2 船乗りの家のマシュー御大



 時計塔屋敷の部屋を出て二時間後、今度は迷う事なく『船乗り協会』と言われている【船乗りの家】の前に俺達は立っていた。

「…ここかぁ〜」

「今日は迷わずに来られたな…」

 安堵の溜め息をついて、ティーダの横顔をじとり、と見る。俺のその視線にティーダは気まずそうな笑顔を返してきた。

「いやぁ〜、昨日は夜遅かったしさ、この辺りの辻はどこも様子が似てて、入る道を間違ったんだ、……すまん」

 と、言い訳を言い募る。とは言え、昨夜は薄い霧も出てたし、昨日、冒険者ギルドで知り合ったタビットのナディアから貰った手書きの地図も大雑把なもので、今日もこの地図でよく辿り着けたとは思う。

「…まぁ、昨夜は俺も油断したし、結果、生きてるから良いけどよ」

 建物の周りを見回しながら、皮肉った答えを返すと、ティーダは微妙な笑顔で答えた。


 …どうやら、俺が死にかけた事の責任をまだ感じてるらしい。

 責任感の強いヤツだからな…、昨夜のアザービーストとの戦いの事は話題にしない方がいいな。


 船乗りの家の建物は、古い物なのか壁は蔦で覆われて、壁の色が分からないほどだ。三階建てのどこにでもある感じの造りで、角地に立っている。

 目の前の出入り口の他に、出入り出来る扉が左側の壁に一つある。その扉の前には数段の階段があって、手摺てすりがついていた。

 目の前の入り口の上には『ビスクーネの船乗りの家』と看板が掲げてあって、一応の公的機関のていしている。


 立て付けの悪い扉を開いて中を覗くと、中にいた老人達が一斉にこちらを見た。

 その視線が思いがけず鋭いものだったから、俺もティーダも一瞬、気圧されてたじろいてしまった。

 入り口でまごまごしてる俺達の様子に、一番年嵩としかさの長老みたいな爺さんが紫煙しえんくゆらせて問いかけてきた。

「……よぉ、兄ちゃん。なにか用かい?」

「あ…、いや、……ここで〈ビスクーネ渡河許可証〉を発行して貰えると聞いて来たんですが」

 ティーダが慌てて答えて、それに爺さんがククッと笑って、手招きをした。

 それに素直に従い中へ入る。建物の中は八人から十人程度が座れる大きなテーブルが中央にあって、そこはほぼ満席だが、周りのカウンターや少人数用のテーブルは空いていて、そこそこの人数が収容出来る規模だ。


 その辺の酒場と変わんねぇな…。


 そこに座ってるのは、引退したのか現役なのかも分からない船乗り達で、カードや歓談に興じているらしく、テーブルの上は煙草類の吸い殻、酒瓶とグラス、つまみの食べカスなんかが無造作に置かれていて清潔とは言えない有様だ。

 部屋の奥に行くにつれて換気が悪く、老人達が吸っている葉巻やら、パイプやらから昇り立つ煙が充満していて、表現のしようのない空気と匂いに俺は思わず咳き込んでしまった。

「がははっ、なんだ兄ちゃん、葉巻こいつはやらんのか?」

 手前に座るじいさんが洟垂はなたれ小僧を見るような見下した視線を向けてきた、それに少し苛つきはしたんだが、ここで荒事あらごとを起こす事もないと思って、無視した。

 手招きをした爺さんの側に歩み寄ると、爺さんは俺とティーダを繁々と見詰めて、手に持っていたカードをテーブルの上に伏せて置いた。


 他の爺さん達とは違う雰囲気を纏うこの老人が、この船乗りの家を仕切ってる『マシュー御大』と呼ばれる御仁なんだろう。

 長年、気性の荒い船乗り達をまとめて来ただけあって、この御仁が放つ気迫はその辺の隠居老人のそれとは全く違う。


「……冒険者のようじゃが、…渡河許可証なら冒険者ギルドでも発行しとるじゃろ?」

「ええ、…お恥ずかしい話、オレたちは見ての通り駆け出しで、ギルドの条件を満たせてないんです。でも、早急に渡河許可証が必要で…」

 年老いているとはいえ元漁師の爺さん達だ、今でも腕っ節はそこそこなんだろう。その事は爺さんたちの眼を見れば分かった。

 負ける気はしないが、多勢に無勢。ティーダも荒事にしない方が得策だと踏んだらしい。

 いつも以上に丁寧な対応をしている。

 ティーダの言葉にマシュー御大がにやりと笑って、発行の条件を提示して来た。

「……ふ〜む、なら、ちょっとした困り事があるんじゃが、解決出来るかの?」

「…どういった事柄ですか?」

「うん? 一つはこの近くの【封鎖街区】を解放して欲しいんじゃ、河港へ通じる通りが魔神どもに占拠されてての、流通が滞ってるのよ」

「……ん? それなら昨夜解放された筈だぜ? …俺達が魔神を排除したからな」

 ティーダの後ろから俺が答えた。

 実際、ここに来る前に見て来たが、魔神どもの姿はなく、死体も消えてなくなっていた。俺達が魔神を片付けたのが深夜だったから、今朝はまばらではあるが様子を見に来た奴らで人通りが戻って来ていた。

