馬車


エマは十分に堪能しシナモンの香りがするパンケーキを食べ終わった。

その間アンはおさらいの様に街を歩きながら通った道で妹独りでは通らせたくない危険だったり如何わしい通りを念を押しながら説明したり、今日は紹介出来ないだろう沢山のこの街の魅力を説明していた。都度確認する様にエマに確認をしていたのだが当のエマはパンケーキに夢中になってて生返事しかしなかった。

「…まぁいいわ、ところでこれからどうしましょう?とりあえず服買いに行きましょうか?」

アンはこのズボラな妹が垣間見せた乙女的成分を陳腐させない様にというのももちろんあるが、旦那からも今日エマと街を散策する旨を伝えた時再三言われてたからだ。

旦那は村育ちの人を卑下している訳では無い。またファッションに殊更熱心な部類でも無い。もっと言えばエマ位の年頃が大好物という訳でも断じて無い。

アンの旦那ガリウスは祖先を辿ればこのデルムトで初めてギルドを興したメンバーに行きつくが、結婚前はデルムトを拠点とする単なる行商人であった。

今でこそ事務方や管理を担い街の外へはめったに出ないが行商していた時の格言は今でも根付いている。

その中の一つに"その土地に受け入れられる為にはその土地のものを受け入れる。"という物がある。

端からみれば解からない事もその集落からしたら違和感を覚えるものである。これは本能的なものだ。本能に生きる強盗やコソ泥はその能力が高くそれらを元にカモを餞別する。

その為ガリウスは、まず集落に入ったらその土地で服を買い、今まで来ていた服を売り払う。そして街の宿場で飯と水を喰らってから生業を始める。

そのおかげか閉鎖的な集落でも受け入れられ、野党等下卑な輩の餌食にならなかったと信じている。

アンはガリウスがちゃんとエマの事を家族として心配している思いからも今日はどうしても服を買いたいと思っている。

そんな事知る由が無いエマは、単に色ボケ姉が何か企んでいるとしか思っていなかった。

けど、エマ自身服にはちょっと興味があった。そこはエマも年頃の女の子である。村出身という色眼鏡も多少はあるが、今日会った人々や行きかう街の人々、果ては5年前迄同じ村に居たのに一層魅力的になっているアンねぇを見て、浅はかながら着ている服も一因では無いかしらと思っている。ただエマはそこまで服や化粧に興味が無かった為、一人で解決するには難題だった。

村にはそもそも選べる程の服も無かったし、もっぱらアンや母様の着せ替え人形に徹していたからだ。

その為、盛大な誤解はされているものの甘美な提案を呑まざるを得なかった。

「そうね、仕事用にも服は欲しいし買いに行きたい。」

薄い防御壁で対抗はするものの無駄な事はエマも重々知っていた。

予想外に早く、むしろ快諾に近い返答をしたエマにちょっとびっくりはしたが、あれな方向で納得したと思い、また可愛らしいエマをもっと可愛らしく出来る喜びにアンは声音を上げた。

「じゃあ。もう行きましょうか。大丈夫よ、エマをもっと魅力的にしてあげる。」

あぁ、やっぱり防御壁は意味なかったな。エマの心情を伝える様に時計塔からこの通りに来て2回目の鐘の音が鳴った。


それからのアンは素早かった。いつもキビキビしているが拍車がかかったように尚早かった。

少し残ってたアップルティーを素早くも堪能し席を立ち、忙しくしているシシィに一層のお礼を言い喫茶店を出た。

そこから2つ通りを進み、服屋に入った。

これもアンの馴染なんだろう、丁寧に店の店長さん思しき人にエマを紹介した。

アンの妹であるからだろうか?それともちょっとズボラなエマが磨けば光ると誤解したのだろうか、店長はアンと一緒に着せ替え人形に興じ、レジ奥の洒落た時計が18時を告げる頃にはエマが着ていない服はこの店に無い有様だった。

