つがいの環 -Ⅱ

 カラスが羽を休めている。多分、人の頭の上で。

 カラスが下を向くと、その目線を追うように人のつむじが見えた。頭上から見下ろすような格好だからはっきりと顔は見えないが、ちらりと光るのは丸眼鏡。きっと新淵さんだ。頭に堂々と留まっているのは、白ちゃん。

 新淵さんが高く腕を掲げたから、白ちゃんが飛び移るのかと思った。

 けれどその腕めがけて、別のカラスが飛んできた。

 そのカラスは新淵さんの腕に着陸すると、白ちゃんに目配せするように首を動かした。顔を見合わせた二匹は、揃って飛び去る。

 緑の葉が生い茂る木の枝に、二匹並んで留まった。鳴いているわけではないようだけど、二匹は会話でもするように首を上下左右に振ったり、傾けたりした。仲睦まじく、お互いを羽繕いする。


「……今の、白ちゃんの記憶?」

 瞬きをすると、白ちゃんの背後にいつもの銀の月眼鏡店が見えた。

 きっと魔眼が発動したのだと、二回目ともなると幾分冷静に受け止めた。

「白ちゃん、仲良しのカラスがいたね。あの子も、新淵さんの使い魔?」

「それはたぶん、白夜のつがいだった子かな」

 屈んだ体勢の私は、あやうくバランスを崩しそうになる。

「こんにちは」

「あ、こんにちは」

 お店の玄関から、新淵さんが現れた。白ちゃんが飛び上がるのに合わせて、新淵さんが腕を伸ばす。使い魔は主の腕へとおさまった。

「えっと、白ちゃんのつがい、ですか」

「うん」

 白ちゃんは雄だと聞いているから、つがい相手の雌。つまるところ、白ちゃんの奥さん。

 私が新淵さんの奥さんのことを尋ねて、白ちゃんが自分の奥さんを思い出したのか。それとも未熟な私の魔眼が、意図と違うものを映し出したのかはわからない。

「もうずいぶん昔だけどね。一時的に知り合いの使い魔の、雌のカラスを預かったことがあって。その時につがいになったんだ」

「それは……」


「こんにちはあ、お届け物ですー」

 質問をしようとしたら、突然威勢のいい声が割って入った。宅配会社の制服を着たその人は、小包を抱えて新淵さんに向かい合った。

「ああ、ご苦労様です」

「サインお願いします」

 新淵さんがベストの胸ポケットを叩く。その仕草に、配達員さんが制服のポケットに手を伸ばすより先に。

「これ、使ってください」

 私はトートバッグから、ボールペンを取り出して差し出した。

「あ、ありがとう」

 新淵さんの手に渡ったペンが走るのを眺める。取り出しやすい内ポケットに、一本入れておいてよかったと思いながら。

「ありがとうございましたー」

 足早に去っていく配達員さんの背中を見送る。


「……ここって、配達員さんとか来られるんですね」

 私は受け入れてもらえるまで、散々迷ったのに。

 広がるもやもやに、胸元を掴む。

「ああ、なんだかごめんね。スウちゃんは苦労したのに」

 ありがとう、とお礼とともにボールペンを手渡された。まだ少しぬくもりの残るペン軸にどきりとして、胸元を掴む代わりにぎゅっと握りしめる。

「やっぱり現代社会じゃ、郵便や宅配便なしで生活するのは苦労するからね。この店に確実に用事……向こうがというよりは、僕にとって有用な用事がある人だね。そういう人は、ここにたどり着けるようにしてる」

「じゃあ今の配達員さんは、新淵さんあての荷物がない時にこの辺りまで来ても、お店までたどり着けないってことですか?」

「そういうこと。それをあの人が疑問に思うかどうかまでは、わからないけど」


 私は疑問に思った末、再びここまでたどり着けた。

「スウちゃんとの縁はね、最初に逢ったあの時で終わりだろうと思ったんだよ。体調と魔眼が落ち着けば、スウちゃんが店を必要とすることもないだろうし」

 それは確かに、その通りだろう。体調は落ち着いているし、魔眼に振り回されているほどでもないし。申し訳ないことに、こうしてお店に通うようになった今でも、眼鏡屋さんの顧客とは言えないのだし。

