5章 2節

シェルターへの入口付近は落ち着きを取り戻し、

自警団の誘導の元、人々は中に入っていく。

リュカらの子どもたちはさっき並び始めたばかりだったので、

入場できるのはまだ時間がかかりそうだった。

ウルスの元に武装した男が近付いてくる。

服装をみると自警団の人間だと思われた。

男はウルスに軽く会釈すると自己紹介を始める。


「殿下。お初にお目にかかります。

私は自警団を指揮しておりますハルビンと申します。

先ほどは、混乱を沈めていただき、感謝の念に絶えません。」


恭しく一礼した。

ウルスは気付いていないが、自警団とはいえ、

海賊の街であるマラッサの街の自警団という事は、

有事の際は王国と敵対する可能性のある組織である。

ハルビンはその事に気付いていたが、海賊の街である以前に、

スノートール王国領内の街でもあったので、

国の王子と敵対するつもりはなかった。

ウルスはそんなハルビンに好意的である。


「いえ、でしゃばった真似をしてすみません。

市民の誘導のほう、よろしくお願いします。」


ウルスが頭を下げたので、ハルビンは恐縮する。


「でしゃばった真似など、めっそうもございません。

流石は殿下。というところです。」


ハルビンは38歳ぐらいの中年であったので、ウルスとは二周り以上も違うことになる。

そんな彼が礼節を尽くすのだから、王子という肩書きは

ウルスが思っている以上に影響力があった。

ハルビンとしては、ここで王子を立てることで、

街の復興を支援していただけるのではないかという打算もある。

そのため、彼としてはウルスに敬意を払うことは必要な事であった。


このようにハルビンを筆頭に、何人かがウルスへ挨拶に来たが、

ウルスの歓心は別のところにあった。

王子であると名乗ってから、同世代の子ども達はウルスの側から離れたのである。

リュカでさえもウルスの側に来なかった。


「嘘はついていないけど、黙っていたからな。」


ウルスは思う。

彼は王子であることをリュカらに黙っていたし、リュカに至っては

グランベリーとのやり取りを知っているので、

この街の子ども達が誘拐された原因が、ウルス目的であったという事に

気付いていてもおかしくなかった。

せっかく友達ができた気になっていたウルスとしては、

心が苦しい。

今、ウルスが一番に声をかけて欲しい相手は他ならぬリュカであったのだが、

自分から声をかけることも出来ず、ウルスは内心穏やかでなかったのである。


一通り大人たちの挨拶が終る。

ウルスは一息ついたが、周りを見渡すことが出来ず、

シェルターに入る人たちを見届け続けた。

周りを見渡すということは、リュカたちが目に入るということである。

それは彼らがどんな目でウルスを見ているか知るということである。

ウルスはそれが怖かった。

近くにいないのはわかっていたが、

実際の距離間をこの目で見る事が怖かったのである。


「名乗らなければ良かったかな?」


ふとウルスがそう考えた時、背後から肩を叩かれた。

ウルスは目を輝かせて振り向く。

王子であるウルスの肩を気楽に叩く人間など、リュカ以外にいないと思われたからだ。

振り向いた先に、ウルスの希望通りリュカがいた。

ちょっとバツの悪そうな表情で、なんと声をかけていいかわからないという表情で

リュカが立っていたのである。


「リュカ、ごめん。身分を黙ってた。」


真っ先にウルスはリュカに謝った。

ウルスが今、一番にしたかったことである。

リュカは照れ隠しに目線を一回逸らしたが、ウルスに向き直る。


「びっくりしたよ。」


ニコッと笑ってリュカが応えた。


「しかし、すげぇな。大人達が皆ウルス・・・君の言う事を聞いてるぜ。」


何を話していいかわからず、リュカは当たり障りのない事を言う。


「凄いのは僕じゃないよ。王の息子っていう肩書きなだけさ。」


ウルスはもう一度シェルターに入っていく人の列を見た。

そう彼らは、ウルス少年の指示に従って動いているのではない。

ただ単に生存本能でシェルターに避難しているのだし、

軍が救出に来ると信じ安心しているのも、王子がそう言ったからである。

ウルスという少年が言ったからではない。

だがそんなウルスをリュカが否定する。


「馬鹿言うなよ。」


ようやく普段通りのリュカに戻った気がした。


「王が何かしてくれたかよ?ここにいるのは誰だよ?

