第53話 不穏なノックと影
餅を食って落ち着いたのか、俺の部屋への急襲作戦は白紙になった。完全に蚊帳の外になった俺はトイレに行った後、こっそり自室へと戻った。
正月から刺激が多すぎる。もはや一瞬で眠りつけるくらい精神はクタクタでまぶたが重い。
しばらく横になって時間の感覚も消え始めた頃。ノック音で目が覚めた。
ばっと起き上がって冷静に考える。榊木家で俺の部屋をノックをする者は誰か。
榊木宇銀。
うん、こいつはありえない。そのくせあいつの部屋にノックせずに入ると怒る。
母上。
ありえる。榊木家の常識人の1人である母なら必ずノックする。というか母だろう。
父上。
ありえない。そもそも俺の部屋に来ない。
「はい、どうぞ」
ドアに向かって許可を出す。
そろーっとドアから顔を出したのはアリナだった。
「な、なんで来てんだよ!? 殺しに来たか!」
「へぇ……これがあんたの部屋……」
「おいおいおい。入らんほうがいいって。事故があった部屋だぞ。昔この部屋で10人くらい人が死んでたんだ」
「よくそんな部屋で生活できるわね」
「夜中に突然首を絞められるのが難点だな」
「はいはい」
バタン。ガチャリ。
不吉な音が響いた。ドアに内鍵がついているのは知っていたが使ったことはなかった。まさか家族以外の者に使われるとは鍵自身も予想外だっただろう
机に手を伸ばして銃を握った。間違った、筆箱だ。展開的には暗殺者に追い詰められた大統領といったところだろう。最後の抵抗は虚しく終わり、消音効果付きの拳銃でさようなら。
「殺さないでくれ。俺はまだやりたいことがいっぱいあるんだ」
「そ」
「畜生め。話くらい聞いてくれ。悪かったって。仕方がなかったんだ」
「そ」
ダメか。どうやらここまでらしい。
彼女が部屋に来たのは興味本位の面もあるだろうが本命が違うことくらい俺でもわかった。駅で見せたあの表情。その伏線がここで回収されるわけだ。
俺は椅子に座るよう促した。彼女は素直に従って座り、机に伏せた。俺はベッドで胡座をかいて頭を真剣モードに切り替えた。
「30日」
「ん?」
「12月30日に父親が家に来たの」
「父親って、アリナの、その……」
「離婚した父親よ」
離婚した父親。
アリナを虐待していた張本人。
心臓の強い鼓動とともに小さな怒りが沸いた。自分の感情が研ぎ澄まされてゆく。
「……大丈夫だったか?」
「えぇ。でも……怖かったわ。暴行の記憶なんて忘れてしまったけれど身体は覚えているみたい。震えが止まらなかったもの」
「本当に大丈夫だったか? 何かされなかったか?」
「大丈夫よ。大袈裟ね」
「お前の事情を知ってたら誰でも心配するわい」
「意外と優しいのね。てっきり人類なんて滅んでしまえってタイプの人間だと思っていたわ」
彼女はクスクスと笑った。伏せていた顔をこちらに向け、一瞬目が合う。
気まずくなって俺はすぐ逸らした。
「父親がヨリを戻したいって。そう言ってきたの」
「マジかよ」
「ええ」
散々アリナを痛めつけておいて復縁したいだなんてまともじゃない。妻と娘が受け入れるとでも思っているのだろうか。救いようのない馬鹿だ。他人の父親のことだが擁護する気にはなれない。
アリナは黙って俺を凝視した。何を言いたいのかわからないが会話を続けてほしそうな目が俺の口を開かせた。
「お前とお母さんはどう考えてるんだ……?」
「無論大反対よ。いくら刑期を終えたからって無理なものは無理よ」
「入ってたのかよ……」
「ええ。改心したって本人は言ったけど信じられるわけないわ。お母さんが警察を呼ぶ寸前で帰った。近寄らない約束だから呼んでもよかったけれど、お母さんは報復が怖かったみたい」
「おいおい本当に大丈夫かよ」
「今のところは。でも、もしかしたらあなたに頼るかもしれないわ。その……男で頼れるのはあなたしかいないから……」
「まぁ盾くらいにはなってやる」
「頼もしいわ」
「俺には最終奥義・全裸がある。180ある男が全裸になって近づいてきたら誰だって怖いだろ。それを使う」
「諸刃の剣ね。楽しみだわ」
