第25話 ふたりは守護神
死んだようにテレビ画面を眺めるのが最高の至福なのかもしれない。俺がそう悟り始めたのは最近だ。
脳の回転を停止して目で情報を受け取るだけの状態は心地良い。
なぜここまで幸福に包まれた状態になるのかは俺の脳味噌に電極を刺してモニタリングしてやっと一部を理解できるだろう。感覚とは主観なのだ。誰がどう言おうと揺るがない唯一無二の感覚。その人の「感覚」を完全に感じることなどできない。
「兄ちゃんどけて」
ソファーに寝転がる俺の足をぺんぺん叩く妹の宇銀。
占領していることへの抗議だった。しかし俺は寝転び続けた。ここで素直にどけたら妹とのやり取りが終了してしまうからだ。
「兄ちゃーーん、いい加減にしないとノコギリ持ってくるよー」
「物騒なことはやめなさい。俺の妹はそんなこと言いません」
「えへ。明日って兄ちゃん文化祭なんでしょ?」
「そうだが」
「私行くから」
「お前部活あんだろ」
「部活は日曜になったから暇だし行くー」
「じゃあ勝手に楽しんでくれ」
「兄ちゃんは誰と回るの?」
「誰とも回らんよ。文化祭の警備員兼案内係になってるからな」
「1人でその警備員やるの?」
「いや、アリナとだ」
「ふーん。アリナさんと回るんじゃん」
「そんなんじゃねえよ。仕事上の付き合いってやつだ」
「またまたぁ。嬉しいくせに」
妹まで俺とアリナの関係を揶揄するまでに至ったか。
これは妹の再教育が必要だ。今後はしっかり動向を監視していこう。
「何度でも言ってやるがな、俺は独身貴族を目指してるんだ。恋愛するなら犬のクソ食ってた方がまだ楽しめる」
「安心して。宇銀は兄ちゃんがド派手な金髪ギャル連れてきても結婚を応援するから! お母さんとお父さんが反対しても応援する!」
「俺は一生トマトジュースを飲めればいい。それが全てだ」
「そのトマトジュース好きって私のおかげ?」
「どうなんだろうな。宇銀くんにトマトジュースは健康にいいよと言われておごられてからずっと飲んでるが、健康云々より単純に美味いんだ」
「げー。すごいね。私トマトジュースきらーい。あんなの飲めっこない」
「人生の8割を損してる」
「そんな人生嫌だなぁ」
アリナと巡回中に宇銀と出くわしたら面倒なことになりそうだ。しかたねぇ、1日だけ神を信じてやろう。
神様。どうか明日は宇銀と会わないように世界の操作の方をよろしくお願いします。
文化祭当日。
多少ではあるがいつもの憂鬱な朝とは違って胸に熱がこもっていた。
人の活力をたっぷり含んだ空気が校内に漂っている。
朝礼が始まる前からバタバタとクラスメイトらは忙しく動き回っている。
午前9時から一般開放のため、既にコスプレをしている人でいっぱいだ。一時的に俺のクラスは混沌と化している。年代も世界観もぐっちゃぐっちゃの当初から目指していたであろうカオスな風景がバッチリ出来上がっている。
真琴は短パン、アロハシャツに馬のマスクという何がモデルなのかわからないコスプレをしていた。ただの不審者だった。バラエティに富んだテロリストの変装という設定だったら納得できる。
「真琴、調子は?」
「今までにないくらい快調。なんか爆発しそう!」
「そりゃいいことだ。爆発しそうになったらトイレの個室にこもれ。お前の血肉なんぞ浴びたくねえ」
「遠慮しなくてもいいのにな」
遠慮するに決まってんだろ。こいつはもうダメだ。
朝礼後、クラスメイトたちはそれぞれの動きに移行した。俺はそそくさと教室を出て生徒会へと足を運んだ。向かっている途中にアリナとばったり会った。
「よう」
「朝から嫌な顔だわ」
「そう言うな。今日はよろしく頼む」
「そ」
変わらぬ無表情で空返事する彼女。
だが俺は知っている。大きな手荷物を肩から下げて登校するアリナを。
俺は知っている。それが服であると。
ファンションショーが乗り気じゃない口振りを貫き通していたが、実際お体の方は正直らしい。やるからにはやるというアリナの精神は未だご存命のようだ。
生徒会に到着し、まずは封印していた腕章を取り出す。
パブリック・モラル
そう書かれた腕章を左腕に通す。
「なんで英語なんだ」
「知らないわよ。恥ずかしいわ」
「普通に案内係でもいいだろうに。これも会長の意向なのかね」
「バカな会長ね」
「おいっ、聞こえんだろ」
俺はわーわーと両手を振って喚き、アリナの声をかき消した。周りには原始人が狂喜乱舞しているように見えただろう。
窓の外は人だらけだった。
一般人がぞろぞろと校門を通る様子を見て、9時になったことがわかった。
放送で校内全域に響き渡る文化祭スタートの合図が放送部の声で伝播する。
『文化祭、開幕です!』
生徒会メンバーたちはオープニングイベントの為に動き始めた。
ということで俺らも行動開始だ。
「よし、じゃあまずは体育館に行くか」
「オープニングを観に行きたいのね」
「そりゃあな。オープニング中は校内が寂しくなるからな。取り締まる気にもならん。暇になるから体育館に行くんだ」
「それもそうね」
榊木彗と日羽アリナはパブリック・モラルを腕に光らせ、校内を徘徊する守護神と化した。
かっこよく言えばそんなものだろうが単純に暇人なのかもしれない。
俺としては仮装を逃れたことが一番の幸運だ。正直、あれはめんどい。俺が仮装したところで何の面白みもないだろう。そもそも帰宅部は姿を偽らない。この制服を着ている姿がこそが真の姿なのである。
体育館の熱狂はとんでもないものだった。
黒カーテンで遮光された空間にぎっしりの人間。ステージは照らされ、各部活動が順番に宣伝を兼ねて芸をしたり踊ったりしている。生徒らもノリが良く、ステージの誰かが何かをいうたびに呼応して叫ぶ。普段感じない熱気に俺は圧倒された。
バド部の紹介では真琴が既に馬のマスクを被っていた。理解不能だった。もう手遅れなのはわかっていたがあそこまでいくと救いようがなく、ただ人々の共感性羞恥を刺激する腫れ物でしかなかった。隣でアリナが「馬刺しにした方が良さそうね」と辛辣な提案をしていた。やりかねんな。
俺とアリナは背を壁に預けて、オープニングを眺め続けた。
アリナは人の多さに疲れているようで、時折長い髪を垂らして顔を下に向けた。
「出るか?」
「いい」
俺としてはアリナのファッションショー出場に影響が出ないかが心配だ。
何があっても俺は見に行く。
日頃の仕返しする方法としてベストなのは俺が最前席に居座ることだ。
こいつは俺に見られたくないはずだからな。びっくらこいて骨盤落っことしても俺がその場ではめ込んでやる。
吹奏楽の演奏をフィナーレにオープニングは終了した。
そして会長の文化祭開幕とオープニング閉会の挨拶で文化祭は堂々始まった。
「どれ、行くか」
「ええ」
生徒たちが席を立つ前に俺たちは体育館から出た。
仕事開始だ。
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