第44話 波木白奈の想い

 元薔薇園へと向かう俺の足取りはとても重く、何度も立ち止まってはUターンした。この不審な動きを白バイ隊員が目撃したら見逃すまい。


 元薔薇園を選んだ理由はおそらくアリナに関係している。

 アリナが何かを吹き込んだわけではないとわかっているし、人の恋路に茶々を入れるようなやつではないと知っている。

 白奈はあの場所で、俺とアリナが何かをしていたと勘付いていたのだろう。これは白奈なりのアリナに対する挑戦だ。挑戦とまではいかないかもしれないが俺へのなんらかの意思表示であることには間違いない。

 自惚れていると指をさされても言い返すことはできない。それ以外思いつかなかった。


 元職員室、元薔薇園。


 俺は手をかけ、ドアを開けた。

 たくさんあった花はアリナが取り払い、俺たちがここにいた形跡である長机や椅子は、ここを去ったあの日と同じ配置だった。

 アリナが座っていた位置に白奈がちょこんと肩を強張らせて座っていた。俺を見るなり、目に焦りを浮かべ、ぎこちなく立ち上がった。


「――あ。来てくれたんだ……」

「約束だからな」


 切れる会話。ムズムズとこそばゆい心地になる。

 

「……」

「……」


 俺はアリナがいた時のように真正面の席に座った。白奈は浅く俯き、意を決したようにほのかに赤く染まった顔を上げた。


「あのっ……私、彗が好きです……」

「……そうだったのか」


 改めて面と向かって好意をぶつけられ、俺は口籠もり、そんな情けない返答しかできなかった。

 告白の経験に乏しい俺はこの場における正しいリアクションを持ち合わせておらず、反射的に頭が真っ白になった。


「いつからだったんだ……?」

「……中学校の時から。ずっと」


 仲の良い女友だちだと思い込んでいた俺は相当馬鹿だったようだ。白奈がなぜこんなイカれた人間に構うのか不可解に思ったことが何度もあったが、ようやく今理解できた。

 同時に白奈の一つ一つの小さな行動が意味を成していたことも悟った。


 彼女が告白された時に相談してきたこと。

 進路の相談もよくしてきたこと。

 テニス部入部を耳が痛くなるくらい誘ってきたこと。

 独身貴族と豪語するとしょんぼりすること。

 アリナと関わるようになって頻繁に心配されるようになったこと。


 全てに意味があった。全てが繋がった。

 そして俺は自分をこの上ないくらい卑下した。あまりにも白奈に対してひどい仕打ちだ。手を必死に振っている相手を無視し続けてきたような非道さだった。

 俺はただのクソガキだ。


「俺なんかのどこがいいんだ? 自分で言うのもなんだが、俺はくだらない人間だ。今回ばかりは冗談じゃない」

「そんなことないよ。私、知ってるもん」

「本当に俺は……駄目な人間なんだぞ」

「私、彗が影でやってきたことちゃんとわかってるよ。産休明けの先生の荷物とか率先して持ってあげてたり、中学の文化祭では頼まれてもいないのに人手の少なかった実行委員会を助けたり……」

「帰宅部だからできたことだ。白奈。俺にとって白奈は付き合いが長いから周りの女子とは違う。だから……だからもったいなく思う」


 俺は白奈を恋愛的には好きではない。動かぬ事実と断言できる。

 可能性はあったかもしれない。俺が白奈を好きになって付き合うっていう未来も。

 俺は自信がない小心者だ。

 冗談を好むのはのらりくらりと避けられるからで、自分に焦点が当たらなくて済む。独身貴族を謳うのは一種の拒絶でもある。関わってこないでくれ、とバッテンを作って変化を拒絶する。

 だから俺は駄目なんだ。


「……でも、好きになっちゃったんだよっ!」


 白奈の悲痛な嘆きが室内に響く。俺も苦しかったが一番辛いのは白奈だと知っている。俺なんかどうでもいい。

 今にも零れ落ちそうな涙目の白奈を見たことがあっただろうか。あんなに頰と首筋を紅潮させた白奈は記憶にない。

 しかし選択は決まっている。白奈が望んでいない分かれ道の一つだ。同情で付き合ったり、志半ばで交際することは俺にできない。白奈が大切だと思っているからだ。そんな扱いは絶対にしたくない。


