5章 1節 ~無色王子~

中央広場に姿を現したウルスに対し、

海賊達は銃を構えた。

子ども一人とは言え、親分を撃たれた直後である。

警戒されて当然だったが、当のグランベリーは部下たちに銃を下げさせた。


「ぐへへ。無色王子と聞いていたが、

こりゃなかなかのべっぴんさんじゃねーか。」


悪寒が走るような笑いでグランベリーはウルスの全身を視線で嘗め回す。

黄金の髪、小さい顔に大きな金の瞳。

細く折れそうな首に、若干なで肩の体。

6頭身の体は小学生にしては小顔である。

そして長い足と優雅な腕。

グランベリーは彼がウルス王子であると瞬時に理解していた。

前もって写真を見ていたのもあるが、一般の子どもと違うオーラを

確かに感じていたのである。


「何してる!逃げろっ。」


グランベリーに捕まれたまま身動きできないリュカが叫ぶが、

首根っこを締め付けられ、その後の言葉が出ない。


「うう…放せよ・・・。」


力のない声で抵抗するが無力だった。

ウルスは緊張で重くなった身体を無理矢理動かし、前に出た。

自分が無防備であることを伝えるためである。

少年が自分の正面に来るのをじっと見ていたグランベリーは、

口元を吊り上げ満足そうな笑みを見せる。


「いいねぇ。責任ある立場の人間こそ、前線に出なきゃならねぇ。

後方でふんぞり返って威張り散らしてる奴らなんざクソだ。

貴族や王のようにな。

お前もそう思うだろ?無色王子。」


ウルスはグランベリーの言葉を聞き、リュカを見た。


「うん。僕もそう思います。」


その言葉は、リュカに向けられたものだったが、グランベリーは

その返答に上機嫌である。


「そうさ。こうして前線に出る事で、新たな出会いもある。

まどろっこしいのはナシだ。

お前は、こいつを助けたい。そうだろ?」


グランベリは掴んでいたリュカの頭を片手で持ち上げ、

自分の正面に掲げた。


「うわぁぁ。」


なんという握力なのであろうか。子どもとはいえ、

人間一人を片手で、しかも頭を掴んだまま持ち上げたのである。

リュカは空中でグランベリーの右手を振りほどこうとするが、

がっちり捕まれた頭部は微動だにしない。

力を誇示するパフォーマンスとしては十分であった。

しかし、ウルスにとってそれはパフォーマンスにならない。

何故なら、銃を構えたグランベリーの配下に囲まれ、

リュカの生殺与奪の権利を握られている状況だからだ、

気圧されるも何も、既に絶望状態である。


「そこで提案だ。」


この大男はよっぽど芝居じみた事が好きなのであろう。

タメを作るそのしゃべりかたは、まるで映画のワンシーンのようだった。


「俺と手を組め。無色王子。」


決め台詞を言うかのようにグランベリーは言った。


「手を組む?」


ウルスはオウム返しに男を言葉をなぞる。


「おうよ。この世界を見てみろ!

軍は一般市民の住む街を襲撃し、その財産を奪い、

住人は労働力として強制労働させられる。

貴族どもは私腹を肥やし、世界の混乱に王は見て見ぬふりだ。

だから俺様のような怪物が出現する!!!

お前と俺がここにいるのは偶然じゃねぇ。


ぐへへ。


無色王子よ!俺と手を組め!

お前を俺様色に染めてやる。

俺カラーにしてやるぞ!」


グランベリーは言い終わると、大きな声で笑った。

豪快な笑いだった。


「ふざけるな!ウルスは俺たちの仲間だっ!」


頭を捕まれたままのリュカが叫ぶ。

その声を聞いたグランベリーはリュカを片手で右側面に投げ捨てた。

投げ飛ばされたリュカが地面を転がる。

4メートルは飛んだであろうか。

受身を取りつつ、なんとかリュカは立ち上がった。

グランベリーは哀れみの表情でリュカを見た。


「仲間かよ。

知らぬ。ってのは罪だな。

自分も同じ舞台に立っていると錯覚しておる。

自分の立ち位置をわきまえぬ小僧が。」


「お前がどの場所に立っているって言うんだっ!」


リュカは言い返した。


「ふん!仲間か。

仲間の縁を今、切ってやってもいいんだぞ?」


グランベリーは片手をリュカにかざした。

その動作にグランベリーの部下たちが銃をリュカに向ける。


「ま、待てっ!!!」


慌ててウルスが叫んだ。

なんだろうこの感じ。とウルスは思う。


つい5時間ぐらい前までは、ピュッセル海賊団のルーパと共にいた。

目新しい事の連続で、少年にとっては小さな冒険をしているようだった。

今は、マラッサの街の少年リュカと共に行動している。

同じ歳ぐらいの少年なのに、行動力と決断力があり、

仲間を率いている。

ルーパはカッコイイと思ったが、リュカに対しては憧れを感じた。

ルーパにはなれないが、リュカのようになりたいと思った。

リュカを失ってはならないと、ウルスは直感で感じていた。


ウルスは王子である。

彼の目の前で、彼を差し置いてリーダーシップを発揮するような同年代はいない。

皆が皆、ウルスに遠慮し、ウルスを中心にしようとする。

人並みにリーダーシップは発揮していると思っていたが、

実のところ、皆がウルスを立てていてくれていたにすぎないのだと、

リュカとその仲間たちを見て思った。

違うのだ。ウルスの周りは、王子に対して配慮しているだけなのに対し、

リュカの周りは、リュカに全幅の信頼を置いていた。


「ああ、人の上に立つ人間ってのは、こういうのを言うんだな。」


ウルスはそう感じ取っていた。

そして今度はグランベリーと行動を共にしようとしている。

彼はルーパともリュカとも違う。

もちろん、ウルスとも。

彼もリーダーではあるが、彼は恐怖で人々を支配していた。

今もウルスやリュカを暴力で支配しようとしている。

この短時間に三者三様の生き様を見せ付けられたウルスは、

自分が如何に狭い世界で生きてきたかを思い知った。

そしてルーパやリュカだけではなく、目の前の大男、

グランベリーにも自分は劣っていると感じていたのだった。

先ほど彼はリュカに対して、「立ち位置」というワードを吐いた。

違う!とウルスは思う。

むしろ、グランベリーと対等の位置に立っているのはリュカのほうだ。

自分はただ王の息子、王子というだけである。

この場に居てはいけないのは、ウルスのほうなのだ。


だが・・・。


王子という肩書きが、自分の立ち位置であるのであれば、それを甘んじて受けよう。

ウルスはそう考える。

だから、ウルスは王子として、グランベリーと同じ高さにいる人間として

振舞う必要があったのだ。


「グランベリー。貴方が何を望んでいるのかは私は知らない。

だけど、彼を見逃してくれるのなら、貴方に協力しよう。」


ウルスは自分の足が小刻みに震えるのを感じていた。

それを必死で耐えようとする。

精一杯の強がりだった。


「だめだ!そんな奴の言う事を聞いちゃダメだ!」


リュカがウルスの元まで走ってきた。

とっさの行動に、海賊たちは慌てて銃を構えたが、

グランベリーは余裕の表情でリュカの行動を制止しなかった。

彼はしたたかな男だ。

もう結論は判っていたのだ。

この場面でウルスの選択が、グランベリーの軍門に降るしかないことを

彼は結論付けていたのである。

むしろ、心の通い合った友人2人が、運命によって離れ離れになる

この感動的なシーンを堪能しているかのようである。

グランベリーはウルスとリュカの前に歩み出ると、

右手をウルスの顔の前に差し出した。


「グランベリー海賊団の創始者にして、偉大なるキャプテン。

グランベリー=ハワードだ。」


グランベリーは握手を求めてきた。

この手を握り返せば、リュカはウルスから引き離されるであろう。

だけど、それでいい。

ウルスは倍近くある身長の大男の顔を見た。

上目使いではあったが、睨んでいた。

ニヤリと大男は笑う。

勝ち誇った笑みである。


「スノー・・・。」


「親分っ!!!」


ウルスがグランベリーに合わせて自己紹介をしようとした瞬間、

海賊の一人が声を上げた。


「なんでぃ!今、いいところだろうがよっ!!!」


グランベリーが怒鳴る。

自分がプロデュースしている映画の

名シーンをぶち壊されたプロデューサーのようである。


「西から・・・西の空から、エアバイクが10台以上こっちに向かって!!!!!」


配下の男が空を指差す。


「あん?」


グランベリーが指された方向を見た瞬間、

ババババッバババババッ!

