指先から微熱 -Ⅰ
八月の強烈な日差しが、じりじりと肌を焼く。思わずうつむきがちになって歩いていると、髪が短い私は丸見えのうなじが焦げていくんじゃないかと思うほどだった。
いや、無防備なのは顔も腕も足も、どこもかしこもだけど。
日焼け止めは家で塗ったきりだけれど、大丈夫だろうか。お母さんと共用で使っているから、自分専用の日焼け止めを一本買って持ち歩いた方がいいかもしれない。学校でも禁止されているわけじゃないし。
というか、お母さんの言う『私の学生の頃は、日焼け止めなんて化粧品扱いで没収だった』というのが信じられない。
厳しすぎるなあと思う反面、日差しがそこまで強烈じゃなかったということなら、それはそれで羨ましい。時の流れは、気象条件まで変えてしまう。
駅から平坦な道のりを歩いて、ようやく目的地にたどり着いた。ようやくといっても、容赦のない暑さのせいで長く感じてしまうだけ。実際は駅から徒歩五、六分程度。
白と、模様としての青色が入り混じった、タイル張りの外壁が特徴の建物。
学校はお休みだけど駅は同じ、今日の目的地は高校より少しだけ駅寄りの場所に建っている市役所だ。
照明が少ないのか、節電なのか、薄暗い入り口を潜る。冷房によって冷やされた空間に出迎えられて、灼熱地獄を潜り抜けてきた私はここが天国かと一瞬本気で思った。
暑さにうなだれていた顔を上げると、二階フロアに明かりがついているのが目に入った。二階は市役所窓口があるエリアで、今日はまだお盆前の平日だから開庁しているようだ。用があるのは、二階じゃないけど。
横目に小学生図工展の掲示を眺めながら、入り口からまっすぐ進む。建物の奥にある自動ドアを潜ると、想像よりもたくさんの人がそこにはいた。
人はたくさんいるけど、うるさくはない。
市役所に併設された市立図書館には、多くの利用者が訪れていた。
(夏休みだもんね)
読書感想文や宿題のためか、長い夏休みの有効活用か、子どもが目立つ。それと付き添いと思われる保護者の大人。ほかにも平日に時間がある人は結構いるようで、老若男女問わず、様々な人が読書にふけったり机で書き物をしたりしていた。
久しぶりに訪れた図書館はほとんど記憶がなく、どこにどんな本があるかわからない。きょろきょろしながら書架の間を進んだが、お目当てはすぐに見つかった。
書架が他のものよりも、格段に低かったから。あと、子どもが多いから。
ひらがなのプレートが張り付いた二段ほどの書架に、高さも厚さもばらつきのある薄い本が収まっている。
窓際に並んだ絵本コーナーの前に、私はしゃがみこんだ。
スマホのロックを解除して、あらかじめ表示しておいた絵本の画像を確認する。
お母さんに聞いた、私が子どもの頃に大好きだったという絵本を探すために。
話を聞いてから何となく気になって、クッキーとかくまさんとか、それっぽい単語をピックアップしてスマホで検索してみた。すると探している絵本に内容が近そうな作品がいくつか見つかったけれど、どれを見ても思い出せなくて、お母さんに確認してもらった。そうしたら、お母さんは『懐かしい!』とはしゃぎながらすぐに絵本を特定した、のだけど。
その絵本は、私が生まれた頃には絶版していたのだ。
絶版後も、長く本屋さんに残り続けることもあるだろう。古本を買った可能性だってある。
けれどもしかしたら、図書館で借りた絵本だったのかもしれない。
私は友達が少なくて、社会性に乏しい子どもだった。だからお母さんはよく市役所で行われている年少向けのイベントに私を参加させたし、児童館にも連れてきてくれた。図書館にも。たびたび市役所に通ってきていたから、お気に入りの絵本を繰り返し借りることだってあったみたいだ。
細い背表紙のタイトルを追いかけるのは煩わしくて、絵本を斜めに倒しながら表紙を直接確認した。何冊か追いかけたところで、スマホの画面と同じ絵本を見つける。
「あった」
本を傷めないように、ゆっくりと抜きだした。軽いけれど文庫やハードカバーより大きい絵本の両端を、両手でしっかりと持つ。
クッキーの色みたいにも見える、ベージュの表紙。これもまたクッキーを型抜きしたような、丸いフォントのタイトル。表紙を飾るくまさんは可愛らしいけれどちょっとリアルで、どうやらこの絵本は人形を使った写真を挿絵にした作品みたいだ。
表紙の角に指をかけて、そっとページを開こうとして。
「いっ……」
表紙に添えていた指を離す。その指でそろそろと額を抑えた。
頭の中にじわりとした痛み。突然の頭痛に襲われて、ぎゅっと目を閉じる。
(なんだろう、今日のは)
先日、私がずっと抱えていた不調の原因は魔力だったのだろうと、とんでもない事実を知った。それは新淵さんの力添えのおかげで解消していて、それからは好調だ。
けれど勉強に長時間取り組んだ時とか、思わず夜更かししてスマホをいじりすぎた時とか、完全に頭痛や不調と縁を切れたわけではない。そういう体調の変化は、誰にだって起こる。
洋服越しに、胸のあたりを掴んだ。
布越しの丸くて硬い感触。私の魔力を制御するのだという、小さなレンズ。
今の頭痛と魔力は関係ないのだろうけれど、それでも心細い時とか、なにかの力を借りたい時には思わずレンズに触れてしまう。
白ちゃんにレンズを盗られた時――悪気があったわけじゃないみたいだけど――から、うっかりなくしたりしないよう、紐をつけて首から下げるようにしたのだ。
「どうしましたか」
少し高いところから声がして、瞬きをしながら顔を上げた。首から名札ケースをかけた図書館員さんと思わしき人が、戸惑うような表情で私の様子をうかがっていた。
図書館員さんの肩越しに、天井に埋め込まれたエアコンが目に入る。
「あ、大丈夫です。冷房で、冷えたみたいで……」
ふるりと体を震わせて、腕をさする。
「ああ。この場所、直風なんですよ」
「みたいですね。外が暑かったから、最初は感じてなかったんですけど」
頭痛の原因に気が付いて、なんとか気を落ち着かせる。冷えというのは、体にまったくもってよろしくない。
図書館員さんに軽く会釈して、そのまま絵本を抱えてカウンターに向かった。図書館内で中身を読むだけ読めれば借りなくてもいいかなと思っていたけれど、冷えてしまったし。それにお母さんも、懐かしがるかもしれないし。
私は貸出手続きを済ませた絵本をトートバッグへとしまって、再び真夏の日差しのもとへと戻っていった。
「ありゃ、どうしたのスウちゃん。顔色、悪くない?」
銀の月眼鏡店を訪ねて、開口一番、新淵さんが言った。
「早く入って、入って」
急かされて店に入ると、肌に心地よいちょうどいい空気に満たされていて、ほっと息をつく。
キンキンに冷えた市役所から、再び鉄板の上みたいに熱した外へ。寒いと暑いの、代わる代わるの猛攻にやられていた身にはありがたかった。
お店の中にエアコンらしい設備は見当たらないけれど、どうしているのだろう。魔法だったりするんだろうか。
「ほら、座って。ちょっと散らかってるけど」
促されて、ゆっくりと椅子に掛けた。
新淵さんはテーブルに置いてある、眼鏡を乗せた小さなトレイのようなものや、眼鏡拭きのような細かい用具を片隅に寄せた。
「暑さのせいかな。熱中症とかなってないといいけど。吐き気とか、頭が痛いとか、ない?」
新淵さんの気遣いが心底染みた。まだ続く鈍痛に、一番しんどかった頃のことを思い出してしまった。
この優しい人に声をかけてもらったことが、間違いなく幸運だったのだと思う。
「頭が少し、痛くて。でも暑さより、冷房のせいだと思います」
「冷房? 電車とか」
「いえ、ちょっと、図書館に寄ってきて。本棚の位置が冷房の真下で、冷えちゃったみたいです」
むき出しの二の腕を抱えながら、ため息をつく。
「やっぱり、お母さんの言うこと聞けばよかったな」
「お母さん?」
「そんなに薄着するんじゃないって」
今日来ているのは、シンプルな白いワンピースだった。ノースリーブだけど胸元はほとんど開いていないし、丈も膝下まではあるのだけれど。
「いつもはカーディガンも持ってるんですけど、ちょうど洗濯してて。だったら袖のある服に着替えていきなさいとか、あと、靴下も履いていけって言われたんですけど、無視しちゃって……」
見下ろした足元はむき出しで、ごく細いストラップだけでデザインされたサンダルを履いているのでは、素足と変わらない。足の指の一本一本と、並んだ小さな爪を眺める。
お母さんの言うとおり、袖付きのTシャツでも靴下にスニーカーでも、良かったけれど。
「そっか。そういえば、いつもと全然違う恰好してるもんね。夏休みだもんね、冷えちゃうかもと思っても、可愛い洋服着たいよね」
「……です」
可愛い、洋服を着たいという気持ちは人並みにある。でも洋服を誰かに見せびらかしたいなんて、思ったことはない。
だけど制服じゃない格好でここに来ることは、めったにないことだし。
見せびらかしたいとは思わないけれど、こう、せめても。
「いいね、たまにはそういうのも。可愛い可愛い」
報われたい、という想いは、ある。
心地よい室温の店内で、私は暑いのか寒いのか、全く分からなくなるのだった。
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