第10話 静かな涙

あいのご両親の奮闘の甲斐あって、つむぐや愛、琴美ことみはリビンの襲来をしのいだ。

リビンが去った後、高校から逃げてきた人々は、お互いに身を寄せ合いながら、当初の目的通り、陸上自衛隊駐屯地を目指すことにした。愛のご両親や浅井巡査が先導して、一行は歩き出した。

紡は、担架の上で気絶しており、一緒に高校から逃げていた人達に運ばれている。能力のおかげか分からないが、出血などはいつの間にか止まっていた。


人々が恐怖からの解放に安堵している最中も、愛はずっと紡の手を握りしめて紡の無事を祈っていた。


遂に、陸上自衛隊駐屯地に到着した。紡達がゲートに近づくと、門番により止まるよう指示された。


「あなた方は、避難してきた方ですね。只今、敷地内は、避難してきた人で混み合っております。負傷者がいますね。負傷している方は、こちらの方角に100 m行きますと、診療所がありますので、そちらで治療を受けてください。負傷していない方は、あちらの体育館が避難スペースになっておりますので、そちらに移動してください。」


愛のご両親と愛、琴美、浅井巡査が、紡を診療所まで運ぶことになり、門にて他の人々と別れた。


診療所も、沢山の負傷者でごったがいしており、血を流している人、意識がない人、すでに亡くなった人、泣いている家族、家族を探している人など、阿鼻叫喚な絵図を呈していた。


診療所の中には、入れなさそうだったので、診療所の外で医官の診察を待った。


愛のご両親は、総務省リビン対策班への連絡及び、自衛隊との情報交換のため、駐屯地司令官の元に向かった。


15分くらい経っただろうか、愛や琴美が眠気に襲われ始めた頃、1人の若い看護師さんが初検のためにやってきた。


「お名前を教えてください。」


看護師さんが愛に、尋ねた。


「は、はい!神楽愛です。」


眠気に耐えていた時に、不意に声をかけられたため、愛は驚きながら答えた。


「えー、いや、ごめんなさい、あなたのお名前ではなくて、こちらの意識がない男性のお名前をご存知ですか?」


「あ!すみません、この人は、五ノ神紡ごのかみつむぐと言います。」


——『五ノ神紡さんっと』


看護師さんは、呟きながらカルテに名前を記入し、初検内容を記載した。記入し終えると、今度は浅井巡査の方を見た。


「あなたも怪我をしていますね。あなたも診察を受けますか?」


浅井巡査は、高校の校門でリビン兵に応戦した際に、左腕を負傷していたため、血が左腕のワイシャツに滲んでいた。


「ありがとうございます。ですが、本官は結構です。それより先に一般市民の方々を優先してください。」


浅井巡査は、看護師さんにそう伝えると、今度は、看護師が穏やかな表情で話し始めた。


「そう言わずに、一度、医官の先生に診ていただきましょう。警察官だからといって遠慮なさらないでください。私の父親も警察官なんですが、すぐに一般市民が優先だとか言って、自分はなんでも最後にしようとするんです。そうした方がいい時もあるとは思いますが、今は違います。怪我をされているならば診てもらいましょう。お名前は?」


浅井奏太あさいそうたです。あの、あなたの父親は警察官なのですね。」

浅井巡査は、藪から棒な話だったため、咄嗟に看護師さんに聞き返した。


「そうです。貴船警察署で、確か……今、課長とかだったような気がします。」


それを聞いた途端、浅井巡査の表情が、暗くなった、一抹の不安が浅井巡査の脳裏をかすめた。ただの不安で終わってくれと願いながら、浅井巡査は看護師さんに話しかけた。


「つかぬ事をお伺いしますが、あなたのお父さんは、井上務いのうえつとむさんですか?」


「そうです!ご存知なんですか?父のことを……。」


「はい、本官は井上課長直属の部下でして、井上課長には大変お世話になっております。」


「そうですか。あの人結構頑固なところがあるから、あの人の下で働くの大変ですよね。あっ、申し遅れましたが、私、井上務の娘の井上雪と申します。」


看護師は、屈託のない笑顔を浅井巡査に向けながら、父親の話をした。

そして井上雪は話し続けた。


「申し訳ないんですが、今、井上務がどこにいるかなどはご存知ですか?」


雪は、運ばれてくる患者を診ながらも、内心ずっと父親のことを気にしていた。警察官である父親は、この事態に絶対対処しているはずであるため、心配でならなかった。しかし、看護師という職務上、職場を離れることはできないため、浅井巡査が、父親の部下だということを聞いて、父の動向を聞かずにはいられなかった。


「井上課長は………………。」


浅井巡査は、『井上課長は大丈夫だと思います。』と言おうと思った。しかし、実際、リビン兵と対峙し、リビン兵の人智を超えた強さを知った浅井巡査は、井上課長がリビン兵と高校の校門にて応戦したとして、勝ち目は低いはずで、もしかしたら既に井上課長は殉職してしまっているかもしれないと考え、それを雪に伝えるかどうか迷ってしまい言葉を詰まらせた。


しかし、その動揺は、雪に伝わってしまった。


「浅井さん、真実を教えていただけませんか?」


浅井巡査は、雪さんの真剣な表情を押し負けて、事の顛末てんまつを話した。


井上課長とリビン兵と戦ったこと、高校の校門で別れたこと、ここまで市民を引き連れたこと、無線に出ないことなど、井上課長が関わったことについては洗いざらい話した。


「となると、父は…………。」


雪さんは、それ以上言葉を発することができなかった。




そして、一筋の涙が静かに流れた。




流れたと同時に、雪さんは手で涙を拭い凛とした態度に戻った。


「変のところをお見せして申し訳ありません。分かりました。貴重な情報ありがとうございました。父が守りたかったあなた方が無事でいてくださって良かったです。医官の先生が来るまでお待ちください。」


「大丈夫ですか?」


浅井巡査は心配そうに尋ねた。


「大丈夫です。今は非常時です。私は私の務めを果たすだけです。」


そういうと雪さんは別の負傷者のところへ去っていった。浅井巡査は、去り際に、雪さんの顔が脳裏にこびりついて離れなくなっていた。悲しいけれど、悲しい顔をするいとまも無い、人のために尽くす、優しく強いけれども、やるせない彼女の表情を……。


「悪いことをしてしまったな。」


浅井巡査は呟いた。一連の話を聞いていた愛と琴美は、浅井巡査にかける言葉が思いつかず、


「浅井さんが悪いことなんてありません。浅井さんがいなければ、私たちはここまでこれませんでした。」


としか、言うことができなかった。


そして、この数日後、浅井巡査は、井上課長や同僚が、校門前で殉職したことを知ることになる。

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