第3話 ヒーロー:エクスマキナ
「――はぁ、はぁ――っしゃ!」
左手の拳を握りしめ、高ぶった意識の中で顔を上げた。ぬけるような青空を暗雲がじわじわと塗りつぶしていく。休耕畑に飛び散る緑色の液体すら、真夏の森林のように鮮やかに見えた。隣に立つギヴァが手を伸ばし、右手の剣を白く溶かしていく。……粘性のある緑の液体の中心には、鷲か獅子に似た毛玉が転がっていた。たった今倒した幻獣種、グリフォンだ。
息が弾んで止まらない。身体に籠もる熱を抑えられない。全身が酸素を求めてやまない。隣で
「お見事です、
「は、ははっ……! 俺……幻獣種も、倒せるようになったんだ……!」
「ええ、確かに。どうか誇ってください」
うやうやしい声に、俺は力強く頷いた。巨大な毛玉から視線を外し、広がる街へと振り返る。もう大丈夫だ――そんなヒーローじみた台詞を脳裏で組み立てつつ、鼻歌交じりに街中へと歩き出す。
――と、杭で打たれたように身がすくんだ。はっと視線を上げ、街の入り口を凝視する。
門の内側で、野次馬らしき人々がこちらを眺めていた。ある者は興奮の眼差しで、ある者は感謝を込めた瞳で……またある者は恍惚としたように頬を染めて。全身の血管がぞくぞくと震え、身体が芯から痺れていく。異世界特有の色とりどりの瞳は、灰色の空の下で光を浴びた宝石のように映った。口元が緩むのが抑えきれない……全身が蒸気機関のような熱を帯びていく。観客がいるんだったら、もっと派手に俺の強さを見せつけた方がよかったかも――。
と、肩に手が置かれた。気圧が一気に下がったような気がして、緩んでいた口元がすっと引き結ばれる。ゲーム機を没収されたような気分だ。視界の片隅の歯車を一瞥し、吐き捨てる。
「……なんだよ。折角いいところだったのに」
「少しお話があります。……あちらの人々には聞かせられないお話が」
妙に真剣な声に舌打ちを返すと、抗生物質じみた苦味が口内に広がる。まぁ……聞いてやってもいいか。面倒な説教だったら命令して切り上げさせたらいいし。
「……わかった。だったら俺たちの声を遮断しろ。人々に聞こえないように」
「ええ、仰せのままに」
――歯車に囲まれた片手が、そっと持ち上げられる。その手首で歯車がキリキリと回り出し、俺たち二人だけを包み込むような光の螺旋を描いた。人々の気配が霧散し、極彩色の世界が純白に染め上げられる。オルゴールの箱を思わせる白い空間の中で、ギヴァの襤褸布がくすんで見えた。俺は細長い姿に歩みより、声帯を低く震わせる。
「……それで、話ってなんだ?」
「真良さま、今余計なことを考えませんでしたか?」
「余計なことってなんだよ。いいだろ、ちょっとくらい俺TUEプレイしたって」
片手を広げ、至極当然のように言い放つ。だって普通じゃん。何か手に入れたらそれを見せつけたくもなるだろ。カードゲームのレアカードとか、流行ってて売り切れ続出してる洋服とかさ。なぁ……なんで今、ギヴァは絶句してるんだ。やたら長い沈黙の末、彼は言葉を選ぶように慎重に口を開いた。
「……無礼を承知で申し上げますが……その、死体蹴りのような真似は控えていただきたく」
「はっ、何言ってんだよ……そんなイメージダウンRTAみたいなこと、誰がするかよ。もっといい方法があるからさ、力、寄越せよ」
「構いませんが……何をなさるおつもりですか?」
「そりゃ、魔族の浄化だけど」
平然と言い放つと、鈍色の瞳が軽く見開かれた。首を傾げ、俺は怪訝そうに眉をひそめる。……マジでなんでこいつこんなに驚いてるの? 人外だから人間の気持ちわかんなかったりするの? 疑問符を脳内に浮かべながら言葉を待っていると、ギヴァは深々と溜め息を吐いた。