「ほう! ひ弱な駆け出しかと思うたが、なかなかやりよるの〜」

 俺の言葉に、傍に座ってた頭髪薄めの爺さんが感心したように俺を見上げる。その隣でニットキャップを被った丸メガネの爺さんも同じような反応をした。

「ああ、魔神どもが跋扈ばっこしておったあの地区をな〜」

「……そうか、それはありがたいの。なら、礼に駄賃をやらんとなぁ」

 そう言ってマシュー御大が立ち上がって、俺達が思うよりもしっかりした足取りでカウンターまで行って、その奥から小袋を投げ寄越した。

「報酬じゃ、とっとけ」

 投げ寄越された小袋を慌てて受け取ると、ずしりと重い。それなりの報酬をくれたらしい。

「…おぉ、ありがとう」

「じゃぁ、渡河許可証は…」

 ティーダが期待を込めてマシュー御大を見遣るが、その言葉に御大は少し煩わしそうに眉をひそめてぼやいた。

「そうくな、お前さんたちには、まだまだ時間があるじゃろ……」

「…すみません」

「渡河許可証じゃが、もう一つの困り事を解決出来たら、一枚は無料で発行してやろうかの」

 カウンターから戻って来て、定位置の椅子に腰を下ろすと、マシュー御大は「ふぃ〜」と一息いた。しっかりした足取りでも、ここからカウンターまでの往復はそれなりに負荷がかかるらしい。

 背を丸めてジョッキの中のエールだかビールだかを一口のみ、葉巻を口へ持って行って『もう一つの困り事』を言い出さない御大に、俺は催促するように問いかけた。

「…で、残りの困り事って?」

「うん? おぉ、…この近くの【運河に架かる橋】に棲み着いたカルヴェルトウォームを排除して欲しいんじゃ」

 俺の催促に視線だけを寄越して俺を見上げると、御大はぼつぼつと答えて口角を少し上げた。

 その容貌かおは『お前さん達に出来るかの?』と暗にあざけるようで、確かに苛つきはしたんだが、御大の口にしたモンスター『カルヴェルトウォーム』の名に、血の気が引く。

「……カル…ヴェル…ウォーム?」

「…は? それってサンドウォームの亜種とかじゃなかったか?」

 何も知らないティーダは、ぽかんとしながらモンスターの名を復唱して、俺は焦りを濃く表情に出して御大に問いただす。するとマシュー御大は、にやりと眼で笑った。


 …ッ、…喰えねぇ爺だな。


「おう、よく知ってるな兄ちゃん! そうだ、何時いつの頃からか棲み着いちまって、橋を渡るヤツらを見境なく襲うから通行の妨げになってんのよ」

 テーブルの向こう側で、この中では若い方の爺さんが感心したように言って、現状の説明をつらつらと語った。それを聞いてティーダが俺の耳元で小声で問いかける。

「…強いのか?」

「……今の俺達じゃ、丸呑みされて終わりだな」

「…おぉう…それは困ったな」

 苛立ちを隠さずにティーダに答えた俺に、ヤツはきゅうしたと眉根を寄せる。ヒソヒソと話してる俺達の様子をつぶさに観察していたマシュー御大が返事の催促をしてくる。

「出来るかの?」

 見定めるような視線を投げてくるマシュー御大に、ティーダは俺を見た。その視線に俺は黙ってかぶりを振る。

 今の俺達の実力では、喰われるか、潰されるか、がオチだ。俺の無言の返答にティーダは諦めたように一息つくと、御大に答えた。

「…今のオレたちには荷が重過ぎます、ご期待には沿えそうにないです」

 自分達の『未熟さ』を認めて素直に断りを入れたティーダに、御大は感心したような表情を見せた。そして、溜め息とともに落胆の一言を吐き出した。

「そうか…、残念じゃの……」

「すみません」

 ティーダの潔い謝罪に、マシュー御大は暫く黙して、何を思ったのか『無期限』でこの依頼を請け負わないか、と持ちかけて来た。

 だからと言って、この依頼をこなさない限りは〈ビスクーネ渡河許可証〉をくれるつもりはないようだ…。

「いや、急ぎはせんよ、もし、何かのついでに排除する事が出来たなら、報告しに来てくれるかの?」

「…え? …いつでも良いんですか?」

思いがけない提案にティーダは驚いたように答えた、それに御大は好々爺こうこうやの笑みを浮かべて頷く。

「ああ、なぁに、少しの不便が続くだけじゃて……」



【船乗りの家】を出て通りを歩きながら、これからどう動くかティーダと相談する。俺としては一刻も早く〈渡河許可証〉を手に入れて、茨の館へ行きたい。

 それはティーダも同じ筈だ。

「…で? …どうする?」

「…ん〜、そうだなぁ…」

 俺の問いかけにティーダが頭を掻きながら考え倦ねているように答えた。

 残る手段は〈剣のかけら〉納品か、手数料と言う名目で金を払ってチェザーリと言うエルフのやしきで買うかだが、家計を預かるティーダとしては、出来るだけ金は使いたくないんだろう。


 当座の宿代は必要なくなったが、食うにも金はかかるからな。


「なぁ、…爺さんから貰った報酬はいくらだった?」

「ん? あぁ〜まだ見てないな……」

 そう言いながら、ティーダは俺が預けた小袋の紐を解いて、その中を覗く。

 マシュー御大が『封鎖街区の解放』の報酬としてくれたのは2500ガメル。手持ちと合わせて俺達の所持金は5000ガメルを超えていた。

「…なぁ、これなら…」

「……そうだな、これなら、なんとかなるか…」

「…チェザーリってヤツの邸へ行くか?」

「あぁ、現状、それが一番手っ取り早いな!」

 顔を見合わせて、笑い合うと俺達はそのまま西街区へ向かう事にした。

 あまり良い噂を聞かないが、チェザーリと言うエルフの邸で買えるなら、その方が良い。


 二時間後、俺達の目の前には堅牢で豪奢な門があった。


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