Alone Again -Ⅰ
妙な噂を耳にしたのは、十一月半ばごろのことだった。
「ナカちゃんてさ、香坂と付き合ってるってマジ?」
と、マユユさんに聞かれたのだ。
香坂くんやマユユさんは近所から通ってきていて、同じ学区からうちの高校に進学している。だから昔からの顔なじみが、校内に多いのだそうだ。
いやそんなことは、どうでもよくて。
「なにそれ、付き合ってなんかないよ!」
大声で否定すれば、マユユさんは一切悪気のない顔で笑った。
「違うの? なんだあ、ごめんごめん」
「なんでそんなことになってるの?」
「えー。なんか、ナカちゃんが香坂の家に遊びに行ってるのを、見た人がいるとか。放課後、遅い時間に一緒に歩いてるの見たとかさ」
それか、と納得しつつも頭を抱える。確かに邪推の一つもしたくなるシチュエーションだけど、なんて誤解だ。
「香坂と仲良いのは、ほんと?」
「仲、良いかと言われると微妙だけど……」
そうだ、まだ微妙だ。
仲良くしたいかと言われれば、できたらいいなとは、思っているけれど。せっかく仲直りしたのに、また顔を合わせづらくなってしまいそうだ。
「家に行ったのは?」
「通りかかっただけ。あと、一緒に出歩いてたって言うのも、香坂くんが犬のお散歩に行くタイミングと合っただけで」
「それだけかあー」
マユユさんは、どことなく残念そうに言った。ウッチーさんとノンさんまで、一緒になって面白がっている気もするし。
「でもさ、ナカちゃん。彼氏とは言わないまでも、いい感じの相手はいるのかと思ってたけどな」
「あ、それ思った。好きな人は絶対いるでしょ」
ウッチーさんとノンさんの言葉に、私は瞬きをした。
「私にお菓子作りのこと、たまに聞いてきたじゃない。で、しばらくするとお菓子を綺麗に包装したやつ、学校に持ってきてたでしょ。うちらにも分けてくれたけど、誰かにあげる分、作ってたよね」
「うちらが恋バナしてる時もさ、だいたい黙って聞いてくれてたけど。でも時々、話に入りたそうにしてたよ」
「ナカちゃん、いじられるのとか苦手そうだから、あえて引っ張り込まなかったけど」
マユユさんに、今いじったじゃん、とウッチーさんが突っ込む。
新淵さんと銀の月眼鏡店のことは、私だけの秘密だから。
人に話そうと思ったことはないけれど、みんなが好きな人とか彼氏とかの話題で盛り上がっていれば、頭をよぎるのは。
「じゃあ、まあ。とにかく香坂とナカちゃんは、なんもないってことで。この話はおしまーい」
私が黙ってしまっていたからだろうか。
言い出しっぺのマユユさんはあっさりとまとめて、話を終わりにした。香坂くんとのことだけじゃなくて、私のいい感じの相手だとか好きな人だとか、そういう話も深く追求することをやめて、別の話題を口にする。
気を遣わせちゃったかなと、思うけれど。
だけど心中の想いを引きずり出されるのは、あまり心地いいものではないから。
だからまだ胸の内に、大切にとどめておく。
(どうしようかなあ)
市役所通りを外れる路地の前で、逡巡する。
新淵さんのお店へ向かおうとして、例の噂を思い出す。
香坂くんの家の前を通ったのを誰かに見られたら、また面倒な噂を立てられるかもしれない。
マユユさんとかは今後、噂を耳にしたらガセだと否定すると言ってくれた。私だってこれでも、厄介ごとに立ち向かう強さくらいは身についたと思う。だけどやっぱり、面倒事は避けたい。
新淵さんが同じ校内にいる学生とかじゃなくて、心底よかったと思う。香坂くんとの仲を、誤解されたら最悪すぎる。
私はもう少しだけ、市役所通りに沿って歩くことにした。香坂くんのおうちがある路地から一区画だけ先へ行く。試したことはないけれど、おそらく最終的にはお店にたどり着ける場所へ出るだろう。
一つ先の角を曲がって、方向を間違えないように歩いていく。見慣れない景色にきょろきょろしていたら、並ぶ他の家とは少し佇まいが違う建物を見つけた。
(お店だ)
住宅街の中に、小さなお店が現れる。
住居兼店舗といった風で、入り口の主張は控えめ。大きなガラス窓が入った入り口扉に、看板代わりのプレートがかかっていた。窓から中をのぞくと、狭い店内に雑貨らしきものが並んでいた。
興味を惹かれて、扉を開く。ここは駅近だから、住宅街の中にお店があっても不思議はない気がした。新淵さんのお店は、別として。
いらっしゃいませ、とレジカウンターの内側にいる店員さんの挨拶。
お店の壁際には、小さなボックスケースがいくつも積んであった。
ここはハンドメイド雑貨専門店だと、店員さんが丁寧に説明してくれた。ボックスケースをレンタルスペースとして貸し出していて、ハンドメイド作家さんたちが商品を委託販売しているらしい。
作家さんたちの個性が際立つ、多様な商品が並ぶ。布小物や革小物、一番多いのはアクセサリーだ。レジンチャームのペンダントとか、ビーズのブレスレットとか。私はあまりアクセサリーを身に着けないけれど、どれも可愛い。南波さんみたいにたまには綺麗に着飾ったら、楽しいだろうか。