という銃声と共に、ウルスらの周囲の地面から火花が上がる。

撃たれた!とウルスが感じたときには、

グランベリーの配下の海賊が3人、地面に倒れる。


「ピュッセルだぁ。ピュッセル海賊団だぁ~!!!!」


間の抜けた声でグランベリーの配下が叫んだ。


「リュカ!こっちっ!!!!」


ウルスは自分でも信じられない速さで、行動を即決した。

彼はリュカの身体を押し、走らせたのだった。

そしてその後に自分も走る。

まるでリュカを庇うように、リュカの真後ろで走る。


「ガキィ!」


グランベリーが銃を抜くが、ウルスの背中がリュカの姿を隠す。

ウルスは一か八かの賭けにでたのだった。


「グランベリーは僕を撃てない!」


何の根拠もなかった。

だが、さきほどまで過剰な演出で場を仕切っていた男である。

この場面で、ウルスを撃てるとは思えなかった。

彼は、王子を手の内に入れたがっている。


「グランベリーは僕を打てないっ!!!!」


走りながら、ウルスはその言葉を何度も何度も口にしていた。

まるで呪文のように、反復したのである。


ウルスの言葉が言霊になる。

グランベリーは逃げ去るウルスの背中に標準をつけたが、

引き金を引くことが出来ずにいた。

理屈ではない。

彼は感情で動く男である。

感情がウルスを撃つことを拒否していた。


「クソがぁ!!」


同時にその怒りの対象は西の空から飛来してくるエアバイクの集団に向けられる。

双方の銃撃戦は既に始まっており、グランベリーは

乗ってきたランチの物陰に隠れる。


「カエデぇ!」


ギリギリと歯軋りが止まらない。

グランベリーはカエデに好意を持ってはいたが、

それはピュッセル海賊団のキャプテンの娘というところが

大きな理由だった。

カエデ自身はやや釣り目気味の性格のきつそうなところを除けば、

一般的に美人の部類に入るし、プロポーションはモデル顔負けである。

普通の男性であれば、他意なくカエデに惚れる可能性は高かったが、

グランベリーはカエデに女性としての魅力を感じていなかった。

ましてや、ウルスを見た後である。

整った顔立ち、折れそうな腕、小さな身体。

中性的で女装が似合いそうな少年。

そんな少年をメチャクチャにすることに性的興奮を覚える性癖の

グランベリーは、天然の宝石を見つけた気分だったのである。

その輝く原石の前では、研きぬかれたカット済みのダイヤモンドも

その輝きを失う。

手に入れるに越した事はないが、それが原因で天然の原石を失うとなれば、

恨みもつもるのであった。


「ガシコン!ランチから機銃で打ち落とせ!」


「承知!」


ランチの天井部の屋根が開き、重機関砲が姿を現すと、

ドガガガガガガガッ!と光弾が線を引くように空を切り裂く。

だが、エアバイクの操縦者達は無軌道な動きで光弾を避けていった。

自動操縦で操られた機関銃は、対戦闘機用にプログラミングされており、

不規則な動きのエアバイクを捉える事が出来なかったのである。


「バカヤロウ!エアバイク相手に自動操縦で当たるわけねぇだろうが!