マーガイアを追っ払ってくれたのは誰だよ?

王か?王子さまか?違うよ。ウルス、君だよ。」


ウルスは王子である。

ウルスがやったことは王子がやった事である。

しかし、リュカが言っているのはそうことじゃなかった。


「俺らはさ、国に見捨てられて、支援もなく海賊相手に商売してる。

王が何をしてくれたよ?王国が何をしてくれたよ?

ウルス。君だよ。君がマラッサのために動いてくれたんだ。

君なんだよ。」


リュカの言葉は子どもの屁理屈のように聞こえたが、

ウルスはリュカが自分を褒めてくれているのだと素直に喜んだ。

ウルスは今まで、これをやりなさい、王子ならばこうでありなさい。という

大人たちの押し付けを守る事で褒められた事はあったが、

自分自身で決めた事で褒められた事はなかった。

あったかもしれないが、それはあくまで大人たちに誘導され、

「させられた事」であった。


しかし今は違う。

自分で決め、自分で行動した。

市民の前で王子であると自己紹介したなど、ブレイク伯に知られたら

めちゃくちゃに怒られる案件であろう。

しかし、リュカは褒めてくれる。

王子ではなく、ウルス自身を。


「本当に凄いのはリュカのほうさ。」


ウルスは思わず本音を漏らした。

それを聞いたリュカが目を丸くする。


「あ?俺に王子は無理だぜ?

無理無理、絶対無理。」


リュカが笑う。

釣られてウルスも笑った。


「案外、似合うと思うけどなぁ。」


「案外って何だよ。案外って!」


2人は大声で笑う。

それを見ていた他の子どもたちもウルスの周りに集まってきた。


「ウルスって本当に王子なの~?」


「いっつもどんな食事食べてるのさ?」


「ガバイアって、食いもんの話ばっかり~。」


「あははははは。」


それはどの時代も、どんな時も普通に散見される光景だった。

子ども達の他愛のない会話。

身分とか肩書きとか不必要な会話。

ウルスの心配は杞憂だった。

マラッサの子ども達は、ウルスが身分を黙っていたことに怒っていたのではなく、

単純に王子とどう接すればいいかわからなかっただけである。

そして、一歩踏み出せばいつもの彼らに戻る。

ウルスの心が晴れた。

街は業火に包まれ、瓦礫の山が出来ている。

だが、いつの時代も、どんな場所でも、

子ども達の笑いは、周囲を明るく照らすのだった。




ウルスはシェルターに入るため、並んでいる人たちの

列に入った。

救出されるという安堵感は子ども達にも伝わったようで

笑顔が見られるようになる。

凄惨な現場を経験してはいたが、この惨劇を思い出すのは

数日経ってからであろう。

今はむしろ極度の緊張感から逃れるため、

明るく振舞う事に逃げているようである。

ウルスはリュカの隣に並ぶと、一大決心をリュカにぶつける。


「リュカ、さっき僕が手伝って欲しい事があるって

言った事なんだけど・・・。」


その言葉に、リュカは眉を吊り上げて反応する。


「ああ、そんな事言ってたな。なんだ?」


リュカはいつものように深く考えずに言葉を返したが、

言った後でそれが早まった事に気付く。

手伝うと言っても、相手は王国の王子である。

リュカに手伝える事などあるはずがなかった。


「リュカ、ここを脱出したら、王都に来ないか?

一緒に学校に通おう。」


ウルスは無邪気な顔で大胆な事を言ってのけた。


「は?王都の学校って!!!?

俺、学校なんて通ってたこと、もう何年もないぜ?」


「そこは、家庭教師をつけよう。

父は僕が説得する。」


「いやいやいや、待てって。」


リュカは珍しくたじろいだ。

しかしウルスは引き下がりそうもない。

こんなに押しが強い奴だとはリュカも思っていなかった。


「なんで俺が王都に行く必要があるんだよ?

