第2話 ヒーロー&エクスマキナ

「で、俺は何をすればいいんだ?」

「そうですね……」

 城下町から少し離れた平原には、爽やかな初夏の風が吹き渡っている。空は眩しいくらいに青くて、気を抜けば吸い込まれそうだ。そんな平原の木陰に座り、俺は人目を気にしながら問いかけた。襤褸ぼろ布から覗く顎をさすり、ギヴァは応じる。

「……まずは、この世界の現状についてお話ししましょうか。かいつまんで言うと、この世界には数千種もの魔族が存在し……彼らが共同戦線を組み、人間の住処をも支配しようとしている、という状況になります」

「魔族……例えば?」

「非常に幅広いですね。下位ならゴブリンやコボルドなどの亜人種。中位に行くと、幻獣種なども出現します。最上位は魔神種と邪神種……両者は長らく対立していましたが、突如結託して侵攻を開始した次第です」

 ……魔神に、邪神。ラノベや漫画でたまに見る言葉。そこでは強力な敵として立ちはだかったり、美少女として主人公の仲間になったりもするけれど……どうやらこの世界では、前者みたいだ。


「……このほど近くにも、共同戦線に滅ぼされた街があります。見に行ってみますか?」

 ギヴァの声は、どこか死者を悼むように響いた。……あの口ぶりからすると、やっぱり、元々の住人は……。そう考えそうになって、頭を振る。俺が来る前のことはどう足掻いたって変わらない。俺が心を痛める必要も、責任を負う必要もないんだ。顔を上げ、襤褸ぼろ布の向こうの瞳を真っ直ぐに見つめる。

「ああ。……行かせてくれ」


 ◇◇◇


「……ひどい、な」

 生温い風が全身を撫でまわす。人肌じみた温度が気持ち悪い。空気には鉄錆じみた香りが混じり、かつて行われたであろう惨劇を示していた。……ちょっとした街だったのだろう。立ち並ぶ石壁には、ところどころに血痕が残っていた。人の姿どころか、誰かが死んでいるのも見えないけれど……何があったのだろうか。

「……魔族の中には、人間をさらって儀式の材料にする種もいるようです。それを用いて力をつけ、同時に人間の数も減らせるなら一石二鳥……という寸法ですね」

「なんだよそれ……」

「……所詮、魔族は魔族であり、人は人。分かり合えるものではありません」

 言葉を切り、ギヴァは生温い空気の中を歩き出した。足元の歯車がキリキリと回転する。ふとギヴァは襤褸ぼろ布を翻し、生温い風の中で振り返った。

「……あなた様でしたら、斯様かような惨劇も未然に防げるでしょう」

「……は?」

「私は神々との仲介役として、あなた様にあらゆる力を授けることができる。あなた様がそれを使いこなすことができましたら、共同戦線など簡単に倒すことができるでしょう」

 ……逆光に、ギヴァの姿が黒く映し出される。真昼の鮮やかな光の中で、その口元が微笑を浮かべている気がした。手首足首の歯車がキリキリと回り、襤褸ぼろ布が生ぬるい風を受けてはためく。す、とギヴァは片手を伸ばし、穏やかな笑みを深めた。そんなギヴァに駆け寄り、俺はニッと口元を歪ませる。

「……そうだな! 選ばれたからには、やるっきゃ――」


 ――と、ギヴァに片手を掴まれた。乱暴に身体を引きずられ、思わず膝をつく。反射的に顔を上げ、怒鳴り声を上げようとして……ひゅっ、と声にならない悲鳴を上げた。襤褸ぼろ布の向こうで、とても人間には見えないような影が蠢いている。二足歩行はしているけれど、ひどく歪なシルエット。ゲームでよく見る亜人……豚に似た姿は、いわゆるオークだろうか。

 醜悪な叫び声。掲げられた斧の鈍い輝き。土煙を上げて突進してくる影に、俺は思わず目を瞑る。しかし……瞼の向こうの強い輝きに、反射的に目を見開いた。白く輝く結界が荒削りの刃を阻んでいる。ギヴァの片手が静かに掲げられ、その手首の歯車が勢いよく回転していた。逆光の中で、ギヴァがゆっくりと振り返る。鈍色の瞳が鋭い光を宿し、醜い姿の魔族を睨んだ。

真良しんらさま、アレが魔族です。……あなた様が望むなら、戦うための力を授けましょう。武器も魔法も、あなた様の思いのままに」

 もう片方の手が差し伸べられ、歯車がキリキリと回りはじめる。急かすような響きに、俺は思わず歯を食いしばった。……ギヴァがいれば、俺なんて要らないだろうよ。こいつ一人で十分だろうよ。だけど……鈍色の瞳は、まるで懇願するような光を宿していて。全身の血が滾るような感覚の中で、俺は震える脚を無理に動かし、立ち上がった。鈍色の瞳を真っ直ぐに睨み返し、片手を差し出す。


 ――恐怖を消せ。震えを抑えろ。

 武器をくれ。使いやすく、重量がある剣を。それに耐えうる体力と、それを使いこなす技術もだ。

 それがなけりゃ、ただの俺じゃ……お話にならねえんだ。


「――仰せのままに」

 歯車が高速で回転を始める。七色の輝きが俺を包む。刹那、雷に打たれたような衝撃が全身を貫いた。視界がチカチカと明滅し、呼吸を拒むように喉が締め付けられる。まるで……身体が力を拒んでいるみたいだ。

「ひゅ……か、はっ!」

 急に全身が弛緩し、肺の底から息を吐く。膝が折れそうになるのを、両脚を踏ん張って無理やり耐えた。伸ばしたままの指先は既に震えてなどいない。胸のうちに残ったのは、ただ……燃え盛る太陽のような想いだけ。

 伸ばした片手の上で、七色の光が収束する。それは純白の光に変じ、大きめの片手半剣……バスタードソードの形を取った。音を立てて握りこみ、軽く振り回す。……初めて握ったとは思えないほど、身体によく馴染む。まるで、もともと剣が身体の一部であったみたいだ。

「さぁ、お行きなさい。我らが英雄、真良しんらさま」

「ああ――任せとけ、ギヴァ!」

 白い結界が霧散する。それを皮切りに、号砲を聞いたように魔族たちが突進を始めた。土煙が派手に上がり、視界を砂色に侵す。だけど……魔族たちの豚のような姿は、不思議と鮮明に浮かんでいて。

「らぁッ!」

 勢いよく踏み込み、バスタードソードを掲げた。乱暴に振り下ろされた斧を薙ぎ払い、その脇腹に刃を差し込む。……筋肉で盛り上がっているはずの胴は、野菜か何かのようにさっくりと二つに分かれた。あまりの呆気なさに、思わず足が止まる。――と、別のオークの棍棒が腹を打ち据えた。

「が……っ!?」

 とっさに受け身を取ることもできず、硬い石畳に全身が打ちつけられる。無限回復により痛みはなかったが、好機とばかりに数体のオークに包囲された。慌てて立ち上がり、剣を構えるけれど……四方から振り下ろされる武器をしのぎ切れる気がしない。


 ――せめて、もっと反射神経がよければ。

 ――せめて、回避能力がもっと高ければ。

 ――せめて、どんな攻撃も見切れる能力があれば……ッ!


「……あなた様が、それを望むならッ!」

 鋭い声を認識した瞬間――背中を太い針で刺されるような感覚があった。思わず身体を仰け反らせ、膝をつく直前、無理に地面を踏みつけて耐える。荒い息を吐きながら、少しだけ鋭くなった風を感じていた。カメラにフィルターをかけたように、世界の彩度が上がって見える。空中を舞うチリのひとつでさえ、はっきりと視認できる。

 豚のような咆哮。オークが斧を振り下ろす直前、俺は勢いよく剣を振り抜いた。硬い脇腹に刃が埋まり、反対側の肩口までを一気に斬り払う。緑色の血液がペンキのように宙を舞った。それを踊るように回避しながら、俺は背後のオークへと乱雑に刃を振りかざす。白く輝く軌跡が円を描き、二体分の腹を切り裂く。太い芯の野菜を輪切りにするように、豚のような魔族の上半身が飛んだ。勢いよく石畳を蹴りつけ、俺は最後の魔族の腹にバスタードソードを突き入れる。茹でた芋に竹串を通すような感覚に、無意識に口元が緩んでしまう。

「これで――終わりだッ!」

 背中の皮を突き破った刃を、脳天に向かって振り上げる。本来ならば硬質であるはずの背骨も、まるで鶏の軟骨のように柔らかく感じる。ぱっくりと裂かれた上半身を眺め、俺はハッと笑い声を零した。溢れ出す緑色の液体をバックステップで回避し、静かに振り返る。


「……お見事でした。流石は真良しんらさま」

「それほどでもねえよ」

 両手首の歯車の回転が徐々に緩やかになっていく。陶器のように白い両手が称賛するように打ち鳴らされた。薄く微笑みを浮かべる口元を眺め、俺はふっと微笑み返す。

 ふと、鈍色の瞳が剣を引きずる俺の手を捉えた。何も言わずとも意図を察したのか、ギヴァはそっと剣の柄に触れる。太い剣は白い光の粒と化し、ぱちりと弾けて消えていった。襤褸ぼろ布の向こうの瞳は、称えるように瞬いているに違いない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る