使えねぇ!ランチを発進させろ。銃は俺が撃つ!」


グランベリは巨漢に似合わぬ動きでランチの屋根に上ると、

屋根に備え付けられている重機関砲の取っ手を握った。

同時にランチに再びエンジンがかかり、ボワッっと空中に浮く。

地上で応戦していたグランベリーの配下たちが慌ててランチに飛び乗った。

グランベリーは重機関砲の標準を付けるが、既にエアバイクは

ランチを包囲するぐらいに近付いてきていた。

スコープにより拡大されたエアバイクの操縦者をハッキリと確認できる。


「カエデェェェェ!!!!」


ドガガガガガガガッ!グランベリーは激しい反動を押さえつけながら

重機関砲を操作する。

エアバイクのパイロットは女性だった。

ゴーグルをしていたが、燃えるような赤い髪。

ロングヘアなのであろうが、後ろで結んで纏められている。

細身の曲線が強調された身体。

海賊相手にエアバイクで突っ込んでくる女性はそう何人もいるわけではない。

銃撃を受けたエアバイクは、空中で円を描く様に回転すると

機関砲の光弾を優雅に避け、グランベリーに接近する。

撃墜することは敵わなかったが、エアバイクも回避するので精一杯で

反撃する事が出来なかった。

2人は至近距離で交差する。

その瞬間、グランベリーの乗るランチが動き出す。


ボワワワワワワ!!!


ランチのエンジンが鈍い音を出しながら、急速に回転しだした。

そして、ゴオオオオオオ!という爆音を共に、急速発進する。

馬力の点で言えば、ランチとエアバイクでは差があった。

小回りはエアバイクに優勢がつくが、スピードに乗ったランチには

エアバイクでは追いつけない。

ランチは一気に横を通り過ぎようとするエアバイクを抜き去ると、

包囲網を脱した。


「チッ!仕留めそこなったか!」


カエデが舌打ちする。

こうなると一気に形成は逆転されたようなものである。

ランチを追いかけるにしても、逃げていく高速の物体に

銃弾を当てるのは難しい。

ましてや、追いかけられるランチからの重機関砲は、

向かってくる敵に対して撃ち込む事になり、その弾速は

体感で倍以上の速さとなるのである。

単純に追いかけるのは無謀だった。

それに、グランベリーが乗るランチである。

装甲が薄いはずもなく、高火力の武器を携帯していないカエデたちが

ランチを墜とせるとも思えなかった。

カエデは全員に、追うのを止めるように指示する。

カエデはゴーグルを額の高さまでずらすと、戦場となった公園を見た。

カエデらに撃たれた海賊の死体のほかに、子どもの死体が2体ほど見える。

唇を噛み締めるカエデにブレイク伯のエアバイクが近付いた。


「やつらはここで何を!?」


ブレイクも公園の子どもの死体を見て、驚きを隠せなかった。


「さぁね。さっきの煙幕といい、ここで何かがあったのは確かなんだろうけど。」


カエデは曖昧に答えた。

だがカエデは薄々、気付いていた。

倒れている二人の子どもは、いずれもウルスと同年代ぐらいで男の子である。

グランベリーがわざわざ出向いてまで、無意味な事をするとは思えない。

だとすると、グランベリーが直接出向くほどの事は何か?という話になる。

たかだか街の襲撃で、組織のボスが出張ってくるはずはない。

それほどの理由があるのだ。

そして、今このマラッサの街で、グランベリーが直接出向くような案件は、

カエデは一つしか思いつかなかった。

やはり奴は王子、ウルス王子がこの街にいる事を知っている!?

