ネイルと女子会 -Ⅱ

「手元が目に入りやすい仕事の人は、マニキュア好きな人が多いって聞いたことがありますけど。南波さんも、そんな感じなんですね」

 南波さんを通り越して別の人を見ていたことが申し訳なくなって、改めて南波さんの手元をまじまじ見つめた。爪だけでなく、手肌もきちんと手入れされているのだろう、白い手。

「まあね、もともとおしゃれしたり、気合入れてケアするのが好きなのもあるけど」

 南波さんは美しく光る指先で、左手薬指の指輪に触れた。

「旦那がね、自分がいなくなった後も人生を楽しんでくれって、そう言ってたから。だからもう、思いっきり楽しませてもらってるわ」

 ああ、そういうことなのか。

 季節限定のホイップ山盛りドリンクも。たくさんの写真をアップしたSNSも。おしゃれな服や靴も、綺麗なヘアセットも。

 永い生を謳歌し、乗り越えるためのもの。

 それなら心の底から、楽しんでほしい。

 そう祈らずにはいられなかった。南波さんにも、そして新淵さんにも。


「……新淵さんは、楽しいこと、あるでしょうか」

 また目の前にいる南波さんよりも、新淵さんのことを思ってしまう。申し訳ないな、と南波さんの顔色を窺うと、巻いた髪を揺らしながら首を傾けて。

「どうだろうね。眼鏡屋は私よりももっと永く生きてるし、ちょっと想像つかない」

 やっぱり同じ魔法使いでも、境遇が違えばわからないこともあるのだろう。

「まあ、しんどいことも色々あるでしょうよ。でも、眼鏡屋がいくら寂しそうにしてるからって」

 突然、南波さんは声を低めた。生徒を叱る先生のように。

「変なムードに流されたり、ほいほい受け入れちゃ駄目よ」

「はい? なんですか、それ」

「いやらしい雰囲になったり、なし崩しに不健全なことになったり」

「だっ」

 とんでもない発言に、わけのわからない音が口から飛び出た。

 いやいやいや、ちょっと待って。それは、つまり。

「なっ、なりませんよそんなこと! っていうかなに変な想像してるんですか、えっ、やだなに、なんなんですか南波さんわけわからないんですけど!」

 大声になって、周囲の視線が集まった。周りの目と、何より南波さんの言動に恥ずかしくなって頭に血が上る。顔が熱くて、火を噴くとはこのことだ。

「えーだって、制服乱れてたじゃない。泣いてたみたいだし」

「みだっ……れてません!」

 あの状況を、そういう風に解釈してしまったのか。なんてことだ。

「でも、泣いてたでしょ。目、まだすっごい腫れてるよ」

 むしろ今、泣きそうだ。あらぬ誤解を受けた恥ずかしさで。

「泣いたのは、別の理由で」

 本当に涙ぐんできてしまった。南波さんはストレートで、ちょっと失礼なんじゃないか。

 茹った頭は重くて、顔をあげられなくなってしまう。

「……ごめんね、澄花ちゃん。私、だいぶ恥かかせること言ってるよね」

「ほんとに、誤解ですので」

「うん、わかった。ごめんなさい」

 おばちゃん、若い子相手だと心配性になっちゃうからさ。そう言って、今までよりずっと落ち着いた声で南波さんは続ける。

「もし、もしさ、嫌じゃなかったら。なんでそんなになるまで泣いてたのか、教えて?」

 南波さんはストレートで、ちょっと失礼でも。本当に私のことを、心配してくれているみたいだった。



「……なるほどね。それはなかなか、大変だったね」

 今日起きたことをあらかた話すと、南波さんはまずは簡単に感想を口にした。

 そう、大変だったのだ。よく考えたら、一日のうちに初対面と久しぶりの人の二人に会って、話して、大騒ぎをした。

「ちょっと意地悪ね、その男の子も。でもまあ」

 ドリンクの最後をすすって、南波さんは言った。

「その子が眼鏡屋を警戒するのは、ちょっとわかるかも」

「そんな、南波さんまで」

 南波さんは綺麗な爪を頬に添えて、首を傾げる。

「んーだって、魔法なんて、得体が知れないものだと思うだろうしね」

「私が香坂くんを怒らせたのは、わかるんですけど。でも新淵さんのことを悪く言うのは、違うと思います」

 香坂くんが魔法を信用できないのはわかった。だからのんきなことばかりを言った私が、気に入らなかったのも。

 だけど新淵さんは、香坂くんに手を差し伸べたはずだ。新淵さんの魔法は、香坂くんの困難を助けている。それなのにその優しさを、否定されたような気がして。

