第85話 ラストスパート
8月の中旬、駅前のスターバックスで鶴と会った。
鶴とは自宅が結構離れていたから仙台駅周辺で集まるのがお互いにとって都合がよかった。今日は彼女からの誘いだった。
「久しぶり、アリナ」
夏らしい薄着の服で鶴は現れた。私はテーブルに広げたノートを手前に寄せて鶴のスペースを作ってあげる。
「少し焼けた?」
「まぁねん。親の実家に帰省してたんだけど海が近くってね。せっかくだから海を楽しんできた。アリナは白いままだね」
「私はアクティブじゃないから」
「アリナの焼けた姿は想像できないなぁ」
鶴はアイスコーヒーを置き、自分の勉強道具とノートを並べた。
受験勉強や近況報告、あとは気分転換にお店を巡るつもりだ。
「アリナは受験勉強はかどってる?」
「普通ね。鶴は?」
「私もふつー。いっしょー」
「楽しくはないわよね。受験勉強を面白いって感じる人いるのかしら」
「いるんじゃない? ほら、体育祭で走ってたやつ。いつも学年2位のやつ」
「沼倉鷹蔵」
「そいつそいつ! なんかさ~体育祭で放送席でくつろいでたら突然彗と一緒に――」
鶴は言葉に詰まって気まずそうな表情になった。
「一緒に。そして?」
「なんかよくわかんないこと言われてー、まぁ変なやつってこと! あーいうやつくらいでしょ、受験勉強を楽しく感じるやつ」
「誘ってみたら? 彼はあなたに気があるそうよ」
「ぬぁんで!?」
「1位と2位で切磋琢磨しあえばもっと学力上がりそうね」
「無理無理無理! 普通に無理なんだけど!」
「彼が聞いたら泣くわね」
鶴の志望大学は変わらず、東京の法学部を目指しているようだった。私も東北大学文学部の志望は変わっていない。お互い目指しているゴールは揺らいでいなかった。
あぁ、みんな散らばっていくのね。
県外へ同級生が出ていく。今まで県内に留まっていた動きは全国へと広がり、それは大人に近づいていることを感じさせた。もう子供じゃなくなってしまうのだ。
私は勉強しつつ未来のことを想像した。どんな大人になって、どんな仕事をして、どこで暮らしているのだろうか。楽しく生きているだろうか。
想像を巡らせると必ず彗が頭に浮かんだ。スターバックスまで歩いている途中、彗を探していた。彼に似ている後ろ姿が視界に入ると目が止まってしまう。いるわけがないのに。
そんな私の心境を読み取ったのか、鶴は声をかけた。
「彗のところへは行った?」
私は止まっていたシャーペンを動かした。
「行ったわ。鶴は?」
「行ってない。行きたいけど宇銀ちゃんには言いづらいし……どうだった?」
「静かに眠っていたわ。本当に眠っているだけにしか見えなかった」
「ホントにそうなんだ……」
「きっと大丈夫よ。ふらっと起きてふらっと現れるわ」
「だよね。彗ならいつも通り帰宅部員がどうたらこうたらって言ってアリナのピンチに参上しそう。ちゃんとキスした?」
「は、はぁ!?」
「キスしたら起きるかもよ。眠れる森の美女みたいに。性別は逆だけどね」
「するわけないでしょ……」
「じゃあ私がしーちゃお! 私なら絶対目覚めるはず!」
「う……」
「アリナ可愛い~! 本当に彗のこと好きなんだね。冗談だから安心して!」
鶴はケタケタ笑ってお腹を抱えた。
私は彼女の笑顔を見て久しぶりに笑みを作れた。きっと彼だって私が落ち込んでいる姿を望んでいない。再会できた時に暗い顔だったら心配するだろう。
「鶴のおかげで胸が少し軽くなったわ。ありがとう」
「そうかな? まだ胸はかなーり重そうだけど。ちょっと私にもちょうだいよ」
「……そういうことじゃないわよ」
私の夏は勉強で終わった。
受験生の夏休みなんてそんなものだろう。勉強と、散歩と、少し読書をして私の夏は終わった。語ることはない。
夏が終われば受験の空気はさらに高まる。出願の話も出てくるし、就職活動の途中過程も話として続々と出てくるだろう。
1ヵ月ぶりの教室。クラスメイトは少し焼けた人ばかりだった。最後の夏休みを満喫していたことが窺える。真っ白なのは私ぐらいだろう。
当たり前だが彗はいなかった。空席で机の中も空っぽだった。彼は夏休みが終わっても目覚めることはなく、あの病室で1人いまも眠り続けている。
「日羽、ちょっといいか」
荷物を整理していると真琴が話しかけてきた。彼の表情は少し険しく、すぐに彗のことだとわかった。私は無言で立ち上がって彼と教室から出て、校舎外まで歩いた。
「彗は本当に植物状態になったのか……?」
「えぇ。病院にも行ったわ」
「マジか……マジなのかよ……!」
真琴はしゃがんで頭を抱えた。
「あなた宇銀さんに連絡は取ったの?」
「いや知らないよ。鶴から聞いたんだ。でも信じられなくて……彗のドッキリと思って連絡したんだけど夏休みに一回も通じなくてさ。鶴を通して宇銀ちゃんに連絡取ろうとも思った。けど、マジだったらって思うと怖くて……」
「彗は静かに眠っていたわ。本当にただ眠っているみたいに」
「意識はマジでなかったのか?」
「名前を呼んでも反応はなかった。今も彼は眠っていると思う」
「クッソ、なんでだよ! わけわかんねーよ!」
私は彗が植物状態になった経緯を説明した。真琴は受け入れられないといったように地面に視線を落とし続けた。
「じゃあ二度と目覚めないってことも……嘘だろ、やめてくれよ……」
「目覚めるわ。私は信じてる。ずっと待つ」
「……そうだな。彗なら絶対に戻ってくる。地球に危機でも訪れたら駆けつけるんじゃないかな。日羽のところにもきっと来る」
「あなた意外といいやつじゃない」
「彗に何か変化があったら連絡くれると助かる。宇銀ちゃんとは面識ないからちょっとな。辛いだろうし、面倒なこと増やしちゃ申し訳ないし」
「わかったわ。でもあなたの連絡先知らないわよ」
「……すみません、教えてもらっていいですか」
「100万円用意できれば」
「彗っぽいこと言うなよ……」
大変なのはこの後だった。
担任教師が本日の予定や今後のことを話した後、彗について説明があった。彗はとある病気で学校に来られない状態にある、いつ戻ってくるかはわからない、と詳細は伏せられた内容だった。教室はざわつき、私への視線を感じた。
すぐに始業式で体育館へと移動しなければならないのだが、クラスメイトは私の席に集中した。彗との関係が濃いのは私と真琴だ。だから詳細を聞こうと私に殺到した。私は担任が言った通りと一貫して答え、それ以上は話さなかった。
彗はどうなってしまうのだろう。
休学なのか、それとも退学なのか。彼のいない高校は味気なくて色褪せていた。彼が好きだからそう映るのだろう。恋愛映画の誇張演出をやっと理解できた。彼がいれば世界は美しく華やかに見えるのに、今は解像度の低い古い映像のようだった。
始業式後、体育館を出る途中で白奈と目が合った。私は声をかけるか迷った。白奈は彗が好きなのに彼は白奈の告白を断り、そして私は彗に告白している。夏休み前もそうだったけれど、気まずさは一層高まっていた。
しかし白奈は私に近づいてきた。
「アリナさん、大丈夫?」
「え……」
「顔色悪そうだもん」
「そうかしら。いえ……きっとそうよね」
「彗のことなら心配ないよ。大丈夫だよ! アリナさんの落ち込む姿は彗も見たくないと思うよ。元気にしてなきゃ!」
「変な気を遣わせてごめんなさい。白奈の言う通りだわ」
白奈は気丈に振る舞ってくれたが彼女だって内心泣きたいくらい辛いはずだ。中学から想っている相手がいなくなってしまったのだから辛いに決まってる。
彼女の強さが私は羨ましかった。私も彼女を見習って強くあろうと思う。彼が戻ってきた時、ちゃんと誇れる私でいよう。
夏の終わりとともに、私の高校生活のラストスパートが今日始まった。
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