何故?という疑問は沸くが、状況証拠がそれを物語っていた。


「野生の本能かねぇ・・・。」


カエデがそう呟くと、ブレイク伯は首を傾げる。

カエデは黙ったまま、更に思考を張り巡らせた。

奴らは王子を狙ってるとして、だが、まだ王子の確保には至っていないはずだ。

もし王子を捕まえていたのであれば、先ほどの場面でグランベリーは

逃げることをしなかったはずである。

狡猾なあの男であれば、王子を盾にしていたであろう。

王子とピュッセル海賊団に接点がなかったとしても、

12歳の少年を盾にされては、カエデたちも手が出しにくい。

ましてやそれが国の王子であるならば、王族殺しの罪を

カエデたちは背負うう事になる。

グランベリーなら躊躇はしないかも知れないが、

カエデは別である。

攻撃の手を止めざるを得ない。

グランベリーならそういう手段をとってくるはずであった。

それをやらなかったということは、ウルスはまだグランベリーの手中に

落ちていないという事を示唆していたのである。


カエデらは既にルーパと合流し、ウルスの捜索を始めている。

グランベリーと事を構えるのに反対だったルーパも、

ウルスが行方不明とあっては、自重しろと言える立場になかった。

ウルスを捜索するためには街中をエアバイクで飛行する必要があったからである。

必然、グランベリー海賊団との衝突は避けられない。

そうなると話は早い。

カエデらが陽動としてグランベリーの船を襲撃し、その間にウルスの捜索を

行う手筈であり、その途中でこの現場に遭遇したのだった。

ブレイク伯が捜索隊ではなく、陽動グループに組まれているのは銃の腕を買われての事である。


「しかし、ひどいもんですな。

悪魔の所業と言える。」


ブレイクが赤く燃える街並を見て言った。

カエデは黙っている。ブレイクの言葉に言い返したい気持ちを抑えた。

その表情をブレイクは予想していたのであろうか、言葉を続ける。


「これと同じ事を我々はやったのですな。

貴方の住む街で・・・。本当にすまない・・・。」


男は深々を頭を垂れた。

20年前、スノートール王国軍は中惑星カンドを攻撃した。

海賊の資金源である麻薬の生産工場があったからである。

カエデは当時2歳であり、中惑星カンドのことも、攻撃を受けたときのことも

覚えていない。もちろんそこで命を失った父や母のことも。

むしろ、ピュッセルの親分に拾われたことで、

彼女自身は幸運を掴んだと言えた。

だが、逆にそのことが彼女自身を追い詰める結果となる。


「自分だけ幸せになっていいのか!?」


幼い頃よりカンドも悲劇の話を聞かされてきたカエデにとって、

顔も知らぬ父や母に対して負い目を感じていた。

実のところ、カエデが海賊家業に率先して身を落としたのも、

グランベリーのちょっかいがあったからではなく、

自分自身が幸せになってはいけないと感じていたからである。

海賊家業が裏だとすれば、表の世界に出て行くことが怖かったからである。

カンドの事件は忘れられない事件になった。

カエデの心に深く傷を残す事件になった。

だからこそ、主犯であるメイザー公爵を失墜させるために

彼女は労力を使ってきたのだった。

それこそが、父や母、カンドの住人たちの供養になると信じて。


しかし、当時の参謀本部に勤めていたブレイクからの正式な謝罪に、

カエデは湧き上がる感情を抑え切れないでいた。

目頭が熱くなり、唇が震える。


「あ・・・あんたが謝ることじゃないさ。」


精一杯の強がりは、この場面では哀れみさえ感じる。

少女は顔を上にあげ、赤色に染まる岩石惑星の天井を見た。

彼女は22歳と少女であるというには微妙な年齢であったが、

ブレイクにはその姿が6歳ぐらいの少女に感じられたのである。

マラッサを覆う赤い炎に包まれて、彼女は肩を震わせ、目を瞑る。

赤い空が瞳を覆う水分で滲むのがわかったからだった。

彼女自身想像していなかった展開であり、

たった一人の、たった一人の男の謝罪であったが、