(あ)
窓際で、何かが光っていた。窓際のボックスはどれも背面の板がついていなくて、奥行きのある四角い枠だけが並んでいる。窓の外からの日の光に照らされて、それはひときわ輝いて見えた。
「ループタイ」
大きなガラスの、緑色。コードは黒色だけど、飾りは緑色に輝くガラスだった。楕円形で、土台の金具は新淵さんの眼鏡と揃う銀色。波模様だとか、レース模様とかのついていない、ごくシンプルな綺麗な曲線のフレーム。その上に、私が親指と人差し指で輪を作ったくらいの、大きなガラスが留めてある。
思わず商品と店員さんの間で視線をさまよわせたら、にこやかに声をかけてくれた。
「試してみますか」
「あ。自分で使うものじゃ、ないので」
「プレゼントですか?」
「えっと、そうです。探してて。これが、良いんじゃないかなって」
「綺麗ですよね、これ。ガラスで、光がよく入るし」
そういって店員さんは、ループタイを手に取った。窓からの光を透かして、ケースに緑色の小さな影を落とす。
「あ、わ。綺麗。いいな、これ」
値段を確認する。安くはない、少なくとも、友達へのプレゼントにこの値段のものを選ぶかというと。けれど手が出ない額ではない。五千円札で多少のお釣りがくる。
「あっ、これ。女性用ですか。男の人だと、どうなんだろう」
「えーっと、作家さんは特に言ってなかったですね。色合いもデザインも、男性がつけてても似合うと思いますけど」
「ううー……男の人のものなんて、わからない。っていうか、これ、大人の人にプレゼントするのにいいのかなあ」
安くはないと思ったけれど、それも高校生の基準だ。お菓子とは事情が違う。大人が、身に着けるものだ。安っぽいものを渡して、恥をかかないだろうか。いや、新淵さんのことだから、笑って受け取ってくれるだろうけど。
(だけどもっと、質のいいもの……いや、高すぎるものじゃ、逆に困らせちゃう)
うだうだと悩み始めた私に、お決まりになりましたらお声がけください、と頭を下げて店員さんは去って行く。
緑色に揺らめく光を見つめながら、日が傾くまでには決めなくちゃと思うのだった。
結局、買えなかった。
話を聞くだけ聞いて、悩むだけ悩んで、買い物をせずに帰った私は呆れたお客だったことだろう。
勢いだけで買い物をするのはよくない、と自分に言い聞かせて納得させる。クリスマスまでは、まだひと月以上あるのだし。
とりあえず、感じのいい雑貨屋さんを見つけただけ収穫だったと思おう。道を外れたのはつまらない理由だったけど、このためだったと思えば。
いつもの、曲がり角を曲がる。
「……あれ?」
曲がった、はずだった。
曲がり角の先に現れたのは、二件の古い家。それだけだった。
いつもなら古い家に挟まれるようにして、銀の月眼鏡店が構えているはずなのに。
「もしかして、お留守?」
今まで、訪ねて行って留守だったことはないけれど。でも新淵さんだって、出歩かないことはないんだし。
「出直そうかな」
どこか、この前、南波さんと行った駅ナカのコーヒーショップででも、少し時間をつぶそうか。だけど雑貨屋さんで長いこと悩んでいたから、今でももう時間は、いつもより遅い。
今日は帰ろう。
とぼとぼと、いつも通り香坂くんのおうちの前を通るルートで帰る。お庭も眺めず通り過ぎて、市役所の前で立ち止まった。
しばらく図書館で過ごしていれば、いいかもしれない。
だけど新淵さんがお店に戻ってきたとして、遅い時間に押しかけたら迷惑じゃないだろうか。
だから帰ろうって、決めたのに。
頭痛がする。手足の先が冷えて、なのに顔は火照って熱い。
胸元のレンズを握る。胸騒ぎがした。
「新淵さん」
思わず道の真ん中で名を呼んだ。
頭に靄がかかりそうだった。とりつく不安とか靄とかを振り切ろうとして、振り切れなくて、抱えたまま走った。
いつもと違う道で行ったから、お店までたどり着けなかったのかもしれない。だから今度は決まりきった道で、香坂くんのおうちの前を通って、白ちゃんが教えてくれた道筋のとおりにお店まで向かう。
踏み出す一足ごとに、大切な何かが失われていくようなか気がして。息が切れて胸が痛むのをこらえて、とにかくお店に急いだ。
冬の低い太陽が、夕闇を今すぐにでも引きずってきそうだ。
走って走って、服の中で胸元のレンズが跳ねて暴れる。レンズがぶつかる心臓だって、ばくばくと暴れていた。
「新淵さん!」
ほとんど叫ぶように呼んで、曲がり角を曲がる。
「……どうして」
眼鏡屋は、そこになかった。
何度曲がり角を曲がっても、道を行きつ戻りつしても。住宅街の入り口から曲がり角まで、お百度参りみたいに往復を走っても。
空に月が昇っても、そこに銀の月眼鏡店は現れなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます