第4話 ヒーロー/エクスマキナ

「……様。英雄様……」

 さざ波のような声。一瞬ギヴァかと思ったけど、違う。男の声、女の声、子供の声、老人の声……どれもこれも聞き覚えがない。綿のような素材が全身を包み込んでいて、寝心地は悪くない。もう少しまどろんでいようと意識を手放しかけて……額に金属じみた感覚が触れた。はっと目を見開くと、電波異常のようなノイズ音が耳元で震える。耳朶じだを押さえつつ瞬きをすると……見慣れた襤褸ぼろ布姿が無機質な目でこちらを見下ろしていた。安堵したような息が周囲に満ちる中、ギヴァは薄い唇をそっと開いた。

「……ご無事ですか? 真良しんらさま」

「――ッ」

 胸倉を掴み上げたくなるのをぐっとこらえ、俺は射殺すように彼を睨む。なんで俺は倒れてるんだよ……無限回復の効果はどこ行ったんだよ。そんな怒鳴り声を飲み下し、静かに問いかけた。

「……ここは、どこだ」

「街の医療機関だそうです。先程の人々が変調を察知し、手厚い治療をしなければ……と運び込まれたようです」

「手厚い……先程……? なぁ、俺は何時間寝てたんだ?」

「さして長くはありません。……浄化能力の負荷を無限回復が肩代わりしたはよいものの、流石に精神への負荷まではカバーできず、気を失っただけですので」

「……チッ」

 雑音がひどい。アナログテレビの砂嵐みたいだ。小さく舌打ちし、ギヴァから目を逸らした瞬間――全身が粟立った。ベッドを取り囲む幾つもの瞳。ざっと二十人くらいか……老若男女を問わず、様々な人間が俺を見つめている。高鳴る心臓を鎮めるように息を吐き、身体を起こす。ギヴァの隣から小柄な影が顔を出し、礼服に包まれた身体でそっと礼をした。

「……?」

「ご無事で何よりです、英雄様。私はこの街の代表を務めております――」

 代表だという男の声は、ノイズが混じって上手く聞き取れない。仕方がないから適当に聞き流しつつ、周囲の人々に目を走らせる。宝石のように輝く瞳をひとつひとつ眺めては、安心させるように笑顔を向けた。……聖人か賢王かを見るかのような、熱のこもった視線。目を合わせるたびに、熱く痺れるような快さが全身を貫いた。耳を冒す雑音さえ気にならない。気を抜けば笑みが零れてしまいそうで、口元をへの字に引き結ぶ。

 ……と、鋭い目つきが俺を突き刺した。水色を基調としたワンピース姿の、桃色の髪をポニーテールにした少女。切れ長の瞳は、まるで親の仇でも見るように俺を睨みつけていた。気温が一気に冷え込んだような気がして、思わず視線を伏せてしまう。忘れたはずの雑音がよみがえり、ハエのように耳元を侵す。

「……いかがなさいましたか? 真良しんらさま」

 ギヴァの声に、意識が引き戻される。そちらに顔を向けると、襤褸ぼろ布姿の横で代表も心配そうに眉を寄せていた。鈍色の目を眺めているうちに、雑音が潮騒のように引いていく。布団の上で両こぶしを握りしめ……ちら、と少女の方に視線を向けた。

「……誰なんだ? あの、ポニーテールの」

「……っ! こら、リサ! 申し訳ありません、英雄様……!」

 少女の母親らしき女性が声を上げた。小さな頭を押さえつけ、長い髪を振り乱して狂ったように頭を下げる。しかしリサと呼ばれた少女は謝るどころか、太い矢のような視線で俺を睨みつけてきた。布団の上で拳を握り、俺は切れ長の瞳を睨み返す。ギヴァの横で、街の代表が申し訳なさそうに口を開いた。

「……そちらは私の次女です。街の優秀な学校に通っているのですが、いかんせん強情で……騒動を起こすこともしばしばです。今も見舞いに行くと言ってきかないと思えばこれですから……後できつく――」