「そうね、好きな人や物を悪く言われたら、そりゃ怒るわね。自分を否定されたような気持ちになるのも、勝手なことじゃないと思うよ」

 それからゆっくりと、噛みしめるように南波さんは一言。

「……好きなんだねえ」

 そんなしみじみと言われては、沁みてしまう。

 改めて、繰り返して、気づいていく。

「まあちょっと、心配ではあるけどね」

「なんか、香坂くんにも心配されましたけど。私って、そんなに無防備に見えますか」

「私は年寄りだからねえ。まあ、若い子はみんな心配になっちゃうわよ。でも、そうね。澄花ちゃんがどうこうってだけでもなくて」

 南波さんは一度、考えるように言葉を切って、言った。


「眼鏡屋は、ちょっとずるいから」

「ずるい……?」

 言われたことが腑に落ちなくて、ただ繰り返す。

「あー……ずるいっていうか、なんだろな。割と自分勝手なとこがあると言うか……優しさと言えば、優しさなんだろうけど」

 言いにくいことなのか、言葉にするのが難しいのか。南波さんは悩み悩み話しているようだった。

「あれで眼鏡屋は結構、臆病なんだろうね。面倒なことから逃げることだってある」

 悪口とはまた違う気がした。私に何かを伝えようとしてくれているし、きっと新淵さんのことだって、想いながら話している。

「ああ、ごめんね。下手なことは言うもんじゃないわ。別に何か忠告しようっていうんじゃないし、深入りするななんて言うつもりもないし」

 曖昧な言葉を並べられて、どう受け取ればいいのかわからない。新淵さんについて教えてもらえることがあるなら知りたいし、理解だってしたい。

 だけど聞いたら、変わってしまうこともあるのかもしれない。

 これはそういう類の話である気がして。

「それにやっぱり。今、澄花ちゃんが眼鏡屋と一緒にいてくれて、良かったと思うよ」 

 独りはこたえるから。

 静かに、南波さんは言った。


「さて、あんまり遅くなっちゃうと良くないからね。帰りますか。ごめんね、色々と」

 テーブルの上に置いてあったスマホで時間を確認すると、南波さんはそれを鞄に戻そうとした。私も同じように鞄を開いたところで、南波さんが手を止める。

「澄花ちゃん、まだちょっとだけど、瞼重そうだね」

「ほんとですか? 家に帰るまでに落ち着くかな」

 下手にお母さんとかに、心配かけたくはないのだけれど。説明をするのも、ちょっと難しい。

「よし。おばちゃんが魔法をかけてあげよう」

 そういうと南波さんは、ラインストーンの輝く右手人差し指をぴっと立てた。

「私ね、治癒魔法が一番得意だったんだよね」

「治癒、ですか」

「そう。もうあんまり使わないんだけど」

 私の目元に、南波さんがすっと指先を伸ばす。こんなに人がいるところでいいのだろうか。

「現代医療は、目覚ましい発展を遂げたし。私も昔は、魔法で医療行為を行っていたこともあるんだけど……。私は理屈で魔法を使ってないから、それがほんとに体にいい治療なのかわからないしね。でも瞼の腫れを取るくらいなら、大丈夫でしょ」

「はい……じゃあ」 

「派手なことは起こらないから。目を閉じて」

 重たい瞼を伏せる。温かで柔らかい指先が、優しく両瞼を撫でた。ちゃんとしたお化粧をしたことはないけれど、アイメイクをする時はこんな感じなんだろうか。

 瞼の裏側、闇の中で。

 星みたいな、ラインストーンみたいなきらめきが、一瞬見えた気がした。

「はい、おっしまーい」

 指の感触が離れて、そっと目を開く。瞬きしてから周囲をそっと伺うと、誰もこちらを気に留めるような様子はなかった。

 瞼は確かに、軽くなった気がする。私は鏡を見ようと、鞄の中のポーチを取り出した。


「あ、いけない」

「なに、どうしたの」

「ポーチの中の鏡を出そうとしたんですけど。ポーチ、最近買い替えてついでに整理をしたんです。そのまま鏡、家に置きっぱなしにしちゃったみたいで」

 鏡なんてあんまり使わないから、今まで気づかなかった。南波さんは私の手の中のポーチを、しげしげと眺める。

「小さくって、かーわいいねえ。そっか、学校にお化粧品なんて持って行かないもんね。大きいのは必要ないか」

「いえ、私もずっと大きいポーチを使ってたんです。薬をたくさん持っていないと、不安で」

 ちょっと前まで、私のポーチは鎮痛剤がまるまるひと箱分入っていた。出かけてる間どころか、一日の容量を軽くオーバーする量を。正しい容量用法を破って使ったことはないけれど、それでもお守りのように入れていた。