カエデが背負ってきた大きな呪いが、涙と共にカエデの身体から

流れ落ちるのを、彼女は感じていた。

そんな彼女にブレイクはそっと肩に手をかける。

エアバイクに搭乗していなければ抱きしめていただろう。

カエデは観念したように顔を下に向けると、

大粒の涙が、キラリと輝きながら彼女にふとともに滴り落ちるのだった。




ウルスとリュカは全力で走っていた。

後ろを振り返る余裕もなく、ただひたすら走っていた。

公園を抜け、最初の路地を右に曲がった辺りでようやく一息つくと、

少し走るスピードを落とす。

最初に口を開いたのはリュカである。


「バカヤロウ!無茶しやがって!!!」


その怒声はウルスに向けられたものであったが、

その声で緊張感の取れたウルスはリュカが想像もしていないような

行動に出た。


「あはははははは!ごめん、あはははははは!」


笑いだしたのである。

そんなウルスをポカンとリュカは見る。

一瞬気でも狂ったのかと錯覚した。


「ごめん、ごめん。あいつの間の抜けた顔を思い出したらさ。」


飛来してきたエアバイクからの銃撃を受けた瞬間のグランベリーの表情のことを

言っているのだったが、そんなに楽しい話ではない。

そもそもウルスが笑ったのは、そんな理由からではなかった。

それは、初めて自分から選択し、行動した結果で、

リュカを救うことができたという達成感による。

彼は今まで人の顔色ばっかり伺ってきた。

人の言いなりに行動してきた。

それを打破した気分だったのである。

しかし、20秒ほどの笑いの後、ふと、神妙な顔つきに戻る。


「ごめん。心配かけた。それに、サッキは・・・。」


ありえない方向を向いて公園の地面に倒れたサッキを思い出して、

ウルスは笑いを自重した。


「運が悪かっただけさ。」


リュカが慰める。

そして、ウルスとリュカは自分たちの運が良かっただけなのを自覚する。

あの場面でピュッセル海賊団のエアバイクが来なかったら、

ウルスは連れ去られていただろう。

運が良かったとリュカは思う。

一方のウルスは、運が良かったとは違う感覚も感じていた。

ウルスが中央広場に姿を見せなければ、リュカはすぐさま殺されていただろう。

自分が姿を現し、時間を稼いだことでリュカの運命が変わったのである。

これを言ったらリュカは怒るであろうが、ウルスの行動が

リュカを救ったのである。

それも「自分自身が決断した結果によって」だった。

少年は自らの行いが世界を、歴史を変えることを実感したのであった。

ウルスの小さな身体で、世界を動かすことが出来る事を実感したのだった。

それがわかって、ウルスは笑ったのだ。

自分が歴史を動かす快感に触れたと言っても過言ではない。


「郵便局隣のシェルターはもうすぐだ。」


2人は目的地の近くまで来ると、ふぅとため息をついた。

緊張感がようやく解ける。

曲がり角を曲がると、沢山の人たちの中に、ギャブが見えた。

ギャブは2人を視認すると慌てて駆け寄ってくる。


「遅ぇよ。何かあったのかと心配したじゃねーかっ!」


本気で心配してくれていたのであろう。

息切れするほど全力で駆け寄ってきてくれた。

リュカはウルスに視線を一瞬だけ移すと、コクリと頷き、

ギャブに向き直る。


「すまない。ヘマをした。」


そういうと、瞼を一度だけ深く閉じ、観念したようにギャブを見つめる。


「サッキがやられた。すまない。」


ウルスは知らないことであったが、サッキとギャブは幼馴染であり、

兄弟同然に育った仲である。

リュカがギャブに謝るのは、そういう経緯からであった。


「そっか。3人とも捕まったんじゃないかと心配してたから、

2人が無事ならそれでいいさ。」


ギャブは気丈に言った。


「それはそうと、リュカ、来て欲しいんだ。

西地区のマーガイアと揉めてるんだ。」


「マーガイアが?」


「うん。西地区のシェルターは酸素が2週間しかもたないだろ?