「あらもうこんなに遅くなっちゃった、日が落ちるのは早いわねぇ。」

漸く人形遊びに満足したのか、アンはガラス越しの空が暮れているのを知った。

「エマ、気に入っちゃったの買っちゃいましょうか。」

目の前にはアンと店長が厳選した服が10着位積まれている。引っ越しやら仕事初めやらで財布が薄くなったエマは恐怖を感じた。

駄目だ。この人達狂ってる…

「アンねぇ、私そんなにお金持ってないよ?」

「大丈夫よ、これは旦那からの引っ越し祝いだから。後でお礼言ってちょうだいね。」

なんで旦那さんがと、きょとんとしているエマを尻目に会計を済ませ店長が店員と手分けして買った物を包んでいると。

「もう暗くなってしまったし、今日は馬車で帰りましょうか。」

そうさらりと告げるアンねぇをエマは本当にアンねぇなのかと、赤の他人が化けているのではないのかと恐怖に引き攣った。

馬車というのは貴族様が乗る様な豪華な物で、私達みたいな庶民が気軽に乗れるような物では無い。

エマは5年間でこうも街に毒され堕落した存在になるのかと、昔の純粋なアンねぇはいなくなったのかと、朝私の部屋で堕落するなと忠告していたアンねぇが妙に薄ら寒いものに思えてきた。

膠着したエマを見て、また昔の私をみている気持ちになってついクスッっと笑ってしまった。

「エマあのね、この街はちょっと危ない所もあるのは説明したでしょ?」

「そうだね」

「夜になると猶更怖い人が溢れるの。」

「そうでしょうね。だけどそれで馬車を使うのは贅沢じゃない?」

この人は堕落へ誘う蛇にでもなったのかしらと、より一層暗くなる。

「贅沢じゃないわ、この街で暮らすには自衛も必要なのよ。村みたいに知り合いばっかりじゃないのだから何かあった時守れるのは自分だけなのよ?

後、ここの街の馬車はギルドに所属していると無料で使えるの。」

「無料?」

「そう私達にとっては無料なのよ、まぁ厳密に言っちゃうとギルドが厚生費として補ってくれるの。」

「じゃあ贅沢じゃないの?」

「そうよ、贅沢なんかじゃないわ」

無料という言葉に少し安心したが懸念は残った。だが到着した馬車を見てエマは完全に納得はしたが、ちょっとがっかりもした。

確かに貴族様が乗っている様な雰囲気は感じられなかった。従者はいるがちょっと草臥れた服で運転席に座っており、客席も機能性と丈夫さに極振りしたようなブリキの芋虫みたいだった。また奇妙な事に馬が一頭もおらず、逆に従者の下あたりからドロドロと音を出しながら蒸気を出す機構がついているのみだった。

贅沢は敵だった。が、どうせなら御姫様が乗る様な馬車に乗りたかった。

ただ、失望の霞がエマを襲っていたのは束の間だったことは否めない。

何故ならエマは技師になる為に両親を説き伏せてこの街に来た位には機構というものを愛していたからだ。

村で見た事も聞いた事も無い機工を目の当たりにして、さっきまでのアンねぇへの恐怖も消し飛び。その構造に興味が集中してしまった。

さっきまで冷たい目をしていたエマが、今では燦燦と馬車を見つめている姿を見て計画通りと微笑むアン。

このまま今にもバラしてしまいそうなエマを愛でるのもいいのだが、見送りに来ている店長さんや従者さんに迷惑になるだろうと、従者に目的地を告げ半分抱きかかえるようにしてエマを馬車の中に積み込む。

程なくして馬車は発信し、アンは見送りの店長に手を振りながらお礼を言った。

エマはすでに店長に興味無くどうにか客席から機工を見ようとやっきになっていた。

「エマ、全然贅沢じゃないでしょ?」

「んー」

こういう時に決まった生返事だ。

「暗くなったら、ちゃんと馬車を使いなさいね。」

「そうね、私この馬車に乗りまくるわ。」

「乗りまくってもダメでしょ、出来る限り暮れる前に家に帰ってどうしてもの時に使うの。」

「ばれやぁしないわよ。」

「馬車に乗る為に遅くまで外にいたら本末転倒じゃない。良い?早く帰るの。」

「はぁい。解かってるわ、馬車はいざという時のみにするわ。」

ちょっと馬車について教えるの早すぎたかしら?とすこし溜息を吐きながらアンは提案をした。

「今日はもう遅いから私の家に泊まりなさいな、服も丁度あるし旦那もエマと話したがってたわ。」

「んー、そうするー」

服といい、村でもあんまり話したこと無いガリウスさんが何故こうも私と話たがっているのか訝しんだが、今はそれより馬車の機工がどうなっているのかの方が問題だった。

解剖したくて堪らない衝動を乗せながら馬車はアンの家へ向かった。

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