それにおれはこいつらの面倒を見なきゃいけねぇし!」


リュカは周りを見た。確かにリュカの仲間達は彼を慕っている。

しかし、ウルスはそこも折り込み済である。


「だからさ。君が王都に来て口利きすれば、

彼らの待遇も良くなる!

側に居て何が出来るって言うのさ。

王都に来て、父や貴族に援助を頼むんだ。

絶対そのほうがいいって!」


ウルスは言い切る。

そこには、王子であるウルスも彼らのために動くという決意もあった。

ウルスは父である王や、養育係であるブレイク伯を説得する自信があった。

ウルスが王道へと進むために、リュカが必要であると

力説するつもりなのだ。

ウルスは自分自身が王宮以外の世界を知らないということを今回の件で

痛感していた。知らない世界が沢山あり、もっと視野を広げる必要がある事を

実感していた。そのためには、リュカが隣にいてくれる事が

ウルスにとってとても重要な事だと彼は確信したのだ。

だからリュカの存在が必要なのである。


「いや、待てって。急に言われてもよ。」


リュカはウルスの押しにタジタジであった。


側で2人の会話を聞いていたギャブが、リュカのうろたえる姿を

ものめずらしそうに見ている。


「決めちま・・・。」




それは突然やってきた。

軍に救出されるという安堵感から、警戒心が緩んでいたのかもしれない。

ウルスは浮かれていたし、リュカはうろたえていた。

周りの子ども達は、王子が側にいる事で油断していたし、

避難所の列に並ぶ大人たちは、そもそも警戒していなかったし、

自警団の面々は、王子の身に粗相がないかと、子ども達に注視していた。

それでも最初に気付いたのはリュカで、

それが間に合わないと判断したのもリュカだった。

リュカは一瞬空を見上げると、ウルスの身体に覆いかぶさるように動いた。

その動きを見て、ブッキが空を見上げる。

それは突然やってきた。


少なくとも、ウルスには何が起きたのか、まったく理解できていなかった。

大人たちも子どもたちも、多くが気付いていなかった。

だが今は、決して油断できる状況ではなかったのである。

グランベリー海賊団の旗艦「ノーライフデス」から放たれた

無差別のミサイルの一発が、ウルスらの並ぶ列に着弾し、

光が、爆風が、轟音が、彼らを包みこんだ事を理解できたものは、

ほとんど居なかったのである。


爆発は、ウルスらの場所から20Mほど離れた場所で起こった。

眩しいほどの光が視野を奪い、強烈な爆風が辺りを吹き飛ばした。

爆発の中心地には列にならぶ大人たちがいたが、

彼は何が起きたのかわからないまま、光に包まれたであろう。

ブッキは着弾に気付き、瞬時に身を屈めたが、

仲間達の多くは、無防備にその爆風に肌をさらした。

リュカは力任せにウルスの身体を引っ張り、地面に倒すと

そのまま上に覆いかぶさった。

ウルスは何事かと、リュカに視線を泳がせた瞬間、

リュカの背後に光が走り、凄まじい爆音と空気が膨張して走る音が聞こえた。


「え?」


と思ったときには、隣に立っていた少年の首が吹っ飛んでいく。


ドガガガガガッガガガガガーーーン!!!!