 新淵さんにとっても、私は有用な用事をこなしに来るわけではない。

「だけどスウちゃんは、お店を探してくれていた」

 それでも、どうしてももう一度、新淵さんに会いたいと思った末に。

 私は銀の月眼鏡店を、見つけることができた。

「僕も本当のところは、スウちゃんとの縁が繋がっててほしかったのかもしれないな」

 その言葉に、どれほどの想いと本気が含まれているかは、わからない。

 それでもいい、それでもいいから。私はその言葉を、大切に胸の内へとしまった。


「お前も何かしら、気を使ったのかな?」

 小包を抱えた新淵さんの腕から、頭へと飛び移った白ちゃんはそっぽを向いた。意図するところはわからないが、新淵さんの使い魔は私をこのお店まで導いてくれたのだ。

「ああそうだ。そういえば、白ちゃんの奥さんのこと」

 元々、その話をしていたところだ。カラスのつがいに奥さんという概念があるかはともかく、白ちゃんにも仲睦まじい相手がいたという。

「お知り合いの使い魔さんを、預かったって。白ちゃんとつがいにするためにですか」

「いや、預かったのはもっと別の事情だよ」

 魔法使いの事情は想像では分からない。ペットをお願いするのと変わらないのだろうか。


「戦争に行くっていうんでね。召集令状が来た時に預けに来た」

「戦争」

 聞きなれない言葉を繰り返す。知らない言葉ではないけれど、私の日常からはあまりに遠い。

「第二次世界大戦ね。いろんな呼び方があるけど、普通はこう習うよね。……え、学校で、教わるよね」

 ぼんやりしながら頷く。歴史の授業の話だ。

「だよね。学校でも教えなくなったら終わりだもの」

「はい……」

 何に対してかはわからないけれど、私は一つ返事をする。

「その人は魔法使いなわけだけど、僕や南波と同じく長寿を生きてる真っ最中。だから見た目は僕らと、変わらないくらいの年齢に見える。そうなってくると、僕らの年齢差ってわからないんだけど。でもその人は本来僕らより、ずっと若いわけ」

