第5話 ヒーロー+エクスマキナ

「シンさま! 食器をお下げしますね!」

「ああ、任せる」

「シンさま、食後のお茶をご用意しましたぁ」

「そこに置いておいてくれ」

「シンさま……湯浴みは何時ごろになさいますか……?」

「次に時計の鐘が鳴ったらにする。それまでに沸かしておいてくれ」

 愛らしいメイドたちに指示を出しつつ、俺は傍に置かれたティーカップをつまむ。大食堂の窓の外からは茜色の夕陽が差し込み、庭木の影と鮮やかなコントラストを見せていた。カラスに似た鳥の鳴き声が耳に心地よい。ふっと微笑みを漏らし、紅茶を一口含む。茶葉がどうとかは知らないが、とりあえず美味いからそれでいい。拠点にした屋敷も掃除が行き届いていて、常に快適に保たれていた。

「はぁ……シンさま、今日もお美しい……」

「きっとこの世の未来を想っていらっしゃるんだわ。あぁ、私たちには想像もつかない崇高なお志……!」

 ……メイドの手が止まっている気もするが、熱っぽい視線で俺を見つめてくれるから問題ない。頬杖をつき、もう少し物思いにふける素振りを見せる。……と、ノイズじみた耳鳴りが聴覚を侵した。耳朶じだをさすると、手首の辺りで血が滞るような感覚。……最近、身体が少しおかしい。耳鳴りや血流の違和感、視界にかかるノイズ。壊れかけのゲーム機みたいだ。

「……何やってるの、二人とも。手が止まっているわよ」

「あぁっ、すみません、メイド長」

 顔を上げると、桃色の髪をポニーテールにした少女が腕を組んで立っていた。丈の長いメイド服に身を包んだ姿には、初冬の風のような清冽さがある。グリフォンを倒した日に出会った……魅了能力を貰ったきっかけの少女。あれほどの無礼を働いた彼女はどこへやら、今となっては俺に忠実なメイド長に成り下がってしまって……。

「……ははっ」

 思わず笑い声が漏れて、咳払いで誤魔化す。注意深くメイド長の様子を窺うが……俺の心配と裏腹に、彼女は切れ長の瞳を細めて微笑んだ。……まさか能力ひとつでここまで変わってしまうとは思わなかった。ギヴァに貰った能力さえあれば、文字通りなんだってできるじゃないか。魔族の拠点には瞬間転移能力で赴き、卓越した戦闘力と浄化能力で魔族を滅ぼし、また瞬間転移で帰ってメイドに癒され、ふかふかのベッドで眠りに落ちる……ありふれた物語みたいな、完璧な日常を営むことでさえ。


「失礼します、真良しんらさま」

「……」

 音もなく、視界の端に白い襤褸ぼろ布が揺れた。じり、と蝉の声のような雑音が耳を冒す。無視して紅茶を一口含むが、少し味が落ちたように感じた。聞こえないように溜め息を吐き、メイドたちの方に視線を向ける。

「……少し席を外してくれ。ギヴァと話をする」

「承知しました……アイリーンは湯浴みの準備を手伝って。ライラは明日の朝食の仕込みをお願いできる?」

「はい、わかりましたぁ」

「任せてください、メイド長!」

 それぞれに食堂を出て散ってゆくメイドたち。その姿が見えなくなるのを確認すると、俺は座ったままギヴァに視線を向けた。

「……何の用だ? 邪魔しやがって」

「今後の進軍についてです。……比較的表舞台に出てくることが多い魔神種は、既に半壊状態。邪神種はもとより数が少ないため、日頃から地下拠点ダンジョンに引きこもっていることを差し引いても――」

「あー、いい、そういうの」

 片手を軽く振り、ギヴァの話を遮る。静かにカップを皿に置き、椅子の上で脚を組む。アナログテレビの電源を切る様なノイズ、黙り込むギヴァの姿を大きく揺らした。

「そういう難しいことはお前が勝手に決めてくれればいいから。魔族さえ倒せるなら、過程は正直どうでもいいし。短くて済むなら楽でいいし、長引いてもそれはそれで魔族倒す楽しみが延びるから問題ねえし」

「……しかし」

「うるせぇよ……どうでもいいって言ってるだろ」

 テーブルにべったりと頬杖をつき、無機質な鈍色の瞳を見上げる。かつての世界の大人たちの視線がそれと重なって見えて、反射的に目をそらしてしまう。血液が泡立つ両腕に顔をうずめ、俺は耳鳴りを振り払うように呟いた。

