ガラスの花 -Ⅱ

「あれ。え、さっきの。……ここ、おうちなの?」

「そうだけど。なんでいるの」

 言い方は、きつくなかったと思うけれど。昼休みに逃げるように去って行った中野は、早口で答えた。

「あの、お花の綺麗なおうちだなあって。ここ通るたびに、思ってて。それで、見てただけなんだけど」

 低いブロック塀に引っ掛けたプランターに、今はコスモスが咲いていた。秋空を背景に、淡い紫色が揺れる。

「ああ、まあ。母親が花とか好きで」

「そうなんだ。えっと……学校と家、すごく近いんだね」

 市役所通りを一本外れて広がる住宅街の、ほぼ入り口にあるのが我が家。高校は、市役所のちょっと先。

 うちの高校はレベルとか校風とかが極端でないから、選びやすい学校だと思う。そのうえ通学距離が短くて済むのだから、進学先としては優良だろう。

「近いけど、うちの学校の生徒、あんまりこのへん通らないぞ。そんなにしょっちゅううちの前、通るの?」

 学校から駅までは市役所通りを歩くよりも、実は道を一本二本外れたほうが時短になる場合がある。わずかに距離は伸びるのだが、人通りが少ないからさっさと歩けるし、駅前の信号にも引っかからない場所に出ることができる。車の往来が少なくて安全なのが、何よりだ。だけどそのことを知る生徒は、少ない。

 中野は別の理由で、このルートを選んでるんじゃないだろうか。


「お前さ。魔法の眼鏡屋、知ってるだろ」

 中野の目が大きく見開く。眼鏡は市販品のような気がするけれど、だけどその見開いた目は。

「魔眼持ちか?」

「新淵さんのこと、知ってるの?」

 食いつくよりは、警戒するように。中野はゆっくりと問う。

「ああ、そんな名前だったっけ、あの人。店主さんとしか呼んだことないからな。えーと、あずき色っぽい感じの屋根? の店と、丸くてちっさい銀縁眼鏡かけてる人」

 中野は小さくうなずいた。

「やっぱり、知ってるのか。なに、お前の眼鏡も実は魔眼用なの?」

「私の眼鏡は、普通のお店で買ったやつ。私も魔眼みたいだけど、そこまで扱いに困ってないから魔法の眼鏡で矯正はしてない」

「あれ、なんだ。眼鏡作ってもらったんじゃないの。客じゃないのか」

 俺の言葉に、中野は少しむっとしたような口調で返す。

「魔力は持て余し気味だったから、それを抑える呪具みたいのは、いただいたけど」

「ふーん。あの店、そういうサービスもやってるのか。よくわからんけど。よく行くのか、店」

「いいでしょ、私がどれくらいお店に通ってたって」

「通うほどかよ。俺、数えるほどしか行ったことないぞ」

 まず、最初にたどり着いた時。その時期は眼鏡の様子を見るために、立て続けに二回ほど通った。それから成長過程で合わなくなった眼鏡を交換したのが小学校の半ばで、最後に行ったのは中学入学の直前。以来ずっと何とか今の眼鏡を使い続けてきたが、いよいよ壊してしまった。


「えーと、カオ……コウ」

「香坂な。香坂東希とうき

 わざわざ表札を読もうとするので、名乗ってやる。中野――俺も偶然相手の名前を知っただけで、名乗ってもらったわけではないが――はバツの悪い顔をして続けた。

「香坂くんも、魔眼なの」

「まあな」

「じゃあ割っちゃった眼鏡、新淵さんに魔法をかけてもらったやつだったんだ」

「そういうこと。で、直してもらいたくて、久々に店に行こうと思ってるわけ」

 足は重いけれど。やっぱり眼鏡がないのは不便だ。

「中野もこれから行くの?」

「行く、けど」

「じゃあ一緒に行っていいか。あの店、なんかちょっと変だろ」

「変って……。あ、決まった人しか入れてもらえないって意味?」

 それ以外にも、色々と奇妙な店だとは思うのだけど。中野は納得したようにうなずいた。

「それなら、私はいつでもお店に行けるようにしてもらってるし。香坂くんはあんまり行ってないから、入れてもらえるかわからないんだね」

 ちょっと得意げに中野は言う。『決まった人』にカウントされているのが、嬉しいのだろうか。

「だったらいいよ。一緒に行こう」

 機嫌よく踏み出した中野の後ろを、俺はのろのろとついて行く。


「私は自分に魔力があるらしいってことを知ったのは、本当に最近なの。高校に入学してから」

 道すがら、お互いに魔法と眼鏡屋との関わりを話す。それを聞く限り、中野はついこの間まで、魔眼や眼鏡屋とは縁がなかったようだ。

「俺は、大体十年くらいかな。小学校に入ってすぐに、交通事故にあって。んで、そのショックで魔眼が発現したらしい。なんか事故とか大きい病気とか、自分の身に危機が迫ると魔力が目覚めるってこと、あるらしいぞ。もちろん、元から魔力持ちの人間だった場合だけど」

「事故」

 中野は考え込むようにして黙った。交通事故なんて言ったから、反応に困っているのかもしれない。

「で、だ。それで、魔眼の症状が出るようになって。まあ結構、困ったわけだ。でも原因はわかんないし、親なんかは事故で混乱してるだけだと思ったみたいだし。なんか退院して怪我が治って落ち着いてもさ、友達とあんまり遊んだりする気も起きなくて。だけど家にいても暇で、ほんと適当にぶらぶら近所を歩き回ってたら、店主さんに声かけられたんだ」

 見知らぬ男の人。住宅街の雰囲気にまったく馴染んでなかった。ランドセルだったら、肩紐にぶら下げている防犯ブザーを鳴らしかねなかったと思う。


「私もね、具合悪くなって動けなくなってたところを、新淵さんに声かけてもらったんだよ。優しいよね」

「え、怪しくなかったか」 

「な、そんな。そりゃ知らない人だし、ついて行っても大丈夫かなって、少しは考えたけど」

「少しかよ」

「声かけてくれてからずっと、親切だったもの」

 大丈夫なんだろうか、この人。騙されやすいタイプなんだろうか。繊細な子だとかなんとか聞いていたけど、警戒心とかそういうものは持ち合わせていないのか。

「香坂くんだって、助けてもらったんでしょ。なのにそんな言い方って」

「そりゃあね。魔眼の効果を抑制する眼鏡を作ってもらって、助かったけどさ」

 もう少しで店の手前にある曲がり角に差し掛かる。両親にいくら説明をしても、この地域に眼鏡屋があるなんて信じてもらえなかった。実際、周辺地図には掲載されていないし、角を曲がっても古い家が二軒あるだけで、袋小路になっていた。眼鏡が新しく必要になった時以外、そこに店が現れたことはない。

