ウサギの死

 夏の少し前のことだ。いやもう夏だったかもしれない。その日はじっとりとした風がそこらで吹いていた。私は相変わらず利用者のいない図書室で留守番をしていた。隣には憂鬱そうに髪の毛をもてあそんでいる少女が座っている。

「湿気はだめだね、ウチの天敵」

 少女はそうため息をついた。

「なんもかわらないようにみえるが」

「いやはや君の慧眼には恐れ入るよ。五ミリ。わかるかい? 髪の毛を含めた頭囲がそれだけいつもより膨らんでいるんだ。この違和感がめっちゃウチの気に障る。今日なんど廊下の壁に髪をぶつけたことか」

「もっと真ん中歩けばいいのに」

「近くに壁がないと安心できなくてね」

「傭兵かよ」

「ははっ」となっさんは笑った。少し気が晴れたようだ。私たちは少しぼんやりする。図書室なので湿気は教室ほどない。なっさんの髪もすこしふんわりしてだけだった。スマホをいじっていたなっさんが顔を上げた。その横顔を見つめていた私の視線とかち合った。気恥ずかしさを紛らわすために私は聞いた。

「なにしらべてたの?」

「ウサギ惨殺事件」となっさんはまじめな顔で言った。私は怪訝な顔をしていただろう。

「どういうこと?」

「ウチの母校の小学校で起きたんだ。って。四肢は切断され、頭も切り離され、それはもうバラバラの状態だったようだ」

「不穏だな」

「うん。ただもうこの事件は解決してる」

「犯人捕まったの?」

「捕まっていないさ、誰もね」

「誰も捕まってない事件を解決したって言うのはおかしいだろ」

「だから面白いんじゃないか。今朝、恩師がその事件の相談の電話をしてきたんだが昼にはもう解決した、あの話は聞かなかったことにしてくれって、そんなふうに言ってきたんだ。すごく気になっちゃうよな」

 私はその言葉を聞いて少し考えた。いや考えるまでもなかった。

「僕には簡単な話に聞こえる。ようはもみ消したいんだ。調べてみたら学校関係者がかかわってたのだろう」

 それを聞いたなっさんはすらりとした指で自身のあごをなでた。

「そうかもしれない。ただウチが紹介した刑事さんにもラインでこう言われたんだ、事件は無事解決したよって。あの刑事さんがそういうんだからもみ消したとかそういう話じゃないんだよね」

「どの刑事さんかは知らないけど、というかなっさんに刑事の知り合いがいるのが驚きだよ」

「ああ、正確には元刑事さん。退官した今は趣味で探偵みたいなことやってる人でね、警察沙汰にはまだしたくないけど調査はしっかりできる人を知ってるかって聞かれたから紹介したんだけど、おかげでさガードが硬くなっちゃって情報をもう教えてくれないんだ。だから朝に聞いたウサギが密室でバラバラになったっていうことしかわかってない」

 私は少し考えた。つまりはこうだ。

「結局事件性がなかったというならなんらかの動物がやったんだろ。人間が悪意を持ってやったわけじゃないってことだ」

 なっさんは感心するように私を見た。

「君、なかなか考えとるなあ。ウチはそこまで考え付かんかったよ」

「うそだな。いちばんに思いつくはずだ」

「ひょっひょっひょ」となっさんは気味悪く笑った。それからスマートフォンを出した。白魚のような指で画面をタップして文字を入力していく。先ほどとはうって変わってかなり機嫌がいいようだった。

「なにしてんの?」

「君の仮説が正しいのか気になったんよ。んで、ウチはこのあと現場に行くけど君も来る?」

 なっさんはいたずらっ子のような笑みを浮かべて私を見た。私は何も考えることなく頷いていた。


 そういうことで私たちはなっさんの母校へと来た。着いたのは16時ごろのことで空はすでに鈍い色になっていた。校庭では子どもたちがサッカーをしている。なっさんは何食わぬ顔で校門から入った。卒業生でもない私は気後れしながらも着いていく。