「……お前は俺の道具なんだろ。俺の望みは何でも叶えてくれるんだろ。俺のやりたいことは全力でサポートしてくれるし、やりたくないことは全力で代行してくれるよな……」

「……」

「作戦立案とか俺にはできないし、そもそも頭なんて使いたくない……ただただ剣振って、ザコども一掃して、帰ったらメイドたちに癒してもらってさ。そういうのでいいんだよ、そういうので。皆俺のことがだぁい好きで、ウザい連中はざまぁできて、そんな、最高に……俺に都合がいい生活」

「……、ふ」

 ギヴァが小さく笑った気がするけれど、どうでもいい。ぬるま湯に肩までつかるように、俺は気の抜けた声を吐き出す。耳鳴りがじわりと勢いを増して、俺はおもむろに顔を上げた。

「つか、最近身体おかしいんだけどさ。耳鳴りするし、視覚も変だし、なんか血流も違和感あるし……どうにかなんねえ?」

「……それはできません。神々の御意向により」

 機械のように平坦な声。自動返信メールじみた冷たい響き。唇を噛むと同時に、視界に砂嵐のようなノイズがかかる。ぶれて見える襤褸ぼろ布姿を睨み、俺は椅子から勢いよく立ち上がった。

「ギヴァ……お前、そんな連中と俺と、どっちが大事なんだよ」

「……」

「俺だろ? 普通に考えて。お前、俺の道具だって最初から言ってたよな。カミサマなんざに頭下げてんじゃねえぞこの八方美人。だいたいなんだよカミサマって。どうせ無能で頭悪い連中なんだろ?」

 実際、今まで読んできたラノベの神様連中はそうだった。罪もない人を手違いで殺しては、その代償として異世界に転生させる……ご都合主義の権化。その振る舞いも薄っぺらい仮面を被ったカミサマスクか、その仮面すら被らないただのバカか、どっちかだ。それに実働部隊はいつも人間。カミサマは手を下さない……転生者に要求されない限りは働かない。かつての世界の神様だって、どんなに願っても奇跡なんて起こしてくれなかった。そんな連中と俺だったらどっちが偉いかなんて、火を見るよりも明らかだろ。


「……真良しんらさまは英雄ですが、人間です」

「人間だが英雄だ。少なくともカミサマよりは働いてる」

「あなた様のお力は、神々が私を介してお与えになったものです」

「その俺を英雄に選んだのはカミサマだろ? 貢がれてるのは俺だ。俺の方が偉い」

「……」

 抗生物質のような苦い沈黙が下りた。笑みを深め、俺はぐっと背伸びをする。ふとギヴァに視線を向けると、その口元がどこか引きつっているように見えた……だけど、すぐにノイズに隠されて見えなくなる。俺は尊大に腕を組み、ふっと鼻で笑ってみせた。

「お前は最初から、俺に逆らえるわけがないだろ? 力を寄越すしか能のない、猫型ロボット以下のお前が」

 だが……それで十分だ。俺の言うことを何でも聞いてくれればそれでいい。不都合なことなんて何も言わなくていい。ただ、俺に力をくれるだけで。

「だから余計なこと考えずに、俺のためだけに動き続けろよ……道具ギヴァ


 笑いを堪えつつ言い放つと、劣化したカセットテープのような雑音が耳を刺した。喉元で血液が泡立つような音を立てる。まぁ……別に日常生活には支障はないし、いいか。軽く伸びをする俺に、ギヴァは片手を胸に当てて口を開く。

「……次の満月までには、魔族を滅ぼすことができましょう。あなた様のお力ならば、魔神種の大将軍、邪神種の王すらも」

「そっか。……もう全クリか……」

 すっとギヴァから視線を逸らし、窓の外を眺める。綺麗な夕焼けだったはずの空は、いつの間にか重そうな雲に覆われていた。耳鳴りを振り払うように頭を振り、椅子に腰を下ろす。……欲を言えば、もう少し遊びたかった。折角ゲームみたいな世界にチートツール付きで転移したんだ。もう少しくらい楽しむことができてもよかったんじゃねえか……?

「……準備を進めておきます。真良しんらさまはどうか、何もお気になさらずに……」

 ギヴァの気配が消えていく。俺はすっかり冷めてしまった紅茶を飲み干し、音を立ててカップを置いた。……咎めるような耳鳴りは聞こえないふりをして。

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