「……そんな低俗な理由で、ですか?」
「低俗ってなんだよ。バカにしてんのか?」
「いえ、そのような意図はなく。……あなた様は選ばれた存在なのですから、自覚ある振る舞いを――」
「あーあー、うるせぇ! 指図すんな!」
妙な棒読みで吐かれた台詞に、俺は叩きつけるように叫んだ。……結局こいつもなのかよ。勝手な都合を押しつけて、好きなように操ろうとしやがって。頼んでもないのに常識だか普通だかを押しつけてくる、
「だいたい勝手に選んだのはお前らだろうが! 許可もなく呼びつけてきやがって。なのにあれこれ指図してさぁ、俺の都合もちったぁ考えろよ! つーか、ちょっとチヤホヤされるくらい必要な対価だろ? そのくらい貰わねえと割に合わねえっての。この世界には福利厚生って概念がねえのか? ふざけんじゃねえよこのドラえもどき。ラノベの待遇ひゃっぺん見てから出直してこいよ!!」
引き金を乱打するように言い放ち、腹の底から息を吐いた。肩で息をしながら、白い
「……出過ぎた真似をしてしまいました」
萎れた声が耳に届いた。歯車に囲まれた片手が胸に当てられる。その仕草を受け、俺はゆっくりと拳を開いた。口元が無様に緩むのを抑えきれない。
「わかればいいんだ。……なぁ、ギヴァ」
「はい」
「お前……言ったよな。お前は俺のための道具だって」
表情をこちらに見せないまま、ギヴァが小さく頷く気配。それなら話は早い、と俺は深く笑みを刻んだ。道具は人間様には逆らわない。たとえ神に創られたとしても。
「――俺に力を寄越せ。あらゆる魔族を浄化する能力を」
「……よろしいのですか? 肉体への負荷は無限回復でカバーできるとはいえ……」
「そんなことで倒れるようなら最初から選ばれないだろ。いいからやれよ。早くパフォーマンスしたいんだよ」
「……承知いたしました」
小さく頷き、ギヴァは片手を俺にかざした。その手首で歯車が勢いよく回りはじめる。真っ白な空間が旋回し、極彩色の現実に戻ってゆく。俺の全身を虹色の輝きが包み、両腕に注射に似た感覚が走って――
……気が付くと、両手には玉虫色に輝く双剣が握られていた。生命を持ったかのように脈動するそれが浄化能力を持つ武器なのだろう。海綿が水を吸うように、脳裏に情報が流れ込んでくる。この武器の扱い方が……手に取るようにわかる。
「は……ははっ。最高じゃねえか……!」
抑えきれない笑いの衝動が口の端から漏れてしまう。これなら確実に好感度急上昇だろ。全身が心地よく震えて、止められない……!
できる限り静かに幻獣に向き直る。両手の刃を数度打ち合わせると、ガラス細工の風鈴のような音が響いた。深く息を吐き、キッと顔を上げる。両手の刃をクロスさせ、巨大な毛玉を睨み――強く踏み込むと同時に、振り抜いた。
一閃――同時に、玉虫色の衝撃波が毛玉を打ち据える。それは剥き出しの腹部に命中し、毛むくじゃらの身体を白い光に変えていく。重そうな雲に覆われた空が純白の輝きで照らされてゆく中、ふっ、と俺は息を吐いた。毛玉だけでなく、緑色の血液も白く浄化されていく。オーディエンスの歓声を遠く聞きながら、俺はその光景を眺め……くら、と一瞬意識が遠のいた。危うく踏みとどまるけれど……脚に上手く力が入らない。
「ん……あ、あれ……?」
頭を押さえると同時に、膝が折れる。玉虫色の双剣が音を立てて落ちた。慌てる人々の声がノイズ交じりに響いている。貧血を起こしたように遠のいていく意識の中で……ひどく冷たい機械の両手が、俺の腕を引き上げる感覚があった。
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