 そんな以前の自分を、愚かだとか哀れだとか、そんな風には思っていないけれど。でも。

「今は小さいポーチに、少しだけ必要なものが入ってれば、大丈夫なんです」

 半月型をした、淡いピンクの小さなキルトポーチ。それで今は十分だった。

「……やっぱり澄花ちゃんは、眼鏡屋と出逢って良かったんだね」

「はい」

 それだけは確かに、私は断言できるのだった。


「じゃあ澄花ちゃん、最後に二人で写真でも撮らない」

「え? あ、いい、ですけど」

 なにが『じゃあ』なのかは、いまいちわからないけれど。楽しそうに撮影の体勢に入ったところを断る理由もなく、私はテーブルに乗り出すようにして南波さんと頭を並べた。

 高校に入学して、何度か友達とこういうことをした。緊張はするけど、楽しい。

「いち、に、さん」

 インカメラで画面に映る自分たちを確認しながら、南波さんがシャッターを切る。

「はい、オッケー。うん、よく撮れてる」

 言いながら、南波さんは私に画面を見せてくれる。

「……あれ?」

 映し出された写真に違和感があって、私は南波さんに尋ねた。

「この写真、加工アプリか何かでいじりました?」

「ううん。撮ってからそのままだよ」

 そうは言うものの、どこか悪戯っぽい笑みを南波さんは浮かべる。

「……さっき魔法で、何かしました、か」

「せいかーい」

 画面の中の、ちょっとぎこちない笑顔の私。その目元。


「なんでお化粧したみたいになってるんですかあ」

 瞼は腫れもなく、すっきりとしていた。

 けれどその上に、淡い薄紅が乗っている。

 ピンクのアイシャドウだろうか、いや、魔法のなせる業なら、化粧品なのかどうかもわからない。

 メイクのやり方なんて知らないけれど、明るい色と、ちょっと濃い色とで綺麗にグラデーションになっている。柔らかなブラウンが目を縁取って、心なしか、睫毛も少し上向いているような。

「可愛いんじゃないかなーって、思っただけだよ」

「意味あるんですか、それ」

「特に意味はなく、テンションの上がる魔法ってものも、この世界にはあるのよ」

 確かに、ちょっと、どきどきはする。

「んーでも、やっぱり目元だけじゃ物足りないよねえ。高校生だから、派手にすることはないんだけど」

 スマホの画面じゃなくて、私の顔を直接眺めながら南波さんは言う。

「ねえ澄花ちゃん。お化粧、覚えてみない? 楽しいよ」

「えっ。そんな、あんまり、興味が」

 メイクを覚えて、どこで披露すると言うんだろう。お休みの日に、遊びに行く時とか? 友達もメイクをする子はいるから、そういう子相手の時にするのなら、お互い楽しいのだろうか。

 案外、お母さんなんかは盛り上がるかもしれない。でも、ちょっと服装に力を入れたりすると、お母さんは邪推するから。

 誰か見せたい人でも、いるの? って。

(見せたい、ひと)


「とりあえず今度、眼鏡屋にこの写真見せてやろーっと」

「あっ、ちょっ、南波さん! やめてください恥ずかしいから、著作権の侵害です!」

「それは肖像権だね」

 慌てるあまり言い間違えた私を突っ込みながら、南波さんは楽しそうに笑った。

「南波さんの意地悪!」

 長い一日だった。

 魔法の花畑で過ごしていたから、もしかしたらちょこっとだけ、一日の時間が伸びたのかもしれないなんて思う。

 だけど魔法使いにとっては、永い時の中の、なんでもない一日なのだろうか。

 魔女さんの、なんでもない一日の締めくくりは。

 私にとっての、長い一日の終わりは。

 ちょっと特別な、二人だけの女子会だ。

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