「魔眼の力を発揮するためじゃなくて、抑えるための眼鏡ってこと?」

「そう。魔力が強いんだか何だか知らんけど、俺の場合は眼鏡なしだとのべつくまなく、いらんもんを見せてくるんだよな」

 今だってそうだ。路地は人が少ないからまだいいけれど、中野相手にも魔眼はばっちり作用している。

「それは確かに、困っちゃうかも」

「だろ」


「香坂くんの魔眼は、どういう力があるの?」

 中野のまなざしは、純粋な好奇心に満ちていた。

「対して役にも立たない、厄介な代物だよ」

「ええ、なんだろ」

「中野こそ、人の魔眼を見抜く力でもあるのか」

 中野は『光る花』について口にしていた。ということは。

「何それ、どういう意味」

「光る花がどうとか言ってただろ」

「ああ、その事? 私は人の記憶を見ることができるから、香坂くんが光る花を見たことがあるのかなあって。あ、もしかして」

 ちょうど曲がり角のところで、足を止めて中野は言った。

「あの光る花が、香坂くんの魔眼と関係あるんだ」

「……まあな」

 なんとなく目をそらしてしまった。

 制御できない魔眼では、中野にも光る花は見えるのだ。

 身を寄せ合うように咲く、赤い小さな花。


「あれ、すごく綺麗だね!」

 視界の端で、中野が笑ったのが見えた。

「なんだか普通の花と違って、ガラスか氷でできてるみたいだね。それがぼんやり光って、色もたくさんで。すごく幻想的だった」

 何の悪気もなく、無邪気に言う。

「その中のいくつかの花が、散るのも見えたよ。散るっていうか、砕けたようにも見えて……。細かくなった花びらがきらきらして舞って、儚いけどすっごく綺麗だった」

 悪気がないのは当たり前だ。中野は何も知らない。俺だって初めて見た時は、綺麗だと思った。

「そうかあ。香坂くんの目には、ああいうものが見えるんだね。どういう意味があるの?」

 中野の問いを無視する。答えて、それで中野がどう思うのか興味はあったけれど、それ以上に煩わしかったので。

「光る花、なんだろうなあ。見えっぱなしは確かにしんどいけど、すごく綺麗で素敵だよね」

 中野は軽い足取りで角を曲がる。


 店は確かにそこにあった。

 あずき色っぽい庇。大きな窓は綺麗に磨かれているけれど、なんとなくのぞき込む気にはなれない。

「いきなり出てくるの、不気味だよな」

「もう、またそんな言い方」

 住宅街の中に、おしゃれなケーキ屋だとか雑貨屋が、不意にぽんと開店したりすることがある。そういうものと同類だと思えば、そこまで奇妙ではないのだろうけれど。それでも俺の日常には全く馴染まないと思うのは、俺がこの店をあまり好まないせいだろうか。

「秘密っぽくて、不思議で、素敵じゃない」

 店を目の前にした中野は嬉しそうだった。

 俺とは見えているものが違うようだった。

「このお店で新淵さんに、綺麗なものとか不思議なものとか、色々見せてもらったよ。私それで、ずいぶんと救われたこともあるの。香坂くんも、そうでしょう?」

「俺は、別に」

 中野の笑顔が癪に障った。何がそんなに嬉しいのか、理解できない。

「魔眼を制御する眼鏡については、それは本当に助かってるけどな。それだけ。眼科行って症状が落ち着いて良かったってなっても、中野みたいに浮かれたりしないだろ」

 話を聞く限り、中野は俺よりもずっと店主さんと交流がありそうだった。そもそもそこからして、意味が分からない。

「俺、あの人のこと、あんまり信用してないんだわ」


 中野の顔が凍り付く。固まった唇が、ぎこちなく動いた。

「あの人って、新淵さんのこと」

「他に誰がいるんだよ」

「助けてもらってるんでしょう」

「眼鏡に関してはな。好き嫌いは、それとは別」

 中野の震える声を聞きながら、ああ、と思い至る。

「そうか。お前は好きなのな、店主さんのこと。なるほどな、まあ、わからんでもないわ。女子はああいう感じ好きそうだな、優しいんだろうし、顔もいいわ」

「な……」

「別にいいけど。なんかお前、変な男にでも引っかかりそうだな」

「やめてよ!」

 中野が声を張り上げた。睨みつけてくるその目は、怒りの色があらわだった。

「なんなの、信じられない。新淵さんのこと変だとか怪しいだとか、不気味だとか。失礼にもほどがあるよ。だったら頼るのなんて、やめたら」

「だから、眼鏡は助かってるって言ってんだろうが。技術と個人の好き嫌いは別もんだし、魔眼用の眼鏡なんざ、あの人しかアテがないんだから仕方なく頼ってんだよ俺だって」

「仕方なく?」

「仕方なくだよ。用事なかったら、行く必要ないだろ。中野はあれか、店主さんに会いたくて行ってるのか」

 お目当ての店員さんがいてお店通いをする、というのは、普通の店でもありえそうな話だ。ずいぶんとのんきで、浮かれた理由。


「私はとても苦しかった時に、新淵さんに助けてもらって。銀の月眼鏡店に行くと、すごくほっとして。私にとって、とても大事な場所なの。それをそんな風に、悪く言われて」

 怒りを抑えるように、中野は自分のシャツの胸元を掴む。巻き込まれた制服のリボンが歪んで、まるで花がつぶれているようだった。

「ああ、なんとなくわかったわ。中野にとっては、あの店は保健室の代わりみたいなもんなんだな。保健室を卒業したっつうか、別のところに行ったのか」

 中野の顔から、色が無くなったように見えた。

「なんで私のことなんか何も知らない人に、そんなこと」

 言い過ぎた、自覚はあった。だけど。

「帰ってよ、馬鹿! 最っ低!」 

「何にも知らないのは、お前もだろうが!」

 こっちだって事情を知らない人間に、馬鹿だ最低だと罵られて落ち着いていられるほど、冷静ではなかった。


「店の前で、何を騒いでるの」

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