当然アリナが助けを求めてきたら全力でサポートする。例えアリナの父親と対立することになったとしても彼女たちを守ると誓える。自分に酔っているみたいで心の中で苦笑した。口に出しては言えない。
アリナは椅子から立ち上がった。ぐるりと俺の部屋を見渡すと本棚に手をかけた。取り出したのは中学の卒業アルバムだった。
「見ていいかしら」
「ぐぬ。恥ずい」
「恥の多い人生なのだから今更よ」
「俺は人間失格だよ」
アリナは俺の隣に腰を下ろした。ベッドで。拳3個分くらいの距離で。
物凄く良い匂いがふわっと漂う。背徳的な気分になりかけて思わず息を止めた。これ以上吸ったら犯罪だと思ったからだ。なぜだろうか。すごいよ、女の子。なんでこんなに良い匂いなの。
「どうしたの」
「う、うす……」
「はあ?」
俺は背を丸めた。胸を張ったら肺が膨らんでもっとアリナの匂いを吸い込んでしまうからだ。
彼女はアルバムを開いてページをめくり始めた。どうやら俺と一緒に見たいらしい。本当に新年早々刺激が強すぎる日だ。
「あ、これあんたね」
クラスの顔写真のページだ。撮影時に笑うよう指示されてみんなでふざけあったのを覚えている。極度に緊張した俺は苦笑いになってしまい、ぎこちない表情で永久保存されることになってしまった。
「相変わらずふざけた顔ね」
「俺も傷つくんだからな」
「あ、これは白奈ね。愛嬌さは変わらないものね。ね?」
「同意を求めるな」
「白奈に言うわ」
「……とても愛くるしいと思います」
「つまらない男。もっと奇抜な回答しなさいよ」
「すんません……」
1枚、また1枚と無言で捲る。他中学のアルバムを見ても面白いものなのだろうか。個人的にはアリナの美少女JC時代に興味はあるが──あ、なるほど。自分が知っている人間のアルバムなら気になるものなのか。
最後までめくり終えるとアルバムを閉じ、俺に手渡した。
「羨ましいわ。私はアルバムを見てもあまりわからないから」
「おぅ……なら次のアルバムは楽しみだな」
「どういうこと?」
「俺たちの卒業アルバムだ」
「……そうね」
沈黙が場を包み込む。気まずくはあったがピリピリはしていなかった。
彼女は足をブランコのように小さく揺らし、和んでいるように見えた。美しい横顔につい見惚れる。長い睫毛がゆっくりと宙を撫でる動きがとても魅惑的だった。
ガチャン、とドアノブが動く。
俺とアリナは顔をドアの方へと向けた。
ガチャガチャガチャ……。
俺は聞かれないよう声のボリュームを絞った。
「ヤバイ。この荒さは宇銀だ。というかお前なんで鍵かけたんだよ!」
「だって内密の話だったもの」
「ノックせずに入ってくる宇銀に対しては有効的なのは確かだ。しかしだな。高校生の男女が鍵をかけて部屋に閉じこもるのは世間的にアウトなんだよ。わかるか?」
「そうなのかしら」
「今更天然キャラになるんじゃねーよ! お前ほど天然が似合わないやついねえわ!」
ガチャガチャ……。
「にいちゃーん。にいちゃーん。なんで鍵かけてるのー」
ドア越しに聞こえたのは悪魔の声だった。
戦慄する魂。
じわりと吹き出る手汗。
逃げ場のない密室。
時を刻む針の音。
小刻みに揺れるドアノブ。
「アリナ。どういう口実で俺の部屋に来たんだ」
「えーと、トイレよ」
「流石に長すぎるだろ!」
「この変態」
「なんとでも言え!」
もうダメだ、素直に鍵を開けよう。普通にアリナが鍵をかけたって言おう。信じてくれないだろうけど。
「あんたのクローゼットに隠れるから先に出てちょうだい。私は着崩れを直してて時間がかかったって言うから」
「すげえ。やっぱ頭の出来がいいやつはいつだって冷静だな! それでいこう」
アリナがクローゼットを開けて体を押し込んでいるタイミングで、わざとらしく「あいあい開けるからガチャガチャすんな」と声を大きめにあげてドアに近づいた。
アリナの頷きを合図に、彼女はクローゼットを閉め、俺は鍵を開けた。
モラルゼロ極悪ヒューマン・榊木宇銀とご対面した。
「騒々しいな。つーかノックしなさい」