という音が、耳に響いた。

遅れて土煙が周囲を包む。

地面に倒れこんだウルスは、腰を強打したがそれは大した問題じゃなかった。

爆風が落ち着き、辺りはグレーで染まる。

大量に撃たれていた焼夷弾ではなかったのが幸いし、

火の手は上がっていない。

焼夷弾であれば、一面火の海でウルスも炎に巻かれていただろう。

ウルスはキーンとした耳鳴りの中、自分の上に覆いかぶさるリュカを見た。


「リュカ!リュカ!」


自分の声も聞こえない。だが、ウルスはリュカの名前を呼んだ。

ピクっ!とリュカの腕が動く。


「リュカ!大丈夫?リュカ。」


リュカが生きていることを確認したウルスは、更にリュカの名前を呼んだ。

ようやく周りの声もウルスの耳に入ってくる。


「助けてくれ~。」


「ああああ・・・。」


何人かは生きている。だけど。

ウルスはリュカの背中に手を回すと、彼を横にどけようとした。

が、背中に回した手に、生暖かい感触が伝わる。

ウルスは反射的に自分の手を見た。

真っ赤な鮮血に染まった掌を見て、血の気が引いていく。


「リュカ!リュカー!」


ウルスはリュカを横にずらし、上半身だけ起こす。

そして何が起きているのかを把握した。

リュカの背中は爆風で火傷状態の上、無数の破片が刺さっており、

真っ赤に染まっていた。


「リュカー!!!」


少年は真っ赤に染まった掌で、リュカの顔に触れる。

ぬるっとした感触が、ウルスの胸に突き刺さる。

ウルスはリュカの全身を見る事が出来なかった。

怖かったのである。

彼の身に何が起きたのか?確認することが怖かったからである。

少年はリュカの顔だけを見て、必死に名前を呼び続けた。

ただ、名を呼び続けることしか出来なかった。

それに意味があるかどうかもわからずに。


土煙の中、苦痛にもだえるリュカの表情が見て取れる。

生きてる!

ウルスはリュカの後頭部に手を回し、彼の頭を持ち上げた。


「リュカ!大丈夫!?リュカ!」


「うう・・・。」


意識があることを確認したウルスは、少し落ち着きを取り戻した。

周囲では悲鳴やら怒声やらが入り混じる。

シェルター前にいたのは50人近くを数えたはずで、

そこに直撃したミサイルの被害は想像できた。

自分がほぼ無傷なのは奇跡である。

否、リュカが身を挺して守ってくれたからである。


「リュカ、シェルターの中に入ろう!」


ウルスは彼を抱えあげようとするが、血のぬめりで上手く抱える事ができない。


「う・・・ウルス、無事だったかい?」


薄目をあけてリュカがウルスに問いかけた。


「僕は大丈夫。リュカ、早く手当てしないと!」


少年はリュカの顔を見る事もなく、この場をなんとかしようと躍起になっていた。

止まらない血を止めようと、掌で傷口を押さえたり、

なんとかこの場から動かそうと、腕をリュカの首筋に回したり。

だが、その行動は何の根拠も無く、何をしようとしているのかは

定かではなかった。


「血が、血が止まらないよ!リュカ。」


リュカの全身から流れ出す血が、地面に血溜まりを広げていく。

リュカの背中には無数の破片が突き刺さっており、至るところから

出血していたのであって、ウルスは気付かなかったが、

わき腹に大きな切り傷があり、メインの出血はそこであった。


「ぐふっ。」


血が肺に入ったのであろうか、リュカが口からも血を吐き出す。

ようやく、ウルスはリュカの顔を見た。

生きていると安心したのも束の間、予断を許さない状況であると

医学の知識のないウルスでもわかった。

しかし、ウルスが見たリュカの表情は何かしら安らぎを感じさせる。


「王都の学校に行く約束、ごめんな。無理そうだ。」


「大丈夫だよ。リュカ!

王都へ行けば優秀なお医者さんもいる。大丈夫だから!

こんな傷、大丈夫だから!」


ウルスは自分でも何を言っているのかわかっていなかった。

王都に行けば傷は治る。だが、傷のせいで王都に行けないのだ。

そんな簡単な矛盾も気付かないぐらい混乱している。

だが、リュカはウルスの言葉を聞くと笑顔で頷いた。

その笑顔にウルスは一瞬緊張感を解き、そしてそれを後悔した。

リュカは静かに目を閉じ、力なくうな垂れたからである。


「リュカ!?リュカ!!!

返事をして!?リュカ!!!」


少年は動かなくなった電動オモチャを扱うかのように、

激しくリュカの身体を揺さぶる。

リュカの身体が上下に揺れた。

次第に晴れてくる土煙の中、人影が判るようになる。

多くの人間が倒れていた。立っているものは数えるほどしかいない。


自警団のハルビンは、爆発の混乱の中ウルスを探した。

この中で王太子が一番の重要人物だからである。

ハルビンはウルスを見つけると声をかけた。


「殿下。ご無事でございましたか!?」


ハルビンの声に少年は反応せず、ただ、抱きかかえたリュカを激しくゆすっている。


「殿下、ケガ人を激しくゆすってはなりません。

まずは止血をしま・・・。」


そこまで言うと、ハルビンは言葉を止めた。

ウルスが抱きかかえているモノを視認したからである。

それは、激しくゆすっていけないモノではなかった。

それはケガ人でもなかった。

いや、もはや人でもなかった。

王子とそのモノの周りに広がるおびただしい量の出血と、

何より、吹き飛ばされたであろう右足の消失。

わき腹にあるえぐれた大きな傷口。

力なくうなだれる両腕。

ウルスの激しい揺さぶりに反応しない身体。


ハルビンは被っていた帽子の唾に手をやると、静かに目を閉じた。

黙祷を捧げる。

ハルビンは、直ぐにでもウルスを避難させる立場にあったが、

既に人ではなくなった遺体を激しく揺さぶり、声をかけ続けている

この幼い少年を止める事ができなかった。

ハルビンはリュカの事を知っている。

この街ではなかなかの有名人で、自警団も手を焼いていた

少年グループのリーダーである。

そのリュカとウルスの関係が何なのか?はハルビンは知らない。

だがこの国の王子が、このしがない街の住人のために激しい嗚咽と共に

号泣している姿を見て止める事が出来なかった。

不謹慎ながら感動していたのである。

王国に、王に見捨てられた街の住人のために泣いてくれる王太子に

彼は感動したのだった。


「リュカ・・・リュカァ・・・。」


号泣は次第に勢いを無くす。

現実を受け止めようとしているのがわかる。

小さな身体が更に小さく、丸まろうとしている。


「う・・・う・・・。」


嗚咽に似た叫びも無くなり、ウルスはリュカを抱きしめた。

タイミングを計っていたハルビンがウルスに声をかける。


「殿下、シェルターへ。」


彼は少年の肩に手を置いた。

王子に対して、気軽に肩に手をかけるというのは不敬ではあったが、

王子と市民ではなく、子どもと大人としての対応である。

大人は傷ついた子どもを優しく誘導する責務があった。

ウルスは肩にかけられた手に視線を移すと、ハルビンを睨む。

その瞳は涙に包まれていたが、しっかりとした意思を持って、

ハルビンを睨んだ。

怒りがハルビンにも伝わってくる。

邪魔をするな!という意思を受け取るが、ここで引く訳にはいかない。


「殿下!!!」


彼は強い意志でウルスを睨み返したつもりであったが、その瞳には

同情と優しさを隠しきれない。


「殿下・・・。」


ウルスは聞き分けのいい子どもである。

大人の忠告には素直に従ってきた。

頭もいい子どもである。大人の言い分を理解できた。

だから、今ハルビンが言う事もウルスは理解している。

理解はしている・・・が。

ウルスはリュカの安らかな笑顔をもう一度見る。

やりきった!という表情であろうか。

満足げなその顔が、今のウルスには憎らしい。

リュカはウルスの盾になり爆風から、彼を守った。

無事だったウルスの姿を見て、安堵した顔なのだろう。

それがウルスには憎らしい。


「なんで・・・君が・・・。」


一度勢いを失った涙腺が、再び激しい衝動をもって荒ぶる。

何故、リュカはウルスを身を挺して庇ったのか?

その疑問をウルスは自問自答する。

それは、ウルスが王太子だからだ、

否、リュカはウルスが王太子でなくとも守ろうとしたのではないか?

リュカはそういう男である。

ウルスはこの街の住人ではなく、部外者である。

だから、守ったのか?街の住人として、巻き込まれた形の観光客を守ったのか?

違う!

それも違う。

リュカにとって、ウルスは仲間だった。仲間だと言ってくれた。

だから守ったのか?

それは大きな理由だったかも知れないが、それだけではないとウルスは思う。

マーガイアを追っ払ったからか?

その借りを返そうとしたのか?

