第38話 水族館で光るふたりの目

 アリナの私服姿は見たことがない。


 いくら雑巾絞りのごとく脳みそを絞っても私服姿の記憶はにじみ出てこなかった

 アリナの姿を想像するとまず彼女の美脚から描かれる。やつは容姿とスタイルは五つ星なのだ。それに制服はいつも足を露出するよう作られているから美脚がさらに目立つ。


 俺は今、仙台駅内のとある喫茶店でくつろいでいる。

 全面ガラスを通して通行人を眺めながら席でコーヒーを啜る。トマトジュースがなかったから仕方なくコーヒーを注文した。苦くて飲めたもんじゃない。やはり人類は理解できない生き物だ。


 休日だというのに俺は外出している。土日は家に籠もってひたすらナメクジみたいに床にへばりつきたいが、今日は真琴を追跡する仕事があるのだ。

 こんなイベントに俺一匹が単独で臨むわけはなく、アリナをしっかり呼んである。喫茶店でコーヒーを啜っているのはここが待ち合わせだからだ。


 そろそろ来てもいい頃合いなのだが、このまま通行人を眺めながら夕暮れになるまで何もしないのもありだ。人間観察はなかなかに面白い。が、モデルみたいなファッションセンス抜群の女が近づいてきた。

 日差し避けハットにサングラス。乳白色のコート。女子高生とは思えない大人びた姿で日羽アリナはご登場した。全面ガラスを挟んでアリナは俺の前に立った。あまりにも不審すぎるから俺はすぐに立ち上がってカップを返却口に持っていき店を出る。

 

「あんたなんでサングラスかけてるのよ。私と被るじゃない。それになんでスーツなの……」


 アリナは俺を見てそう言った。


「サングラスは顔の印象を残さないようにと思ってかけてきたんだ。流歌にバレたらまずいからな。まぁ俺が外そう。マスクでもする」 

「どちらにせよ身長が高いのだから見つかりやすいわよ。今回は流歌に気づかれなければいいんでしょう?」

「そうだ。何かあれば助けて欲しいとのことだ。何も無ければそれでよし。何かあれば何かする」


 自分で言っていても荒唐無稽だ。でも真琴から言葉通りそう頼まれたのだ。臨機応変には努めるつもりだ。



 電車を待つ。

 以前、アリナと地下鉄に乗ったときは夕方の退勤ラッシュということもあって立っていた。しかし今回は昼間であるため座ることになるだろう。

 俺はアリナの隣に座るべきか、スペースを空けて座るべきか、それとも立っているべきか。

 試されるのが怖かったから列車のドアが空いた瞬間、アリナより先に座った。そうすれば俺は試されない。

 アリナは普通に俺の隣に座った。

 特に何も言われなかった。なんだこれ。俺がアホみてえじゃねえか。

 

 目的の駅に降り、真琴が流歌と待ち合わせしているであろう水族館に隣接する広い公園まで歩いた。

 俺とアリナは公園には入らず、少し離れた場所から単眼望遠鏡で観察する。


「なんてもの持ち込んでるの……本当に覗き魔じゃない」

「俺は名前が宇宙に関するだけあって宇宙が好きなんだ。この小っちゃい望遠鏡は星に狙いを定める用のものでデカい望遠鏡にくっついてるものだ。でもちゃんと見えるんだぞ。ほら覗いてみろ」


 アリナに手渡す。


「あ、見える」

「だろ? そしてお前もこれで覗き魔だ。やったな」

「あんたホントに卑劣、外道……」


 真琴はそわそわと落ち着きなさそうに立っていた。

 先ほど真琴から「来てる?」とメッセージが来た。俺は「監視してるぞ。服の中まで丸見えだ」と返しておいた。返信は途絶えた。

 それから数分経ち、ついに流歌が来た。真琴はぎこちなく手を挙げていた。

 

「アリナ、いよいよやつらのデートが始まる」

「そ。なんかあったら言って。私は食べ歩きしてるから」


 アリナは棒の付いた飴を口に含みながら興味なさそうに2人組の方向を凝視していた。

 2人は予告通り水族館に向かうようだ。2人とも緊張気味で初々しい姿がなんとも心くすぐる光景で爆笑しそうになった。いつも顔を見合わせる友人のあの調子を見ると面白おかしくてたまらない。


「2人はどんな会話してんの?」


 アリナが缶のココアを啜りながら俺に訊く。


「アホ。50メートルくらい離れてんだぞ。ミュータントの俺でも流石に聞こえねぇよ」

「ほら、読唇術とかあるでしょ。覗き魔なら十八番でしょ?」

「わかったわかった。えーっと。、彗って可哀想だよな、いつも日羽に暴言吐かれて、同情する、だとよ」

「あんたの気持ちなんてどうでもいいわ」


 真琴と流歌は水族館の入り口を通って施設に入っていった。これではもう様子を見られない。


「消えちまった。どうするよ」

「え、行くんじゃないの?」

「ワオ。お前なら『あんたと水族館を回るくらいなら外で待った方がマシよ!』とか吐き捨てるかと思ってた。びっくらこいた」

「水族館で何かあったらすぐに対応できないでしょ。頼まれごとはしっかりやる。あんた彼の友人でしょ」

「アリナさんにも人の心がまだ残っていたなんて……」


 ぎゃんぎゃん言われる前に小走りで水族館に向かった。

 チケットを買い、俺とアリナはゲートをくぐった。

 もはやダブルデートみたいなもんじゃねぇか、と言いかけた寸前で飲み込んだ。こんなこと言ったら俺の首が物理的に飛ぶ。


 水族館なんていつ以来だろう。

 少なくとも制服を着るようになってからは一度もない。最後に訪れたのは小学生の時だろうか。

 懐かしい感覚がこみ上げる。まだあの頃は頭上で流れる水のように透き通っていて純粋だった。何に対しても驚き、心躍らせる。幼い自分が蘇ってガラスにへばりついてしまった。


「他のお客さんもいるんだから自重しなさい」

「わー。おさかなきれー」

「なんかムカつくわね。離れてなさい。代わりにあのカップルは私が監視するから遠くで楽しんでなさい」

「はーい、ママ」

「殺すわよ」

「すみませんでした」


 見たことのないグロい魚や変な顔した魚。

 生きててつまんなそうに穴からこちらを覗く魚。

 久しぶりに来てみると面白いなあとしみじみ感じた。

 

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