 なっさんはまっすぐ飼育小屋へと向かった。校舎の裏にあって背の高い木々に囲まれていた。生い茂るのを防ぐためかところどころ剪定されていた。小枝がまばらに地面で転がっている。飼育小屋の奥には網目フェンスがあって、さらに奥には藪が広がっていた。

「そっちにはちょっとした山があってさ、自然学習とかでよく行った。一匹野良犬が住み着いていてウチめっちゃ吠えられた。なつかしい」

 なっさんはそう言いながら飼育小屋の周りをうろうろしていた。私は小屋から少しはなれたとこにあるピンクに塗装された犬小屋を見つめながら言った。

「野良犬って危なくないのか?」

「なに、管理された野良犬だよ。人を噛んだことないし、エサは誰かがちゃんとしたのをやってる。ウチに吠える以外はよくしつけられた犬だね。ずいぶん掃除したみたいだな。きれいになってる」

「中がってこと?」

「うん」

 私も飼育小屋を観察する。広さは乗用車の駐車スペースひとつ分。全体の形は横長で四面を囲う壁は目の細かいフェンスとなっている。下のほうは少し穴が大きくなっていたがそれでもうさぎが出入りできるような大きさではない。フェンスに接している基礎の部分は薄汚れたコンクリートであった。なかのスペースは二つに区切られていて、片方には数羽のチャボたちがうろうろしていた。もう片方は空で、そちら側に出入り口用のドアがついていた。チャボのほうに行くには中の仕切りにある扉を開けなければならないようだ。

 入り口となっているドアを見に行く。外側へと開くドアでノブのところには鍵はついていない。その上にある大き目の南京錠が戸を閉めていた。それをなっさんは触って言う。

「あけようと思えば鍵がなくても開けられるタイプ。完全な密室ってわけでもない」

「厳密に言えばそもそも完全な密室なんてこの世にないだろ」

「そのとーり」となっさんは笑った。「ただ人間スケールではね、不完全な密室というのは大量にあるのだよ」

「不完全な密室って」と私は笑っていた。だがなっさんはまじめだった。

「問題はなぜわざわざ密室にしたのか。そこだな」

「発見を遅らせたかったんじゃない」

「なんのために? バラバラにしてこの部屋中に四肢を散らばせたというのになぜ発見を遅らせる必要があるんだ。うさぎの死体を隠したいならそこの林に埋めればいいじゃないか」

「いたずらあるいは嫌がらせじゃないのか? 鍵閉めとけば少なくとも開けるまでウサギの死体は散らばったままだろう。それを維持しておきたかったんだ」

 私はそう言ってなっさんを見た。なっさんはぼんやりとした様子で空っぽの部屋とチャボの歩く部屋を見比べていた。その白い指があごをなでる。

「まるで人間がやったみたいだな」

「人間がやったんだろ。僕がさっき言ったことはぜんぜん違ったってことさ」

「だとすれば丸尾さんが解決したといった理由がわからない。犯人がいたとしても捕まえたわけでもなさそうだしね」

「ちゃんと聞けばいいじゃないか。僕も一緒にその人のとこ行かせてよ」

「いいけど、ウチへの警戒心高いから話してくれるわからんのだよ」

「どういう仲なんだよ」

「いろいろあったんだ。いろいろね」

「まあいいさ。で、どうするんだ。ここに来てわかったことってのは、飼育小屋は案外セキュリティが高めで、野生の動物じゃあ突破できないやつってことだ。どう見ても人間がかかわってる。この学校の誰かに話を聞こうにも確実に煙に巻かれるっていうんだろ。何もすることがない。おてあげだ」

