オレンジ+ブルー
――また買ってきたの?
呆れた声に出迎えられて、浮かれ気分は霧散した。
今日は寝坊して、スーパーのチラシのチェックが遅かった。「特売!先着百名様!」に間に合わなくて絶望を胸に買い物をあきらめたのだった。
ところがだ、目薬を買いに寄った薬局で思いがけない掘り出し物に出会う。
愛用しているブランドの台所用洗剤の詰替パッケージがなんと半額以下! リニューアルしたとかで、古いものが処分価格になっていたのだ。
ワゴンに乗せられた商品は残り7個になっていて、私は迷わず全部をカゴに入れた。
ふらふらしながら両手に下げて持ち帰り、玄関に戦利品を置いたところでの弟の一声である。
――この前買ってたじゃん、無駄遣いだよ
おかえりも言わずに、この言い草である。
茶碗洗いはしない、買い出しの荷物持ちにすらついてこないのに口だけは小舅さながらだ。
私は腹立ちを隠すことなく、床を踏み鳴らして台所に向かう。
流しの下の収納を開ければ、そこには買い置きの品が積み重なる。台所用洗剤の詰替は先週10%割引のときに買い足していたから、合計16個になっていた。
――姉ちゃんさぁ
いつの間にか小舅が背後に立っていた。
――腐らなくても古くなるんだし、そうやって場所を食われるってこと考えないわけ?
私が口をへの字に曲げていることに気づかない小舅は、過去にも聞いたことのあるうんちくを垂れ始める。
――専有している場所の家賃を考えたら高いんだよ
――もっと少量で効果のある、しかも安い品が出てもさ、この在庫がなくなるまで乗り換えられないんだよ?
――それにさ
弟は死ぬ前の祖母にそっくりである。テレビの受け売りを持論のようにまくしたて、相手が服従するまで言い続ける。
祖母との戦いに疲れ果てた母は出ていったけれど、私はまだ家を出られない。
――ひょっとして明日火事にでもなったら全部パァなんだよ?
――洗剤も、砂糖も、歯ブラシもさ、いくら安いからってそんなに余らせてたら、倍つぎ込んでいるようなもんじゃないか
でも弟は買い物に行かない。今日の目薬だって、買い物に行くといった私に彼が言いつけたのだ。私のために買うものなら予め計画しておいてポイントが5倍になる火曜日に買いに行くのに。
私がだんまりを決め込んでいると、満足したのか弟は去っていった。痛いところを突かれてぐぅの音も出ないと誤解してくれたのだろう。
そんなことあるわけないのに。弟の指摘はもう過去に2回聞いているし、なんならテレビでコメンテーターも言っていたし。
母は醤油や米を買いだめしていた。古いものから使うから、私たちはつねに古いものを口にしていた。それを祖母はちくちく注意し、母はそれを聞き流し、安売りを見つけては買いこみつづけた。
祖母だってトイレットペーパーだけは過剰にストックしていた。これだけはある日なくなると困るからね、と言っていた。
父は冷蔵庫の缶ビールが切れていると怒り出すし、弟は水筒を持ち帰り忘れる頻度が高いからスペアを4本も所持している。なんなら洗濯に出し忘れて月曜に困るという理由で二着目の体操服も購入している。
誰が一番ましなのか、神様だって裁くのに難儀するだろう。
台所用洗剤の詰替パッケージは座りが悪く、積み重ねると崩れ落ちてきた。16個目がどうしても収まらない。
さすがに買いすぎだったかもしれない。
これを使い切るまで何日だろう? ふと私は考える。
コンパクト容器だかなんだかで小さくなった本体容器は95 ml。満タンにしてもだいたい2週間でなくなっている。詰替パッケージの内包量は330ml。約4回詰替といいながら、かなりケチ臭い。
2週間が3回と、2週間の2分の1くらいが1回。49日、だいたい50日か? それが16個だから――面倒になってきて、私は思考を停止する。
たぶん2年くらいだ。
正確な数字なんて知ったところで意味はない。使い切るのを早める必要も、遅らせる必要もないのだ。重要事項はこの先、定価で買うハメに陥らないこと。
2年という長期保証に私は大いに満足する。
使いかけだったひとつが詰め替えたらちょうどなくなりそうだった。私はそれを取り出して、入らなかった最後のひとつを積み重ねて扉をしめた。
本体容器は他ブランドのものである。もらい物でうちにやってきてそのまま居着いている古顔の熟練だ。もとの香りは柑橘系だったがどんな感じだったかはもう覚えていない。
私は本体容器のノズルを外し、詰替容器のキャップを外した。
詰替容器から透き通るブルーが垂れ出てくる。
受け入れる容器は向こうが透けるあざやかなオレンジだ。
ブルーはオレンジの中に吸い込まれて、光を失う。
オレンジは茶色に、ブルーは濃緑に。美しい色はかけあわされて醜く変わる。
私はあと2年はこの光景を見続けるのだ。
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