第8話 甘い取引
「どうしました?」
じっと見つめる私の視線に気づいた副社長が、いぶかしそうにこちらを見やる。
「いえっ、その……あの……本当に、八重原様、なのかな、と」
こう思っているのはうそではない。まさかあこがれの人があまりに素敵で見とれていました、なんて言えない。
「本当ですよ。結瀬桐哉(とうや)という名前でオーダーしても、不審に思われますから、八重原桐哉、でオーダーしたのです。ところで……」
副社長は、ぐっと身を寄せてきた。耳元に吐息がかかる距離。思わず心臓が跳ね上がる。
「あなたは、うちの社員ですね。しかし、うちでは副業禁止の規定があるはずです。ご存知でしたか?」
丁寧な言葉で、副社長は私の痛いところを突く。私は目をそらし、身体を少しよじってうつむく。彼は素知らぬ顔で、この場から逃げ出したい気持ちの私を、言葉で押さえつける。ガラスの靴を王子に奪われて、帰ろうにも帰れないシンデレラ。
「あなたが僕の頼みを聞いてくれたなら、このことは内密にしておきますが、いかがですか」
「副社長の、頼み……」
私は観念した。今の職場には満足しているし、せっかく新卒の特権を駆使して入社できた企業だ。そして、なにより……あこがれの副社長のそばに、もっといたい。
「わかりました。私にできることならなんでも」
「では、僕にクロシェ(かぎ針編み)レッスンをお願いします」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます