Alone Again -Ⅱ

 なんだかクソ面倒なことになっている。

 噂というほど広まっているわけではない。おそらく『見た奴がいる』というその当事者と、事の真相を尋ねられた俺の友達と、あとせいぜい、中野の友達の間で話題になっているだけだろうけど。

 しばらく中野には、近づかないでおこう。

 そう決意して、弁当を広げようとした昼休み。

「香坂くんいますか!」

 当の本人が、他クラスである俺のところを訪ねてきた。声を張り上げて。

 俺と中野、それぞれに視線が集まる。昼飯を持ち寄って顔を突き合わせていた友人たちは、なんかもうにやにやしてるし。

「あの話、やっぱりマジなんだ」

 とか聞いてくる友達を無視して、弁当を放置し中野の方へ向かっていく。

「なに」

 簡潔に用件を聞いてしまおう。そう思ってそっけなく一言。

 誤解されるから来るなとか、噂を広めるようなことすんなとか、いろいろ言いたいことはある。ただ、どの文句も飲み込んだ。

 中野の顔が、あまりに真剣だったから。

「場所、変えないか」

 中野が頷いたので、視線とざわめきを振り切って教室を後にした。


 昼休み中の廊下は、思ったより人通りが少ない。みんな教室なりフリースペースなりに落ち着いて、食事をしているからだろう。

「あのさ。用事があるのは良いけど、あんなでかい声出すなよ」

 さっきの大声は何だったのやら、中野は押し黙っている。とりあえずどこかしらに場所を落ち着けないと、話にならないかもしれない。なるべく一年の教室から遠ざかろうと、特にあてもなく階を下っていく。

 しかし何をそんなに慌てて訪ねてきたのか。

 もしかして、例の噂に対しての抗議だろうか。俺にされても、困るけど。

「大声で呼びかけて、目立つだろ。俺ら、なんか誤解されてるの知ってる?」

「そんなことどうだっていい!」

 食いつくような勢いで、中野が声を上げた。レンズ越しの瞳は興奮に見開いて、わずかに滲む。

「どうでもいいのかよ」

 傷ついたような顔をしているくせに、と言いかけてやめた。

 中野が切羽詰まったようなのは、噂のせいだとは限らないし。


「なになに、なーに騒いでんの」

 一階まで下りかかったところで、階下から保健の先生が顔をのぞかせた。声を上げた主が中野だと、気づいていたのかはわからないが。

「あらま、この間の組み合わせ。なんだ、仲良くなったんだ。結構、結構」

 仲良くなったかは定かではない。特に今のこの状況は。

「なに、どしたの。中野さん、気分でも悪いの」

 階段下から見上げるようにして、先生が中野の顔をうかがう。中野は小さく首を振った。

「もしかして、保健室に来るとこだった?」

「いえ、ちょっと、香坂くんと話がしたくて」

「どういうこと?」

 先生は俺に視線を向ける。

「いや俺に聞かれても」

 というかこれ、俺が中野になんかしたみたいじゃないか。ますますややこしい事態に陥りそうで、俺は内心で頭を抱える。

「なんかよくわかんないけど、二人で話がしたいってこと? 良いよ、じゃあ場所貸してあげる」

 先生は保健室の方へと向かって歩き出す。道すがら、何を聞いてくることもなかった。

「保健室ですか。それはそれで、なんかちょっと」

 先生が一緒にいたら、万一誰かに見られても変な誤解を与えないとは思うけれど。第三者がいても、話せる内容なのかはわからない。

「いやいや」

 言いながら先生は結局、俺たちを保健室へと誘導した。けれど室内の椅子をすすめるでもなく、部屋の隅の室内扉へと手を掛けた。


「カウンセリングルーム。空いてるから使いなよ」

「ああ」

 そういえばそんな部屋もあったなと、俺はドアに張り付いた室名のプレートを眺めた。確か保健の先生とか担任とか、誰でもいいけど、悩みや相談事をしたりする場所。

 俺の通っていた小学校にはスクールカウンセラーもいて、事故の後に世話になったりした。やっぱりこういう部屋で。

「誰も来ないしさ。普通の話し声なら、保健室にも聞こえてこないよ」

 私は保健室にいるから、と先生は言う。

「いいんですか」

「予約、入ってないし。いいんだよ、この部屋は悩める生徒のためのものなんだから」

 そう言うと一度、保健室に行って、手に何かを携えてから戻ってきた。

「内緒ね」

 先生は俺と中野に、それぞれ小さなペットボトルを渡す。買い置きしているのだろうか、中庭の自販機では売っていない種類のミルクティーだった。

「何かあったら、声かけなよ」

 先生は静かに退室して、カウンセリングルームには俺と中野が二人で残された。


「じゃあまあ、ありがたくいただきますか」

 座り心地のいい一人がけのソファが、ローテーブルを挟んで二脚置いてある。俺は廊下の入り口側、中野は窓側のソファにそれぞれ座った。

 昼休みは短い。早いところ話をした方がいいのだろうけど、とりあえずはミルクティーを飲んで落ち着く。極限まで甘くしたミルクティーはあまり俺の好みじゃなかったが、中野は甘いものが好きそうだなと、なんとなく思う。

「冷たい」

 ぽそりと、中野がつぶやく。そりゃあ買い置きだろうし、保温器なんてないだろう。

「あったかいのがいい」

「もらっといて贅沢言うな」

 中野が瞳を揺らした。強く言いすぎたか。

「新淵さんの淹れてくれた、お茶が飲みたい」

「はああ?」

 こっちは泣かせるような言い方になったかと、肝を冷やしたというのに。なんだこいつ、頭お花畑か!

「もういいよお前、早退して今すぐ行って来いよ眼鏡屋に。話ってのろけかよ、気を使った俺が馬鹿みたいだわ」

 追い返すような仕草で手を振る。中野の目尻にうっすら光るものが見えたが、もう知ったこっちゃない。


「会えないの」

「は?」

「新淵さんに、会えないの」

 中野の手元、ペットボトルを掴む指先。力がこもったのか、ボトルが歪んだ。

「お店にたどり着けない。いつもと同じ道を通っても、何度、曲がり角を曲がっても。お店がないの」

 俺は曲がり角の先、古い家が二軒建っているだけの光景を思い描く。

「そういやあそこ、俺なんかは用事がない時に行っても店が現れないな。そういうこと?」

「同じことだと思う。新淵さんはお店に、自分の選んだ人を選んだ時しか、通してないみたい」

 中野が顔を上げる。すがるような目。

「どうしたらいいと思う?」

「そんなこと俺に聞かれても」

「だって新淵さんとかお店のこと知ってるの、周りに香坂くんくらいしかいないんだもの」

 中野がすん、と鼻を鳴らす。


「泣くなよ」

「まだ、泣いてないもん」

 いや、声が湿ってるし。

「一週間、毎日、日が落ちるまで何度も試してるけど、全然だめなの」

「毎日って。しつこいだろ、それ」

「だって! このまま会えなくなったらと思うと、いてもたってもいられないんだもん。それに今まではさすがに、毎日なんかは押しかけなかった。ただ、今は」

「ああ、わかったわかった」

「南波さんにもSNSでメッセージ送って、相談したんだけど。返事がなくて」

「誰だよ」

「新淵さんのお知り合いの、魔法使いさん」

「その人からも一週間、返事が来ないのか」

「ううん。連絡先、SNSに頼るのを思いついたのが、今朝だから」

「まだ当日中じゃないかよ、待てよ!」

 中野のあまりの追い詰められぶりに、思わず大声になる。

「その南波さんって人に、何度も何度も連絡してないだろうな。ウザがられるぞ」

「メッセージは一回しか送ってないよ。確認は何度もしてるけど」

 そう言って中野はスマホを確認したものの、すぐにブレザーのポケットにしまった。手帳タイプのカバーをかけたかさばるスマホを、よくも制服の小さなポケットにしまう気になる。それだけ南波さんとかいう人からの返信に、神経をとがらせているのだろうが。