そんな殊勝な人間であろうかリュカは。

立派だとは思うが、そんなちっぽけな理由ではない気がした。

リュカは。

リュカはきっと、側にいた守らなければならない存在をほっておけない人間なんだ。

彼より年少な子どもがいたならば、

リュカは同じように年少者を庇っていただろう。

ウルスはそう感じる。

それがたまたま、今回はウルスだっただけなんだろう。

リュカはそういう男なんだ。

つまり、リュカから見てウルスは「守らなきゃいけない存在」だったのだ。

王子だからというのではない、彼より弱い存在だと思われていたからだ。


「敵わないな。君には・・・。」


ウルスは静かに、リュカの遺体を地面に降ろした。

ウルスの身体中をリュカの赤い血が染め上げている。


「敵わない存在のまま、手の届かない場所に行くなんて、ずるいよ。」


ウルスはそう言うと立ち上がった。

あまりにもあっさりと立ち上がったウルスにハルビンは驚いた。

もっと時間がかかるかと思っていたからである。


「殿下!?」


ハルビンの呼びかけに、ウルスは彼の顔を見ると笑顔を返した。

先ほどリュカが見せた笑顔とはまた違う笑顔を。


「ハルビン、けが人を優先でシェルターへ。

ギャブ!君は大丈夫かい?」


ウルスは周りを見渡すと、肩を押さえて蹲っているギャブを見つけ声をかけた。


「ウルス、無事だったか。俺もなんとかな。」


ギャブはウルスを見たあと、その足元に倒れるリュカを見つける。


「リュカ・・・?ウルス、リュカは?」


ギャブの言葉に、ウルスは首を左右に振る。

また、涙が流れそうだ。


「ギャブ、皆を頼むよ。」


「ああ・・・。」


ギャブも何が起きているのかを理解し、

返事はしたが、ウルスの言葉に違和感を感じる。


「ウルス!?」


その呼びかけに反応したかのように、ウルスは歩き出した。

ウルスの行動に驚いたのはハルビンである。


「殿下!どちらへ?シェルターはこっちです。」


ウルスは後姿で右手を挙げて応える。


「やることがあるから・・・。」


その言葉は、ハルビンにもギャブにも届いていない。

そしてウルスは走り出した。

シェルターとは別の方向へ。

来た道を引き返すかのように。


「殿下ー!?」


後方からの声がウルスにも届いたが、彼はむしろ走るスピードを上げた。

ルーパから逃げ出した時とは違う。

今度は追いかけて欲しいわけではなく、

行き先がわからない状態でもない。

しっかりとした意識で、向かうべき場所へ。

ウルスは再び走り出していた。




幸か不幸か・・・。ウルスとリュカの付き合いは長くない。

従って、ウルスが思い出に浸る時間はほとんどなかった。

ただ、未来に馳せた思いを踏みにじられた事が、

ウルスの感情の多くを占める。

彼、少年ウルスは現在まで感情の起伏のあまり無い人間だと

周囲に思われていた。

したがって、この一日での感情の激動は

ウルス自身でも始めての体験である。

喜び、怒り、哀しみ、戸惑い。

短時間で感じ得る全ての感情を受け止める事が出来ていなかったと言える。

だが、ウルスは聡明な少年であって、

この時においても、思考を止める事はない。

リュカは自分よりも弱い人間を守った。

リュカにとってウルスは守るべき存在だったのだ。

弱い存在だと思われていたのだ。

それはウルスにとって屈辱であった。

年齢もさほど変わらず、同じ男性である。

そして何より、ウルスは国の王子である。

国の王子と一般市民。どちらが弱い存在であるか?と聞かれれば、

誰しもが一般市民と答えるであろう。

そう王子という肩書きは強いのだ。

王族とは守られるものではなく、守る立場の人間なのである。

少なくともウルスはそう思っていた。


しかし現実はどうか?

リュカのみならず、ハルビンなどの大人が

こぞってウルスを守ろうとする。

養育係のブレイク伯だって、ウルスを守る事に命を張るだろう。

守られ続けるのが王子なのであるならば、

王族とは一体何なのであろうか?

守られるものなのか?他者を守るものなのか?