だからこっちのシェルターにいれろって、15人ほど連れてきてる。」


ギャブは郵便局を指さした。

確かに大人達がもめているような気配がある。


「行こう。」


リュカたちは歩き出した。

歩きながらウルスが尋ねる。


「酸素が2週間でもめるってどういうこと?」


「こっちのシャルターは酸素が一ヶ月持つんだよ。

いつ助けが来るかわからないからね。出来るだけ酸素がもつシェルターに

入りたいってのはわかる。だけどこっちのシェルターに

西地区の住人まで受け入れるスペースはないんだ。」


ギャブの説明にウルスは安堵感を覚えた。

ウルスはこの問題の解決策を知っているからである。

酸素が2週間分しかないというのは、今回に限っては

何の心配にもならない。

何故なら、ノーデル星の空域まで軍の艦隊が既に到着しているからである。

救出されるまで酸素があれば良いというのであれば、

2週間は十分過ぎる期間だった。

いざとなればそれを説明するだけで物事は解決する。

とウルスは思ったのである。


3人は郵便局の周りに集まっている人だかりに到着した。

人の固まりを掻き分け、シェルターの入口前まで進む。


「だからぁ。俺らのような若者を優先的にこのシェルターにいれるべきだろうがよ!」


中央でなにやら叫んでいる男がいた。

19歳ぐらいの若者で、一見してガラが悪そうに見える。


「黙れよ!アーガイア!」


リュカが前に出る。叫んでいた彼がアーガイアらしい。


「また、お前かよ。リュカ。

ガキが出しゃばるんじゃねぇ。」


アーガイア自身も周りから見れば十分ガキなのだが、

マラッサの街では、19歳も大人の範疇である。


「ここはセントル地区の住人専用のシェルターだ。

自分たちのシェルターに帰れよ。」


リュカは動じていない。

7歳ほど歳が離れた相手に、対等な口調で応戦しているところを見ると、

なにやら因縁がありそうではあるが、れっきとした大人相手にも

敬語を使わないリュカである。

これが普通なのかも知れない。

リュカの台詞にアーガイアは怯まなかった。


「だからぁ。もうすぐくたばるようなジジババを

あっちのシェルターに入れればいいんだろうが。

酸素が切れる前に寿命でお迎えがきそうな奴を

ここに入れる意味があんのかよっ!」


アーガイアは周りにいた老人を睨んだ。

睨まれた老人はビクッと震える。


「リュカ、お前らもこっちに入ろうぜ。

若者は大事にしなくちゃなぁ。

国の宝だぜ?若者はさぁ。」


アーガイアは自分たちが連れて来た取り巻きを扇動する。

「そうだ!そうだ!」と彼らが叫ぶ。

なるほど、アーガイアが連れて来た15人というのは、

皆それぞれ若い。

一番年上でも30歳ぐらいであろうか。


「待てよ!ここのシェルターの建設費や維持費を払ってきたのは、

セントルの住人たちだろ。彼らが優先で入る権利がある。」


リュカの言葉に、今度は地元の中年が続く。


「そうだ。盗人どもがっ!お前らこそ去れ!」


続けて、この地区の人間たちが騒いだ。

シェルター前は騒然とする。

自警団のメンバーとも思われる人間も数人はいたが、

如何せん数が少なく、この場を収められそうにない。

ウルスはリュカらから離れると、自警団の人間っぽい男に話しかける。


「全員は入れそうにないんですか?」


ウルスの言葉に男は頭をかいた。


「5人分ぐらいなら空きがあるが、15人ともなるとな。」


「そうですか。」


ウルス自身もこの地区の人間ではないのだが、5人分の空きがあるなら、

アーガイアたちが引き下がれば入れるという事である。

リュカたちはそれを見越して、ここを避難場所に選んだのだったが、

アーガイアたちが来たせいで話しがややこしくなっていた。

ウルスは周囲を見渡した。

喧騒は収まりそうもなく、むしろ次第にヒートアップしている。

ウルスは軍が近くに来ているので、アーガイアたちをこちらにいれ、

彼らの言う老人たちを他地区のシェルターに向かわせても

全員が助かることを知っているが、それを知らない住民たちは

必死であった。

自分たちの命がかかっているのである。必死なのは当然であったし、

宇宙に住むという事が如何に危険であるか?という事でもある。

そして宇宙に住む人類にとって、強力なリーダーシップ、

王という存在がどれだけ大切なのかを、ウルスはこの後知る事になる。


シェルター前の路上では、段々と人々が加熱していった。

それまでダンマリを決め込んでいた大人達も怒鳴りだしている。

