第34話 母への激白

 女子高生の家に男子高校生が立ち入る。果たしてこれはよろしいことなのか。


 常識的にはまずい。


 友だちという名目のもとで集まって遊ぶには多少なり微笑ましくなるが、男子高校生1匹が女子高生の家に足を踏み入れることは、もはや友だちの域を逸脱していると言える。


 一番怖いのはクラスメイトや同校の生徒に目撃されることだ。死を意味する。多感な年頃だからちょっとしたことでも大げさに解釈される。

 加えてアリナは母子家庭である。

 母親は心配するだろう。一人娘が見知らぬ男を連れてきたらまず男に好感は抱かない。俺だってそう思わせたくないし、苦い過去を掘り返すような要因にもなりたくない。

 だが断るにはあまりにも酷だ。アリナには味方が少ない。天秤はアリナに傾いた。


 仙台駅に向け、俺とアリナは肩を並べて歩いた。

 どうもムズムズする。放課後は行動をともにしていたのに一緒に帰るというラブコメ展開への耐性が俺にはなかった。今までは校門から出たらそこで別れていた。仙台駅に向かうのは同じだったが意識的に方向も距離も変えていた。

 長い沈黙が続く。

 車の走行音やカサカサと風で擦れ合う落ち葉の音がやけにうるさく聞こえた。緊張しているからだなと苦笑した。


「何笑ってんの」

「女子の部屋に入るのが緊張すんだよ」

「入ったことなさそうだものね」

「いや、何度も入ったことあるぞ」

「えっ!?」


 彼女は目を丸くして顔をひきつらせた。

 最近こいつの表情のバリエーションが増えた気がする。


「も、もしかして……白奈?」

「アホか。妹の部屋だ」


 そう、妹は女子だ。妹が女の子じゃないと誰かが言ったら俺はそいつを唐揚げにして骨の髄まで食らってやる。妹への侮辱は断じて許さん。

 ちなみに白奈の部屋に入ったことはない。

 この変態女は何を考えているんだ、やれやれ、と首を振っているとアリナは鞄を俺の腹にぶつけた。ハンマー投げのように遠心力を味方に付けた攻撃だったが、威力が抑えられていた。俺がここでくたばってはいけないからだ。

 

 仙台駅に到着。

 仙台駅でアリナと歩くのは危険だ。なにせ仙台駅は登下校の中継地点であり、高校生がうじゃうじゃいる。目撃される可能性が高い。

 俺はアリナに「どこのに乗るんだ」と急かした。向かった先は地下鉄で、南北線に乗り、4つほど駅をまたいだ。

 到着後は再び歩いた。やがてアリナの足が止まった。着いてしまったのだとわかった。

 いたってごく普通の一軒家だ。だが「アリナの家」と知れば誰だってたじろぐだろう。いったいどんな死のトラップが仕掛けられているのか。


「早く玄関に来なさいよ。警察呼ぶわよ」

「最終的にそうしそうだよな、お前なら」

「いいから早く」


 路上で渋っていた俺はアリナの催促でしぶしぶ足を踏み入れた。

 他人の家というものは匂いが違って新鮮だ。

 お邪魔しますの一言に続いて靴を脱いでいると、アリナの革靴以外にも靴が一足分あることに気づいた。絶対に母親がいる。


「待て、アリナ」


 俺は小さな声でアリナを呼び止めた。


「何」

「お母様がいるのか……?」

「ええ。今日は仕事休みだから」


 心の準備ができていない。

 てっきり母親の帰宅を2人で待つパターンだと思っていた。


「い、今すぐご対面ですか」

「そうだけど」


 何を言っているのかと言いたげにアリナの表情は曇った。

 俺にとってもアリナの母親にとっても、お互い他人なんだ。面識のないお母様は絶対に不安がる。女性2人だけの状況下で正体不明の男が現れるということの恐ろしさをアリナは理解していない。

 