「なんで鍵かけてたの? アリナさんいる?」
「いねえよ。さっきみたいに君たちが俺の睡眠中にイタズラをしてくると思ったから鍵をかけたんだ」
「ふうん。てっきりアリナさんと2人っきりでナニかしてるのかと思った」
「そう思ったのなら尚更ノックしろよ……」
「ま、いいや。鶴さんがそろそろ帰るって。アリナさんはまだトイレっぽい」
「随分長いなあ! デカイ方じゃねえの?」
部屋でガタンッと物音がした。
「兄ちゃんホント最低だね。女の子をぞんざいに扱わないで。なんで兄ちゃんってまだ生きてるの?」
「お前のためだよ、宇銀」
「愛が重いし気持ち悪いよ」
俺の評価は低下したが、そのかいあって宇銀は階段を降りていった。俺は部屋に「もういいぞ」と声をかけてから宇銀の後を追った。
玄関で鶴と母がお喋りしていた。アリナ待ちらしい。
アリナはすぐ戻ってきた。
「ごめんなさい。着崩れてしまって直してたの」
「あらそうだったの。どれどれ」
母上が近寄り、中腰になって丁寧に整え始める。
「み、見るんじゃないわよ」
「すんまそん」
「見るなァー!」
アリナが恥じらいを見せた瞬間、怒号とともに宇銀にタックルされた。壁に吹き飛んで衝突。ゴリッと肩から嫌な音がした。いや、ブリンッだったかな。とにかく痛い。右肩と左肩がくっついちゃった。
「ありがとうございました」
「いいえ。また来てね、2人とも」
もう来るな。やめてくれよ母上。
「はい〜! ありがとうございます!」
鶴が元気よく答える。
嘘だろ。やめてくれ。
「では、今年もよろしくお願いします。お邪魔しました」
「お邪魔しました」
「はい、息子と娘をよろしくね。ほら、お兄ちゃん。ちゃんと2人に言って」
「こ、今年もよろしくお願いします……」
一礼後、彼女らはとうとう我が家から出て行った。余韻を断ち切るように玄関が閉じられる。同時に肺の空気を抜き切って脱力した。
母はすぐに口を開いた。
「お母さん、あの子たちとっても可愛くてびっくりしたよ」
「あいつらは学校でも有名だよ。色々とな」
「で、どっちなの?」
「はい?」
「鶴ちゃんとアリナちゃんどっちなの?」
「うぎんちゃーん、助けてー。お母様がご乱心ですー」
「やだー。寝るー」
俺はその後、母の誤解を晴らすために30分費やした。生後半世紀をじきに迎える母の恋愛を語る姿は、俺にとってキツイものがあったから何度も挫けそうになったが、俺の名誉低下を避けるためにも頑張った。
解放されて自室に戻ったら部屋のど真ん中に、コンビニの雑誌コーナーにある肌色まみれの雑誌が置かれていた。
エロ本だ。
なぜ俺がこれを所持しているかというと中学時代に友人とふざけて買ったからである。実際は友人の成人した兄が購入し、最終的に俺に押し付けられた。捨てるのももったいない──のではなく、捨てたら環境汚染になるため、地球平和を維持する帰宅部員として俺は持ち帰って保管を決めた。
クローゼットにしまってあったのだが、なぜクローゼットから飛び出して再び人間の目に映ろうとしたのだろうか、このエロ本は。俺は自分を騙しながらわかりきった真相から逃れるために思考停止しようとした。
しかしアリナからのメッセージで思考停止は中断された。
〈あんた最低ね。死ね〉
強烈な命令語だった。
俺が「デカイ方」と茶化して言ったことか、それともこのエロ本のことかは迷宮入りだ。触らぬ神に祟りなしである。
俺はブツをクローゼットに再び保管し、ベットに寝転んだ。
ぼーっと天井を見つめる。
アリナが心配だった。あのか弱い親子が大の男に抵抗できるとは思えない。もし父親がアリナが目的で、誘拐など企てられたら簡単に思い通りにされてしまうだろう。無事保護されるかもわからない。
どうか何事も起こらないようにと祈った。せめて毎日顔さえ見ることが出来れば予兆の1つや2つわかるのだが、今は冬休み。
こんなにも早く終わってほしい冬休みは初めてだった。
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