半額セール

 そのおじさんはいつも7時になると現れる。惣菜売り場をうろうろして、弁当を片手になかなか立ち去らない。

 半額シールが貼られるのを待っているのだと、私は知っている。だからわざと目を合わさず、仕事に集中しているふりをする。けっして間違っても

「そちらにもお貼りしましょうか?」

 なんて言わない。


 今日のおじさんが選んだのは鮭のマヨネーズ焼きが入ったお弁当だった。3つ残っていたうちのひとつをいつものように手にキープしたまま、おじさんは惣菜売り場をうろうろする。

 商品を見比べているようなフリで、ちらちらと腕時計を気にしている。

 うん、今日の半額値下げは鮭のマヨネーズ焼きが最後になるように回ろう。


 このスーパーで働き出して3ヶ月。ついこの前から値下げ作業を任されるようになった。ラベルプリンタの操作も速いし、おばちゃんのように顔見知りとおしゃべりをしないのがいいと店長は褒めてくれる。

 まあ、私は人付き合いが下手だから話すような相手も来ないし、客受けが悪いから誰も話しかけてこないだけなんだけどね。


 おじさんは明らかに私の近くを多めに通る。

 私は黙々と、大量に余った幕の内にシールを貼っていく。栄養バランスも考えられているしボリュームもあるし、絶対お得なはずなのにこいつはよく残る。作りすぎなのか、半額になってやっと勝負に出られるていどの味なのか。

 おじさんが視界の端を行ったり来たり。鮭のマヨネーズ焼きもちらりほらり。


 ――いいからその20%割引で満足して買いやがれ

 ――たまには定価で買いやがれ


 そのくらいは言ってやりたい。絶対に言えないけど。

 昔からそうだ。心の中で悪態をついているだけならいいのだが、つい調子に乗って口にしてしまうと窮地に陥る。気の弱そうな人だと油断していると実は弁が立ち言い負かされることになったり、逆上されて腕を振り上げられて無様に逃げ回るはめになったり。

 まわりの人たちはかんたんに攻撃的な話題には乗らないし、なんならたしなめてくるし、そうしたら悪者は私一人だ。困ったちゃんとみなされて疎外されてしまう。

 今までそうだったのだ。おとなしく、おとなしく。

 客を罵倒なんかしたらクビ間違いなし、下手すれば店を出禁になったり、怖い女だと後ろ指をさされて近所を歩くこともできなくなるかもしれない。まだ異性との出会いをもとめている独身女にそれはきつい。

 私は無表情をつらぬく。絶対に顔を上げるもんか。


 ああ、でも――私は空想し、おそろしくなる。

「これにもお願いします」

 なーんて声をかけられたらどうしようか?

 ああ、いやだ。いい返しが浮かばない。仏頂面でシールを貼ってやるしかないじゃないか。


「てつだおっか?」

 勤務歴が1年だけ先輩のサチコさんが声をかけてきて、私はハッと我に返り、手にしていたシールを落としてしまった。とりやすいよう予め台紙が半分ない構造のシールは、ワゴンやエプロンに触れただけで台紙を離れはりついてしまう。これはもう使えない。私は内心舌打ちする。

 私がはいもいいえも答えないうちに彼女は近くにある弁当からワゴンに引き上げはじめた。そこには鮭のマヨネーズ焼きもある。

 仕方なく、私は鮭のマヨネーズ焼きの半額シールを発行する。これが貼られて売り場に戻されたら、きっとあのおじさんは手に持っている弁当とそれを交換しにくるに違いない。

 ああ、いやだ。手に握りしめていたのだからそれを買えばいいのに。

 ああ、いやだ。計画が狂ったじゃないか。


 サチコさんの登場で売り場の雰囲気が変わった。

 あのおじさんだけでなく、やはり半額処分を待っていた人たちがぞろぞろと集まってきた。

「お姉さん、これもお願いできないかな」

 一人がそう切り出し、彼女が快くOKすると、次から次にキープされていた商品が差し出された。


 ああ、だから、いやだったのに。


 最後におじさんがやってきた。おずおずと鮭のマヨネーズ焼きを差し出し、サチコさんにシールを貼ってもらうと嬉しそうにお礼を言った。

 私はどうしようもない敗北感に包まれる。


「あのおじさん、いっつも来るよね」

 サチコさんがふふっと笑いながら言った。

 いつも笑顔ではきはきとしゃべる彼女はなんと私と同い年だという。そして若くして結婚しているという。なんなら子供は小学生で今の時間はパパが面倒を見ているのだという。

「半額じゃないと買わないなんて、ねぇ」

 と私が言えば、サチコさんは

「半額でも買ってくれるならいいじゃない。残っても廃棄なんだから」

 となんでもないように返す。

 それが私にはカチンとくる。定価で売れた良品がみせる余裕は、売れ残りにとっては侮蔑にしか感じられない。

 私がシールを印刷するペースに合わせて、サチコさんは商品を回収してくる。私たちは売れ残りたちに半額の烙印を押していく。


 作業はいつもの二倍速度で進む。

 半額になると商品はどんどん消えていく。

 あの幕の内も徐々に数を減らしていった。


「おつかれさまでした」

 閉店作業が終わるとサチコさんは元気な挨拶をしてダッシュで帰っていく。

 とぼとぼと帰路につく私は今日の晩ごはんは何にしようと考える。一人暮らしのアパートに待つものはいない。今から料理する気にもならない。

 2つ残った幕の内は独身の男性社員が買い取っていた。なんとなく皆の前で弁当を――それも半額弁当を買うのは恥ずかしくて手出しできなかったが、あれがあると楽だったのになと思う。

 


 ふと見るとそでに半額シールがくっついていた。

 私は深く、行き場のないため息をつく。

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