「アリナ。まずお母さんには俺を友人として説明してくれ。怖がらせるようなことはしたくない」

「何が怖いのよ」

「お前意外と世間知らずなことあるんだな。母と娘しかいねーところに男が一匹入ってくるんだぞ。常識を持て。ネットでダウンロードできっから」

「あんたのこと信用はしてるから。問題ないでしょ」


 さらりとアリナはそう言った。俺は口ごもる。

 これは笑うべきなのか、嬉しがるべきなのか。俺はこいつの中でどんな人物になっているのだろう。

 アリナは俺を連れてリビングに通した。

 一目で母親だとわかった。アリナにめちゃくちゃ似ていて、生物とは思えないほど美しかったからだ。


「ただいま」

「おかえり。そちらは――」


 俺はアリナに念じた。

 頼むから友人として平和的に紹介してくれ。心の中で手を組み祈った。


「友だちの榊木彗。変なやつ」

「ちょっと待ってください、アリナさん。それはひどくないか」

「だって……まんま変じゃない」

「もう少し何か捻り出せるだろ。ただの変質者じゃねーか……」


 期待はしていなかったが本当に期待していなくてよかった。台無しだ。

 しかしお母様の方はくすくす笑っていたから結果オーライだったかもしれない。


「こんにちは、スイくん。アリナの母です」

「申し遅れました。初めまして、榊木彗と申します。突然お邪魔してすみません。手ぶらで来てしまいました」

「いいのいいの。高校生なんだから気を使わないで」


 アリナの母親は超美人だった。

 エレガントで背筋を伸ばした姿がアリナそっくりだ。ツンとした鼻も、宝石のような瞳も母親譲りだったようだ。美人からは美人が生まれるんだなぁと思った。


 話によるとアリナの母親はモデルの仕事をしているらしく、県外に飛ぶことも多々あるそうだ。雑誌やテレビに出ていても違和感がない。そんな雰囲気を漂わせている人だった。


「アリナの彼氏さん、かしら?」

「いえいえいえ違います違います! 本当にただの友人です!」


 俺は何も悪くないのに背後から理不尽な殺意がブワッと俺を包み込んだ。流石に母親の前では実行しないだろうが、家を出た後は背後に気をつけよう。


「お母さん、話があるの」


 芯の通った声でアリナは言った。

 冗談を投下する雰囲気は消え失せ、アリナの母親もその空気を察したように口をつぐんだ。

 アリナは鞄を置いて母親の向かい側の席に座った。彼女は俺に手招きして隣に座るよう促した。俺は機械のようなガチガチの動きで座る。ドラマで見るような「親に結婚の許可をもらう席」みたいなシーンで居心地が悪い。もうやだ、ぼく帰りたい。

 そういう恋愛がらみな話だとお母様も予想しているだろう。そう思われているのがすごく嫌だった。俺のことは「一人娘を取りに来た男」と一度は頭によぎったはずだ。だから警戒される。誰かに心臓を握りしめられている気分だ。

 

「お母さん、驚かないで欲しいんだけどいい?」

「どうしたの?」


 その「驚かないで」も本当に変な意味に聞こえてしまう。俺が考えすぎなのかもしれないが。


「実は、私――」


 彼女は言葉に詰まった。

 続きはわかる。私はお母さんの知るアリナじゃないんだ、とか、二重人格なんだ、とか。

 お母様の曇る顔が見ていて辛い。俺とアリナに何があったのかとあらゆることに考えを巡らせているはずだ。

 実は私、妊娠した。

 そのような高校生カップルの衝撃告白をお母様は絶対予想してしまっているだろう。だから俺の身の潔白のためにも頑張れアリナ。俺の無罪証明のために頑張って言ってくれ。でないと二度と太陽を拝めない社会的地位へ失墜することになる。


「アリナ、大丈夫だ」


 俺は援護射撃のつもりでそう言った。

 アリナは胸に手を当てて大きく息を吐いた。俺はまた優しく小さな声で「何も失わないから大丈夫だ」と再度後押しする。

 アリナは顔を上げて母親と目を合わせた。意を決した顔だった。


「……私には人格が2つある。私は……お母さんの知るアリナじゃないの……」

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