「白奈、俺は――」

「待って!」


 胸を押さえてやや大きめに叫ぶ。


「言わないで……わかってるから。ちょっとだけ期待してたの」


 両手で顔を覆い、俯く。


「わかってたから……彗がアリナさんを好きだって……」

「それは違ッ――」

「違くないっ! アリナさんと話してる時は心の底から楽しんでるってわかってた。あぁ、彗はアリナさんが好きなんだなぁって。もう私はどうしようもないんだってわかっちゃった」

「……いや、でも――」

「だから私は彗をこれっきりで諦める。金輪際、もうこんなことはないから安心してね」


 白奈は顔を上げて儚げな眼差しで俺を見つめた。


「実は私、彗が好きでした。言うのに3年以上もかかっちゃった……ごめんね、迷惑かけて! じゃあね!」


 手の甲を口に当てながら、彼女は元薔薇園を飛び出していった。

 俺は追いかけるべきだったのだろうか。

 追いついて、肩を掴んで振り返させて、


「   」


 何かを言うんだろう。でも何て?

 不甲斐ない俺には空白しか作れない。

 元薔薇園に残された俺は糸が切れたように椅子にドスンと座った。静寂なこの空間に花を持ってきたアリナの気持ちがわかった気がする。ここは寂しい。無機質で退廃的で、冷めきっている。


「もうわかんねぇ……」




 帰宅。


「おかえり、にーちゃん」

「おはようございます……」


 リビングから聞こえてきた妹の声にそう返すと「お母さーん、兄ちゃん壊れちゃったー!」と喚いたが俺はそのまま自室へと逃げ込んだ。

 鞄を下ろし、ネクタイを緩め、ベッドに倒れこむ。


「ふぁあああ!!」


 ジタバタと駄々をこねる子供みたいにベッドの上で暴れた。


「ぬわあああ!!」

「うるさい! 警察呼ぶよ!」


 乱暴にドアを開けた妹が脅しに近い叱責をした。

 そして閉じられ、妹の足音が遠ざかる。


「……ウワァァァアアア!!」

「兄ちゃん。久々にブチ切れるよ」

「はい、ごめんなさい」


 再び現れた妹に次は冷静に返した。

 

「何かあったの?」

「何もない」

「何かあるでしょ。何でも言って」

「よし、次から『何』禁止な。もっと気がおかしくなる」

「何があったか言ってよ」

「何は禁止だとお兄ちゃん言っただろ!」


 俺の怒りに呼応するかのように、スマホが鳴った。

 妹は「やれやれ」と口ずさみ、今度こそリビングに戻っていった。

 かけてきたのはアリナだった。また一体どうしてこのタイミングで。


「もしもし。月面からこんばんは」

「冗談を言えるくらい元気ならかける必要なかったわね。通話料払いなさい」

「まさかあの残虐非道の独裁者・日羽アリナ様から心配されてたなんて……」

「明日学校で会ったら覚えてなさいよ」

「おかけになった電話番号は、現在使われ――」

「腹立つわねぇ……」

「お前がいきなり電話とは珍しいな。いや、珍しくもないか。だいたいお前はメッセージじゃなくて通話から入るもんな」

「どうだったの、今日の放課後は」


 いきなりその話か。


「……はっきりと断る前に白奈から諦めるって言われた」

「え」

「言葉の通りだ。諦める。そう言って薔薇園から出てっちまった……もうちょっと何か言ってやれたんじゃないかって激しく後悔してる」


 アリナは絶句したようで、通話には小さなノイズだけが流れ続けた。

 

「そう……」

「なんかありがとな。わざわざ電話してくれて」

「べ、別にあんたなんか――」

「ツンデレ似合ってないぞ」

「……そ。後日、話を聞くわ。話さなくてもいいけど」

「ああ。ありがとな」

「切るわ」


 そしてまた倒れこみ、大きくため息をついた。どっと疲れが吹き出して、干物にでもなった気分だ。


「波乱の日だった……」


 白奈の告白。アリナの電話。

 色々と立て続けに起きてもうクタクタだ。

 眠りに落ちたいと体が訴える。意識が水面下に沈んでいく。そんな薄れる自我が最後に囁いた。


 これでよかったのか?


 そんなものはわからない。

 正答例があるなら教えてくれ。こんなこと義務教育で教えてもらわなかったぞ。

 

 もう考えたくなかった。

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