 私がそう言うとなっさんは笑った。

「そろそろ来てくれるはずだ。お、こっちだこっち」

 なっさんは校庭のほうからやってきた少年に手を振った。目の細い少年だった。彼は私のことをちらりと一瞥してからなっさんの前に立った。

「急になんだよ」とその少年は声変わりしてないのどでしゃべった。

「今日事件があったんだろ? そのことでなんか聞いてない?」

「ガキどもの遊びが気になるなんてずいぶん暇なんだな。俺は暇じゃないから何も知らない」

「おいおいおい、つれないなわが弟よ」

「弟?!」と私はつい口を挟んでいた。なっさんに弟がいるなど知らなかったのだ。

「そう、かわいいかわいいうちの弟だ」となっさんは少年を抱き寄せた。少年は釣り上げられたアユのように暴れてその腕から逃げた。

「なんだっていうんだ。もういいか。今日は久しぶりに暇なんだから帰ってゲームしたいんだ」

「この飼育小屋でうさぎが惨殺されたっていう噂は流れてないんだな?」

「は? ……、確かにうーちゃんがいないな。だがそんなうわさを俺は知らない。……、ただそこを見る限り知る必要もないように思える」

「ふむ。まーちゃんは?」

「先生と用務員のおっさんたちといっしょに藪山へ蛇狩りに行ってるよ。みなみしょーのマングースとはわたしのことだっつって」

「元気だなあ。噛まれなきゃ良いけど」

「もういいか? 俺もそれについていかないといけなくなった」

「ああ、まあそうだろうな。気をつけろ、わが弟よ。蛇は狡猾だぞ」

「言われなくてもわかってる」

「あ、あと藪山にすむあの野良犬は元気か?」

「野良犬? ジョンのことか? ジョンなら先月6年生たちに新しい家作ってもらってたぞ。あそこに見えるだろ? 今はいないようだが」

 少年はそう言って飼育小屋の少し先にあるさきほど私が見ていた前衛的な犬小屋を指差した。

「あいつ、山から降りてたのか。そうか。ならよかったぞ」

「吠えられるとビビるけど。じゃあな」

 そう言い残してなっさんの弟は走り去っていった。弟との短い再会を終えたなっさんは考え込むようにあごをか細い指先でなでていた。

「かしこそうな弟さんだ」

「ウチよりかしこいさ。わが弟が深く詮索をしなかったということは、この事件はそんなに複雑なものではないってことだ」

「そうなのか? 僕にはまったくわからないんだが」

「もう要素はそろったよ。あとは仮説をつむぐだけさ」

 なっさんは少し悲しそうに笑った。


 日はまだしぶとく空にかかっていた。通りまで子どもたちの嬌声が響いている。我々はなっさんの母校をあとにして家路を歩いていた。なっさんは髪の毛を気にしながら言った。

「怪物がウサギを殺したんだろう」

「いきなりなんだよ」

「そういうことにしたほうがいいと思ったんだ」

「なっさんも事件を闇に葬り去るんだな」

「キミはどう思った?」

「僕? そうだな、愉快犯の犯行にしてはおとなしすぎる。動物がやったにしてはあまりに人工的にすぎる。なので小心者のいたずらなんだろうなと思うことにするよ」

「いたずらか。そうだったら良かったな」

「なんだい、なっさんはもう全部わかったんだろ? 教えてくれたって良いじゃないか」

「なあに、ウチだってわかっちゃいないさ。ただなんとなく思いついちゃっただけだ」

「出来ればぜひその思いつきをうかがいたいね」

 私がそう言ってなっさんの顔をうかがうと困ったように笑った。

「キミはずるいなあ。そんなかわいい顔で聞かれたら全部話したくなっちゃうもん」

「そんなにかわいい顔してたつもりないんだけど」

「無自覚のかわいさか。末恐ろしいぜ」

「なんか煙に巻こうとしてないか?」

「ああ、わかったわかった。ちょっと喫茶店よろうぜ。マープルって言うんだけど。プリンが美味しいんだ」

「いいよ。僕がおごろう。なっさんからただで聞くのもなんだしね」

「ふとっぱら!」

「ふとってない」

「どんぶり勘定!」

「なんか違うよそれ」

 我々はそんなことを言い合いながら駅前商店街にあるという喫茶店マープルに向かった。からんころんと鐘をならして店内に入ると初老の男性が我々を迎えた。いらっしゃいと微笑み、お好きな席をどうぞとメニューをなっさんに渡してカウンターへと戻っていった。我々は奥のボックス席を選び、対面に座った。なっさんはメニューをチラッと見てから私にも見せた。