「騙されないでくださいませ、お父様ッ!」

 代表の言葉を遮り、少女は金切り声を上げた。母親の手も振り払い、俺のベッドに歩み寄る。空気が凍りつくような緊張感に、ギヴァが肩をすくめる気配。耳元で再びノイズが勢いを増す。少女は切れ長の瞳に力を込め、今にも殴りつけんばかりに声をあげた。

「あなた、さっきからお父様のお話も聞かないで、周りの視線にばかり気を取られて。下卑た笑顔、隠せてないわよ!」

「……は?」

 獣の唸りのような低い声が漏れる。甲高い声はノイズの中でも妙にはっきりと耳に届いて。俺は乱暴にベッドから飛び降り、少女を睨みつけた。隣で白い襤褸ぼろ布が揺れて、ギヴァが隣に立ったのだと気づく。しかし俺たちの視線にも臆せず、少女は不遜に腕を組んだ。

「自覚がないっていうの? ならもっと言ってあげるわ。こんな傲慢で自己愛が強すぎる、虚栄心の塊みたいな方が英雄だなんて信じられない! 確かに力はあったけれど、それだけじゃ英雄は務まらないでしょ? これならその辺を飛んでる虫が英雄になった方が遥かにマシよ!」

「……なん、だと……?」

 ……握りしめた拳が震える。耳元の雑音がわずらわしい。ギヴァが俺の手首を掴み、彼女に飛び掛かるのを止めていた。……本当は、飛び掛かるだけじゃ足りない。動けなくなるまで痛めつけて、見せしめに土下座させて、『あなた様こそが救世主です。無礼な真似をし申し訳ありませんでした。なんでもしますから許してください』くらいは言わせないと気が済まない。だが、俺は英雄だ……そんな誰の目に見ても最低な行動をするわけにはいかない。さっきみたいに称賛されるのがが普通なんだ。感情任せにぶつけかけた罵声を飲み込み、視線だけをギヴァに向けて動かす。それだけですべて察したのか、ギヴァは両手を掲げ――手首の歯車を勢いよく回し、空中に純白の渦を巻き起こした。


「ギヴァ――俺に力を寄越せ」

 オルゴールの箱の中のような、純白の空間。その中心で、俺は襤褸ぼろ布の向こうの瞳を見つめる。雑音の残滓を振り払うように、俺は乱暴に片手を突き出す。静かにそれを見つめるそいつを睨み、半ば怒鳴りつけるように声帯を震わせた。

「あの娘を屈服させる能力をくれ。洗脳でも催眠でも魅了でもなんでもいい。とにかく、あいつが俺に二度と逆らえないように、服従……いや、隷属させる力だ」

「……失礼ながら……正気でおっしゃっているので?」

 鈍色の瞳をすっと細めるギヴァに、俺は自棄になって舌打ちを響かせる。……この世界に来てまで、何で思い通りにならないんだ。荒い息を吐き出し、炎のような視線でギヴァを睨みつける。

「……もう一回しか言わねえぞ。とにかくあいつを隷属させる力を、寄越せって言ってんだ! お前は俺の道具なんだろ? 道具は人間様に逆らわないだろ!? 黙って言うこと聞けよ、ユニークアイテム風情が!」

 火を吹くように絶叫し、猛る獣のように息を吐く。……だって、おかしいだろ。かつて読んでた転生ラノベの主人公は、こんな理不尽な目には遭わなかった。チート能力で無双して、放っておいても女の子が集まってハーレムを築いて、気に入らない人間はざまぁすることができて……上手くいかないことなんて、せいぜい無能と罵られて追放されるか、勝手な都合で婚約破棄されることくらいだったのに。ガシガシと頭を掻き、襤褸ぼろ布の奥の瞳を見上げる。機械のような鈍色の瞳は、無機質な視線を俺に向けていて……やがて、そのまぶたがふっと細められた。小さく笑い声が聞こえた気がしたのは、きっと気のせいだろう。


「……それが、あなた様のお望みであるならば」

 細い両手が、ゆっくりと伸ばされる。両手首を取り囲む歯車が回り出すのを、俺はパレードでも見るような心地で眺めた。心臓の鼓動が高鳴って、呼吸すら弾んでいくようで。歯車からほとばしる光に全身を貫かれながら、俺は爆発するような哄笑を響かせた。

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