2択の内、どちらかを選べと言われたならばウルスは

他者を守るものであると即答するであろう。

であるならば・・・。

ウルスは強くならなければならない。

他人を守れるほどに強くならなければならない。

そして、王子という肩書きは、それを不可能にしない。

彼はいずれ王となり、市政のトップに立つ。

一般の市民よりは強力な権力を得る事になる。

彼は強くなれるのだ。

王という権力が、彼の強さを証明する。

ならば、あとは自分自身が強くなるだけなのである。

今守れなかったもの。

少年リュカの命。

いや、マラッサの街。

見捨てられた惑星。

この世界から零れ落ちる全ての弱き存在を救いあげるほどの強さを、

ウルス自身が手に入れる必要があった。

他者のため、とは言わない。

何よりも自分自身の悲しみのために、

強くある必要があるのだ。


「リュカを、守るんだ。」


既にこの世にない命に、ウルスは誓った。

もう取り返しのつかない事実を、ウルスは繰り返さないために

自分自身に誓うのであった。




中央公園に向かい走り出したウルスは、

来た道を戻るかのように、マラッサの街を走る。

涙はもう止まっていた。

時折、空を見上げては、中央公園の方角で銃撃音が聞こえるのを確認する。

まだあそこでは戦闘が続いていると確信する。

息苦しさを感じながらも、歯を食いしばる。

彼は、もうこれ以上何も失わない!と決めている。

そのために走った。

路地を抜け大通りに出たとき、ウルスの目に、

人影が写りこむ。

見知った顔だったが、彼は人影を無視するかのように、

横を素通りしようとした。

そんな少年に、人影は声をかける。


「はぐれて、迷子になって、泣きじゃくってるかと思ったら、

必死な顔でよ。

どこに行きたいんだ?乗せてくぜ?」


声の主はルーパだった。

エアバイクに跨り、ウルスを見る。

彼はカエデたちとは別行動で、ウルスを探していた。

探していたが見つけたときに、なんて声をかけようか悩んでいた。

勝手に逃出したことを怒るべきか?

いや、彼は誘拐されていたのであって、誘拐犯から逃げるのは

怒るべきことじゃないな。

じゃあ、なんて声をかける?

恐らく、ウルスはルーパが人を殺したのを見て、逃げ出したのだ。

人殺しの瞬間を目撃したのだ。無理もない事と言える。

ではあれは、不可抗力だったと説明するか?

などど考えていた。

ルーパは独身で、子どもはいない。

ウルスのような年頃の少年の扱いには慣れていなかった。

ただ、自分が任された護衛の任務を、

途中で投げ出す事が嫌で少年を探していただけである。

なんて声をかけるべきか悩んでいたが、

それは杞憂に終った。

ウルスは、ルーパが心配していたことなど、既に気にも留めていないようである。

少年は、何かわからないが、既に次のステージへと進んでいた。

ルーパが想定した舞台には立っていなかったのである。


「中央公園へ。カエデさんたちの下へお願いします。」


ウルスは躊躇なく、ルーパの乗るエアバイクの後部座席に飛び乗った。


「今、あそこは戦場だぜ?」


ルーパはエアバイクのエンジンをかけながらウルスに問う。

そこに向かう事は規定路線として、確認したのだった。


「わかってます。だから行きます!」


ウルスの答えに、ルーパは「OK!」と答えるとアクセルを吹かした。

たった数時間である。

2時間ほど前は、頼りない存在だった少年が、

何か吹っ切れたかのように、まっすぐ前を見て進もうとしている。

自分が今まであれこれ考えていたのはナンだったのかと思う。


「いつの時代も、細かいことを考えるのは大人の悪い癖だぜ。」


ルーパは自分に言い聞かせるように呟くと

エアバイクを空中へ飛翔させた。

ハンドルを切り、270度車体を反転させると一気にアクセルを回す。

後方のエンジンが唸りを上げた。


「行くぜ!?ぼっちゃん。」


ルーパは感じていた事と真逆に、ぼっちゃんとウルスの事を呼んだ。

自分が感じていた感覚が正しいのか確かめるためである。

ウルスが真にまだ「ぼっちゃん」であるなら、それをムキになって否定するだろうと思った。

だが、ウルスはルーパの感覚に正しく、それに応えた。


「お願いしますっ!」


それを聞き、ハハッとルーパは笑った。

彼が感じていた少年への違和感は本物だったのだ。

エンジンは轟音をあげ、未だ赤く燃え続けるマラッサの街を切り裂いていく。

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