第9話 乾杯
私は驚きのあまり声を上げそうになった。それを敏感に察した副社長が、笑顔で唇の前に指を立てる。
「私なんかが、レッスンだなんて……」
「僕は、あなたの作品にほれ込んだのです。それはもちろん、お金を出せば職人的なテクニカルなことは学べる。だが、ハンドメイドというジャンルに僕は興味を持っています。手編みで作られたニットタイ……あなたの作品をネットで見つけてから、僕はどうしても手に入れたかった。あなたの、編み物……クロシェへの心意気を感じました。それは、僕のニッティングへの思いと似ている。だが、僕は手がきつくてクロシェには向かないと留学先の英国で言われてしまった。それでも、その繊細さを自分で編むことを諦められなかった。だから、僕のほれ込んだ作風でクロシェの高い技術を持つあなたに、レッスンしていただきたい。お願いできますか?」
副社長の目は、少しだけうるんでいるように見えたが、それも少しの間だけ、すぐに彼はエリートらしい自信にあふれた笑顔に戻った。
「……わかりました。」
「それはよかった」
ちょうど運ばれてきたカンパリソーダとウイスキー、チェイサーが、テーブルの上に静かに置かれた。ウイスキーは、とても芳醇な香りがした。副社長は、これはジャックダニエルですよ、と教えてくれた。
「カンパリソーダ、おいしそうです」
「それはよかった。実は、あなたが見ていたひまわりの色に合わせました」
副社長はそんな粋なはからいをさらっと嫌味なく言うと、グラスを持ち上げた。
「では、我々のクロシェレッスンの始まりに、乾杯」
目の高さで、アイコンタクトの乾杯。ここはビルの7階、眼下に広がる都内の夜景は、私の知らないセレブリティたちの夜も重なり、静かに更けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます