第26話 華麗なる裏切り

「騒々しいわ。本当に騒々しい」


 アリナがそう呟いた。文化祭なのだから当たり前だ。

 耳を澄ませば常に音楽が聞こえてくる。俺たちの傍を通り過ぎる生徒たちや一般人たちの黄色い声と残り香が宙に残る。俺たちはそのエネルギーに満ちあふれた廊下を歩いていた。


「あんたやる気ゼロね。顔が死んでるわ」

「そういう顔の構造なんだよ」

「気力を感じない。博物館の恐竜と変わらないわ」

「あいつらは骨だけだろうが。俺には皮と肉がある」

「あんた畜産業に就職したら? 喜んでご同業が解体してくれるわよ」

「食われる側かよ」


 2人で巡回するのは退屈だと思ったが実際やってみると面白いものだ。校内をぐるぐる回るからクラスの催し物をチラッと見ることができる。それに腕章を外せばただの生徒だ。少しサボって遊ぶのもいいだろう。お隣さんが乗り気なのかどうかが気になるが。


「アリナ、ちょっと待ってろ」

「また幼女誘拐するんじゃないでしょうね」

「声がでけぇんだよ。えん罪で捕まったらどうすんだ」

「私も叫んで罪を重くさせるわ」

「可愛くねえ野郎だな」


 アリナは腕を組み、待つことを了承した。

 俺は1年生のクラスに入った。ここはクレープを作るらしい。生徒らはエプロンと三角巾を頭に巻いていた。俺は女子生徒の販売員に近寄った。


「お嬢さん。クレープを2ついただけるかな」

「えっ、お嬢さ――あっ、わかりました! ありがとうございます!」


 俺は紳士だ。アリナ以外には。


 ふとアリナが1年の頃は文化祭をどう過ごしていたのか疑問に思った。

 本人に直接訊かなくても想像できる。どこかで本を読んでいるか、欠席したかだろう。

 1人寂しく読書しているあいつを想像すると不覚にも胸が苦しくなった。畜生、俺はアリナに近づきすぎていたらしい。あの外道に同情するまでに堕ちたか。

 しかしながらやはり楽しんでほしかった。

 眉間に皺を寄せてイラついている姿より、あいつは笑っていた方が俺の精神状態も快調へと導いてくれるし、周囲の空気も暖めてくれる。悔しいが美人の笑顔は万病に効く。


 お金を払い、クレープが作られる光景をまじまじと眺める。


「あ、先輩じゃないですか」


 背後から声がして振り返ると最近知った顔がいた。

 中谷拓。高校1年生。アリナの中学時代を知る数少ない人間だ。


「お、拓か。お前もクレープ作ってんのか」

「あんまり上手くないから女子に任せてますけどね。宣伝の方に力入れてます。先輩は1人ですか?」


 俺は迷った。激しく迷った。

 アリナが廊下で待っていることを伝えるべきか、適当に嘘ついて話をはぐらかすべきか。どちらを選んでも気まずくなる。前者は俺とデート疑惑、後者は嘘をついたことによるデート疑惑。どっちにしろデート疑惑が発生するリスクがあった。

 よし、彼の精神衛生を守ることに徹してこのエリアからさっさと退散することにしよう。


「そうだ。寂しく男1人でクレープを買いに来た。なんて寂しい世界なんだ。勝手にこの世界に放り込んでおいてパートナーは自分で探せ、だなんて神は面倒くさがり屋の迷惑者だ」


 世の不満を説いていたところに女子生徒が最悪のタイミングで声をかけてきた。


「お待たせしました! クレープ2人分です!」

「ふたりぶん?」

 

 拓は首をかしげた。

 俺はガタガタ手を震わせながらクレープを受け取った。これは断じて不安による震えではない。俺の帰宅部員としての偉大さに地球自身が震えているのだ。


「お、同じクラスのアホにやろうと思ってたんだ。ほら、あの開会式で馬のマスク被ったアホいただろ? そいつだ。そいつのぶん」

「あっ、そういうことですか。あの人目立ってましたね」

「あいつは甘いものが好きでな。可愛い1年の女子が作ったクレープを買ってこいってパシリやがったんだ」


真琴、お前がぶっ飛んでいてよかった。


「じゃあ俺は戻るわ。文化祭楽しめよ」

「はい!」


危うくバレるところだった。アリナと一緒に行動していると知ったら口には出さないだろうがモヤモヤするはずだ。今でも彼は、俺とアリナが付き合っているんじゃないかと疑っているだろう。その疑惑を完全に払拭するためには、相当な時間を要するだろう。クレープを握りつぶしたくなった。全ては日羽アリナのせいだ。


廊下に出ると早速アリナは一般人に地図を見せながらあれこれ言っていた。アリナは優しく微笑んでいた。偽りのない表情で柔らかで心地よく響く声。普段お目にかかれない彼女に見とれた。


一般客を見送るとすぐ俺に振り向いた。


「遅いわ。サボり」

「悪い悪い。ほらこれやるよ」

「あら」


彼女は目を丸くしてクレープを受け取った。そのまま固まってクレープに目を落とす。


「毒は入ってねぇよ。お前の毒舌を強化するなら毒入れた方がいいだろうけどよ」

「ふん、感謝してあげようと思ったのに」

「どっかで食うか」

「歩きながらでいいでしょ」

「風紀委員としてそれはマズイだろ」

「文化祭なのよ。許されるわ。楽しまなきゃダメじゃない」


 楽しまなきゃいけない。その言葉に今度は俺が固まった。

 アリナが文化祭を嫌っているのは俺の思い込みだったらしい。


「私、文化祭好きよ。楽しいもの」


 クレープは100円という破格の安さではあったが価格以上の味だった。

ぐるりと校内を回ってみるとうちの文化祭は食べ物がメインだとわかった。クレープ、ケーキ、焼きそば、たこ焼き、カフェ、屋台など食に関する出し物が多い。そして安い。


「馬のお兄ちゃんってどこにいるの?」


唐突に俺は小学生ぐらいの子供に声をかけられた。


「馬……馬か。もしかして馬のマスク被っていたやつかな?」

「うん」


真琴は有名になっているようだ。無垢な子どもの心を奪うなんておそろしい。


「お馬さんのところに行きたいのかな?」


アリナが丁寧に問う。俺と会話するときの口調と違いすぎる。どこで差異が生まれるのか。そんな綺麗な声を出せるならいつも出しとけ。そしたら俺はその声を録音して動画投稿サイトに流そう。世界中の人間を癒せる。あとは広告をつけて大儲けだ。

女神・アリナの声に子供はこくんと頷いた。


「じゃあ行きましょう」


行かない方がいいと思うけどな。あの馬は子どもの教育上良くない。

そんな心境が俺の顔に出ていたのか、アリナは俺の耳を引っ張り囁いた


「――従え」


その一言で俺の反抗心は消えた。こいつなら殺意だけで心臓を止められそうだ。

最近気づいたのだがアリナは同年齢に当たりが強い。いや、生徒というステータスを持っている者に対してだ。アリナはそういう傾向にある。

わかったから何かが変わるわけでもない。しかし心理状態の分析に一役買う情報だ。赤草先生なら何らかの答えは出せると思う。アリナが二重人格であるということを知るうちの1人である赤草先生なら。


 俺は赤草先生に彼女の口調や態度を治してほしいと言われた。

 だが本当は「元のアリナを取り戻してほしい」だ。今のアリナを引っ込ませ、あの天使みたいなアリナを取り戻す。


 基本人格は消えたいのか。

 基本人格は主人格を望んで作ったのか。


 主人格は基本人格を消したいのか。

 主人格は残り続けたいのか。


 俺は校内で一番アリナを知っている。そう自負できるが、皮膚一枚下は全て未知の暗黒世界だった。


 我がクラスに到着し、真琴を呼び出した。


「お前のファンだ」


 真琴は相変わらず馬マスク、アロハシャツ、短パンの姿だった。


「ようこそ仮装喫茶店へ!」


 真琴は両手を広げて歓迎する。かなり楽しんでるらしい。

 教室はコスプレイヤーで溢れていた。特に目立ったのは二渡鶴のワンピース軍服だ。血のような赤と漆黒が強調された西洋のワンピース軍服。とても似合っているので思わず俺は「おおー」と言葉を漏らした。

 その感嘆の声を聞きつけた鶴は俺の方に飛んできた。


「あ~! 彗じゃーん! アリナさんも! ファッションショー見に行くからね! 絶対行くから!」

「え、えぇ……ありがとう」

「ファッションショーか。俺も気になるなぁ」

「彗は別にどうでもいいんだけど」

「死んでたら?」


 2人から拒絶された。俺は知らぬ間に敵を増やしていたのか。

 

 教室を後にして数分。

 アリナがそわそわし出した。しきりに髪をいじったり、俺に話を持ち出したいのかわからないがチラチラとこちらを見てくる。「ションベンか?」と言ってみたいが確実に息の根を止められるから俺は口を閉じた。やつなら殺害した後も俺の墓に来て爆破するに決まってる。

 アリナはさらに数分経っても挙動不審だった。


「なぁ、その落ち着きのなさはなんだ」

「お、落ち着いてるわよ」

「いや落ち着いてねーよ。それ以上そわそわしたら学校が揺れ始めるぞ」

「してないわよ。ゴキブリの分際でうるさいわね」

「なんかあるなら遠慮なく言っていいぞ。俺は寛大だからな。俺の心の広さは太平洋並みなんだ」

「――から」

「なんだって?」

「……そろそろ、ファ、ファッションショー……だからっ……!」

「あ〜そういうことか。ほら、行け行け。見せつけてこい」


 アリナは口元をきゅっと引き締めてズカズカと背を向け歩いて行った。

 が、途中でアリナは振り返り、再び戻ってきた。


「絶対、来ないでよ」

「問題ない。俺は校内の治安を維持する。思いっきり羽を伸ばして天国まで飛んでいけ。そのまま帰ってこなくてもいいぞ」

「い、意外と応援してくれるのね」

「一応お前とは友好関係にあると思ってる。応援ぐらいする。応援してくれるやつは鶴ぐらいだろうから俺も加担してやるよ」

「キモチワルイ」

「お前らしい言葉に安心する」

「じゃあ行ってくるわ」

「おうよ」


 ま、俺もこっそり見に行くんですけどね。驚く顔が楽しみで楽しみで、このワクワク感だけで日本列島を徒歩で横断できそうだ。

 俺はアリナの姿が見えなくなった瞬間、腕章を外してポケットにつっこんだ。

 もう俺は臨時の風紀委員ではない。ただの客だ。


「さぁ行くぜ!」


 バトル漫画みたいな台詞を吐く。華麗なる裏切りだった。

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