「私やっぱり、しつこいのかなあ。新淵さんが親切にしてくれるからって、大した用事もないのにお店に通って。いつも笑って迎えてくれたけど、本当は迷惑だったのかなあ」

 声を震わせながら、中野は言った。

「あの人は、店に入れる客を選別できるんだろ。入れてもらってたんだから、それはないんじゃないの」

「だから、いよいよ私が来るのに我慢がならなくなって、締め出されちゃったのかもしれない。お茶とかお菓子とか、いっぱい食べたもん。私が持って行くよりはるかに、ご馳走してもらってたんだもんね。図々しいって、思われて」

「悪い方に考えるなよ」

「だって」

 中野は瞬きをした。涙が零れ落ちそうだった。

「だから泣くなって」

「泣いてない」

 かすれる声で言われても。


「あー、もう。やっぱいいや、泣け。別に見ないから。中野、泣き虫っぽいもんな。そんな気がする」

「どうせ、どうせ泣き虫ですよ。私、家ではめちゃくちゃ泣くもん。最近は、減ったけど。この歳になっても泣く」

 喋ることで、泣くことをごまかしている気がした。

 中野は中野なりに、頑張ってこらえているらしい。

「高校入学した直後とか、お母さんの膝にすがってすごい泣いたもん」

「膝は貸さないぞ」

「香坂くんの膝なんて、いらないです」

 この野郎、と思ったが、なんとかその言葉と感情は抑えこんだ。

「でも、新淵さんの前では泣いちゃった。膝は借りなかったけど、優しかったから」

 泣くのなら、新淵さんの前で。

 そういうことだろうか。

 慰めてほしいのかもしれない。誰でもいいわけじゃなくて、俺なんかでは絶対なくて、きっと母親にですらない。

 その店主さんに寄せる絶対的な信頼や、好意は危ういと思わなくもない。ただ急に突き放されて、どうしようもなくなっているのはわかるので。

「まあ、事情は分かった。放課後になったら、俺も店に行けないか試してみるよ」

「……本当に?」 

「近所だし」

 大した手間では、ないのだし。

「だから今日は、中野はまっすぐ帰れ。俺一人で行ったら何とかなるものが、中野がいるとまた駄目なのかもしれないから。今日は俺が行く」

「わかった。……ごめんね、香坂くん。ありがとう」

 涙をにじませながら言う中野の姿に。道端で弱っていた中野に声をかけたという店主さんの気持ちが、少しわかった気がした。



 放課後、家の近所。ほとんどの路地が、見知った場所。それでも滅多に近づくことのなかった場所に再び足を向け。

 そしてやっぱり、たどり着けなかった。

 不思議な眼鏡屋。

 魔法使いだという店主。

 幼い頃、そして今もって自分の身に起こる奇妙な現象は、事故の後遺症で診断書が出る類のものなんじゃないかと思ったりもする。

 だけど眼鏡屋も店主さんも、幻の存在にしてはリアルだったし。眼鏡屋と関わった人物が、自分の他にも現れたし。間違いなく、現実のはずなのだけど。

「……やっぱりないな」

 曲がり角を曲がった先、眼鏡屋は存在していなかった。中野の言うとおりに。

「んー……」 

 目の前の光景に、途方に暮れる。

 ショックを受けたわけではない。中野みたいに交流があったわけじゃないし。

 ただ、どうしたものかと思案した。これをそのまま中野に、伝えれば良いのだけど。

 中野がまた落ち込むのだろうと思うと、こっちまでなんとなく滅入ってしまう。

 鞄からスマホを取り出して、しばし悩む。

 一応、中野を追加しておいたメッセージアプリの画面を眺めていたら、背後からカツカツと硬い音が響いてきた。

 ヒールの足音。

 誰か来たのかと振り向いたが、背後に迫ってきていた足音は速足で俺の横をすり抜けて行き。

「こんの、馬鹿っ!」

 突然に現れたその女の人は、こちらに背を向けて、仁王立ちした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る