「アイスコーヒーとプリンだな」

「じゃあ同じので」

「おっけー。マスター、自家製プリンとアイスコーヒー2セットよろしく!」

「かしこまりました」

 マスターとなっさんに呼ばれた男は我々のテーブルにお冷とおしぼりをふたつ置いてから店の奥へと入っていった。おそらくそこにプリン工場があるのだろう。なっさんは熱心におしぼりで手をふいてから、水をぐびぐびと飲んでいた。

「水もうまいねえ」

「いい雰囲気だ」

「うん。たまに来るのだ。ウチがはじめて入った本格喫茶店でもある」

「で、さっきの話なんだけど、ウサギはなぜ殺されたのか教えてくれないか」

 私がそう言うとなっさんは軽く笑った。

「なぜ殺されたか、か。それはどうしてだろうね。ウチにもわからん」

「は? いたずら目的でバラバラにされたとかそういうのじゃないのか?」

「殺してバラバラにしたのならそういうこともありえる」

「そうじゃないっていうのか?」

「たぶんね」

 どういうことだと私が言葉をつごうとしたら、マスターが注文の品を持ってきた。彼はとんとんとんと品物をテーブルに広げていき、ごゆっくりと言って去った。なっさんはストローをグラスにさしそのままくるくると攪拌をはじめた。どことなく物憂げであった。私はスプーンを手に取りプリンをすくった。口に入れるとほどよい甘さが広がった。一度プリンを置きアイスコーヒーを一口飲む。ほろ苦さが舌に乗った。

「キミはほんとおいしそうにたべるなあ」

「おいしいからね。で、なっさんどういうことなんだ」

「はあ、まあこれはあくまで想像。ウサギを殺したのとバラバラにしたのは別なんだ」

「それは、つまり、実行犯がふたりいるってことか?」

「いいや人間は一人さ」

 私はその言葉を聞いて理解した。なっさんは続ける。

「やぶにいた蛇がウサギを締め殺したんだ。その死体を誰かが見つけてそしてバラバラにした。おそらく近くにあった剪定ばさみを使ってね。問題はどうしてばらばらにしたのか。まるで人間がやったように主張するかように」

「……、ジョンをかばうためか」

「そう。たぶんね」

「そうか。なるほどな」

「プリン美味しい」

 そう言ってなっさんはプリンに没頭し始めた。私はなっさんの想像に肉をつけはじめていた。その生徒は朝はやくに登校しウサギにエサをやろうとした。だがウサギは死んでいてそのそばでは犬が吠えていた。犬が殺したのだと勘違いした生徒は、犬が処分されないようにウサギをバラバラにした。人間がやったのだとみせかけるために。

 我々は喫茶店マープルのすべてを満足いくまで楽しんだ。店を出たころには日はすっかり暮れていた。なっさんは店を出た後笑顔で私に言った。

「ごちそうさまだ」

「ああ、こちらこそいい店を教えてくれてありがとう」

「ははっ、まあ好奇心に従うのも悪くはない。こうしてプリンにありつけた」

「また行こうよ。今度も僕がおごろう」

「いやいいさ。今度はウチが出すよ」

 それじゃと我々は別れた。私は駅までの道をゆっくりと歩いた。仮想の少年を突き動かした善意という怪物を想像しながら。

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とあるミステリー研究部の黎明期 ごま @goma

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