「えっと……」

「今、大体百歳をちょっと超えたくらい」

 新淵さんが何を言わんとしているかがわからなくて、言葉に詰まる。


「つまりその人はね、戦争中はちょうど実年齢も、公にも、成人男子だったってこと」

「あ」

「僕は実年齢どころか、公にも招集がかかるような立場じゃなかった。だから戦争に行く必要がなくて、使い魔の一匹くらいなら、預かることができたってわけだね」

「ああー……」

 ようやく合点がいった。歴史の授業で習うような話が展開されて追い付かなかったが、何とか話を飲み込んだ。

「でも、新淵さんは実際の年齢はともかく、成人していたんですよね。それでも招集って、かからないものなんですか」

「それはだって、戸籍がないもの」

 なんてことのないように新淵さんが口にして、私は衝撃に声を失う。

 考えてみればわかることだ。戸籍制度がいつから存在しているかはわからないが、三百年以上も有効な戸籍などあるはずがない。


「だから僕は、奥さんがいたこともないよ」

 心臓がきゅっとした。

 聞かれていたんだ、白ちゃんへの問いを。

「まあ、南波も旦那さんとは籍入れてないけどね、入れようがないから。それでもいい夫婦だったと思うよ」

 調子を変えることもなく、新淵さんは続けた。

「だから結局、僕は戸籍がどうこう以前に、そういう人がいたことがないって話なんだけどさ」

 空いた左手薬指の答えを知って、胸をなでおろすよりも、ずっと。

 もっとずっと、胸を締め付ける感情があった。

「寂しくは、ないですか」

 とても失礼な問いかもしれない。答えを聞いたところで、何ができるわけでもないかもしれない。

「どうだろう」

 丸眼鏡の奥で細まった目、動揺や戸惑いの見えない微笑み。

 大人相手だからとか、結婚歴とか、そんなものよりも、もっと。

 もっと私にはわかりようのないものが、新淵さんにはある。


「戸籍がないならないなりに、長寿の魔法使いの間では、それなりに生きていく方法ややり方ってのが、伝わっているんだけど。それはまあ、魔法使いの秘匿情報」

 唇の前に人差し指を立てて、悪戯っぽく新淵さんは言った。

 それはきっと本当に、私なんかが知りようもないことで。魔法使いたちは、いつの日か入る墓場まで持っていくものに違いない。

 魔法世界の神秘だとか秘匿だとか、そんな大掛かりな事情や理なんて、知らなくても良いから。

 新淵さんの心だけでも知りたいと思うのは、おこがましいことなんだろうか。


「荷物、どこからかな」

 店に入りながら、新淵さんは小包を検める。頭に乗ったままだと入り口にぶつかりそうだった白ちゃんはポーチに着地すると、珍しく店内までついてきた。

「お、この前の。スウちゃんがいた時に魔法をかけてた眼鏡、あるでしょう。その持ち主からお礼の品が届いたみたい」

 新淵さんは小包をテーブルの上に置いた。箱のそばに、白ちゃんが飛び乗る。

「あの眼鏡の持ち主ね。今話した、白夜のつがいの子……ヨルコっていうんだけど。その子の主人なんだ」

「ああ、そうだったんですか」

「うん。無事に戦地から帰ってこられたと思ったら、ヨルコが白夜と巣作りしてたから、僕、だいぶ文句言われたけど。でも縁は切れないね」

 新淵さんは小包の伝票をはがしとる。

 確か、先方の使い魔が亡くなったから、宅配便でのやり取りに切り替えたと言っていた。ということは、白ちゃんの奥さんはもういなくなってしまったということだ。

「ん?」

 包装紙をはがすと、箱の上に封筒が載せてあった。

「お手紙ですか」

「一筆添えてくるのはいつものことなんだけど……なんでこれ、ちょっと膨らんでるんだろう」

 何か入ってるのかな、と言いながら新淵さんは封を切った。手のひらを切り口に添えて、封筒をひっくり返す。

 ころころと小さな何かが二つ、新淵さんの手のひらに落ちてきた。


「足環だ」

 新淵さんの指先が摘まみ上げたそれは、金属でできた小さな輪っかだった。銀色で、文字のようなものが刻まれている。

「あしわ?」

「うん。これ、鳥の足に個体識別のために着けるやつなんだけど」

「あ、じゃあ使い魔さん用の」

「いや、使い魔は魔法で使役するから、こういうのがなくったって管理できるよ。だから使ったことないんだけど、なんでまた」

 首をひねりながら、新淵さんは封筒から手紙を取り出した。視線が便箋をなぞっていく。

「……白夜とヨルコがつがいになった時に、揃いで作った足環なんだって。なんか文句言ってた割に喜んでたみたい、ヨルコにつがいができたこと」

 その人はきっと、自分の使い魔をとてもかわいがっていたのだろう。新淵さんや南波さんが、白ちゃんやトコちゃんを大切にするように。

「で、勢いで揃いの足環なんて作ったけど、使い魔に足環もないだろって我に返って、しまい込んでたのが出てきたらしい」

「それで送ってきてくれたんですか」

「うちはまだこの子が生きてるから、二つとも送ってきたみたい。どうする、白夜。つける?」

 新淵さんの問いに、白ちゃんはカアと鳴き返した。

「うん、じゃあつけよう。つけ方よく知らないから調べて、あとでね」

 そう言うと新淵さんは足環を、先日眼鏡を乗せていたトレイに並べた。

「お礼、紅茶の詰め合わせだ。スウちゃん、これでお茶にしようか」

「私、今日クッキーを焼いてきたんです。良かったら、今日はそれを」

「そっか、楽しみだな」

 トレイに並んだ二つの足環。

 まるで結婚指輪みたい、と思ったのは言わないでおく。

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