2つの意味で安堵した。1つは純粋に物語を面白く感じてくれたこと、2つは彗のことを連想しなかったこと。彗星の特徴を物語に組み込んでいるからタイトルに彗星を入れただけで彗とは関係ない。一切関係ないと言うと嘘になってしまう。これは赤草先生の言った「太陽と彗星の関係」がロマンチックに聞こえたことが、物語を作る上での基盤になっているからだ。
「そう、今度東京に行く予定があるの。サイン本を書くためにね。何かほしいものあったら買ってきてあげるわよ」
「いいよいいよ。なんならこの前の春休みに行ってきたばっかりだし」
「あらそうなの」
「私の実家だしね。いつ行くの?」
「来週の土曜日」
「すぐじゃん。夏になる前でよかったね。あっちの夏は本当に地獄だから。こっちもそこそこ暑いけど東京よりはマシだよ」
千穂は東京生まれなのに東北に来た珍しいケースだった。祖父母の家がこっちにあって子どもの頃はよく来ていたらしく馴染みがあるらしい。
「どうして東京の駅ってあそこまで複雑なの。出版社にご挨拶しにいったと時は迷って地上に出られなかったわ」
「なんでなんだろうね。まぁ人も多いし、色んなものがあるから細かく移動するためでしょ。慣れるまでは大変かもね」
仙台から東京は新幹線でだいたい1時間半から2時間かかる。
東京に着いたらスマホの画面から目を離せない。〇〇線の数が多いから蛍光版とスマホを交互に見るのに必死で首が疲れる。
なんとか山手線に乗ることができ、私は目的の駅まで外を眺めた。どこを見ても上に長い都市で驚かされる。高校の同級生たちもたくさんここに住んでいるのだろう。
お呼ばれした書店はとても広く、喫茶店も隣接していて最高の環境だ。長いエスカレーターの近くには私がサインを書く場であろう長机があった。日羽アリナ先生と書かれた席札が置かれているから確実だ。私は書店員にご挨拶し、店長に会った。その後、店内を回りながら書店の説明、そして私の本が置かれているコーナーも紹介された。
ちなみに今回の旅費は私ではなく書店側が持つからタダで東京観光だ。行くなら文化的な観光スポットがいい。その観光スポットを眺めて歩いている人の様を見たい。私は人間の行動を観察するのが好きで、その人の人生を想像するのがちょっとした趣味になっていた。書店員としてアルバイトしていた時に身に付いたものだ。
サイン会が始まる数分前に事務室から出た。遠くから例のサイン場所を見ると行列ができていた。自分の書籍は人に読まれていたのだと今になって強烈な実感がわいてくる。長い列の傍を歩き、ゴールである長机に座る。書店員がお客をコントロールするようで私の傍でお客に声をかけた。
それからはずっと書きっぱなし。私のサインは Alina Hiwa の筆記体をそれっぽく崩したサインだ。この日のために練習してきた。
お客さんからかけられる言葉にとても心が温まる。書いていてよかったと思うと同時に生きてきてよかったとも思えた。美味しいものを食べた時に出るものとは違って、自分が生まれた意味を知った気がした。私の天職はこれなのかもしれない。
「お願いします、アリナさん」
差し出された本を受け取る。
さん付けに違和感を覚える。ずっと先生呼びだったし、それに聞いたことのある声だ。
「宇銀さん……」
驚いて思わず席を立つ。
彼女は春、東京の大学生になったばかりだ。さらに今日の夜は宇銀さんと鶴とで集まる予定がある。
「まさか来るとは思わなくて……驚いちゃったわ」
「こういう場でサイン貰った方が特別感あっていいですよね。ほら、私の後ろにもまだまだいるので早いとこお願いします、アリナ先生」
「前にもこんなことがあったわね。今度は宇宙の本じゃなくて私の本だなんて……人生何があるかわからないわ」
宇銀さんはニコニコとご機嫌がよろしく、本を返すとそそくさと去っていった。
もう小さな宇宙ではないのだと思った。あの日、宇銀さんと初めて会った日のことを思い出した。私は初めて彗に二重人格であることを保健室で告白し、帰りに校門を過ぎようとしたタイミングで宇銀さんが現れた。兄にぴったりの妹。彼女は今、東京で一人暮らしする女子大生だ。
みんな大人になってゆく。時間は進み続ける。
でもこれ以上進んでほしくない私もいた。彼をひとり置き去りにしているみたいだから。
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