収集がつかなくなる中、遂にマーガイアが一線を超える。


「ジジイは邪魔だって言ってんだろうが!」


バシッという音と共に、老人の頬を叩いたのだ。

老人が道に倒れこんだ瞬間、

一人の男性がマーガイアの胸元を掴みにかかると、

周囲の男たちが全員身構えた。


「やろってのか?」


マーガイアが捕まれながら不敵に笑う。

乱闘になればこっちのものだとでも言わんばかりであった。

実際、彼らは元々暴力でこの場を制し、

実力行為でシャルターに乗り込む算段だったのである。

人数は15人とはいえ、13人は19歳から35歳ぐらいまでの

腕っ節の強いメンバーが揃っており、残りの2人の女性も、

守られるようなお嬢さんではなく、気の強そうな面々である。

老人や子ども、女性を含んだリュカらは不利だった。

自警団の人間はいたが、リュカ側であるとは言いがたい。

同じ市民同士の乱闘である。止めに入るのが誠意一杯だろう。

ウルスはこの状況を完全に読みきった。

リュカらが負け、この場はマーガイアたちに制圧されるだろう。

そしてお互いしこりを残す結果になることまで考えたのである。

だからであろうか。

ウルスは再び前面に出る。


「待ってください!」


凛とした力強い声だった。

ウルスの叫びにリュカは既視感を抱いた。

ついさっきも同じような光景を目にした気がする。


「どちらも落ち着いてください。

シェルターを奪い合いあう必要なんてないんです。

2週間分の酸素があれば、十分です。助かります。」


ウルスの声は、まだ変声期を迎えていない子どもらしく

甲高く、周囲に響いた。

民衆の視線がウルスに集まる。

まず口を開いたのはマーガイアだった。


「あん?お前誰だよ?なんで助かるって言えるんだよ?」


「ぐ・・・軍の艦隊がこの近くまで来ています。

軍が助けてくれます。2週間も必要ありません。

数日で救助が来ます。」


ウルスは前もって考えていた台詞を言った。

もちろん、この後に言うことになるだろう台詞も用意してある。


「軍が?なんでお前がそんな事知ってるんだよ?誰だ?おめぇ・・・。」


ウルスは大きく息を吐いた。


「僕は・・・。」


ウルスは先ほどのグランベリーとのやり取りで一つだけ判った事がある。

それは自分自身に何の力がなくとも、使える武器を持っているという事だった。

それは、剣よりも銃よりも、火力の優れた兵器よりも、

対人戦においては絶大な破壊力を持っていた。


「僕は、スノートール王国の王カルスの息子、ウルスです!

この星にはお忍びで視察に来ていました。

僕を迎えに、宇宙艦隊が近くまで来ています。

皆さんは助かりますっ!」


ウルスの言葉に、周囲が静寂に包まれた。

口をポカンと開けてウルスを見ている者もいる。

この場にいる全員が硬直していた。

ウルスの話を理解することが出来なかったのである。

そうした空気の中、一人の老人がウルスの目の前に歩み出てくる。


「おお・・・。」


ウルスの顔を見るなり、信じられないという表情で、彼は静寂の中

小さな声を発した。


「おお・・・まさしくウルス王子じゃ。

ウルス王子じゃぁ。」


老人は急に地面に膝をつけると、上半身をまるで折るかのように、

地面にひれ伏した。

ウルスは国の王子である。

メディアに顔を出さないという事はなく、知っているものが居ても不思議ではない。

老人に続き、何人もの市民が地面にひれ伏した。

リュカもマーガイアも、何が起こったのかわからず呆然としていたが、

大人達が次々に地面にひれ伏すのを見て、目の前の少年が

本物の王子であることを悟る。


スノートール王国は民主王政であり、王族の権威が強いとは言えない。

だが、それは王都や大きい都市での話しであり、

ノーデル星のような地方惑星では滅多にお目にかかることができない存在である。

言わば、雲の上の存在だと言えた。

特にノーデル星は国に見捨てられたような辺境惑星であったので、

王子が目の前にいるなどという事は奇跡にも近い現象である。

王都では「無色王子」と蔑まれているウルスだったが、

それでも彼は王族だった。

この地では崇められる存在だったのである。

ウルスはそれを利用した。

グランベリー相手に交渉ができるほどの価値が、王子という肩書きにはあったのである。

ウルスはそれを理解し、最大限に利用したのだった。

また、グランベリーとの対峙で気持ちが昂ぶっていたのもある。

なんにせよ、ウルスは王子をいう肩書きを説得の道具として使ったのだった。


凛として立つウルスにマーガイアもビビリだしていた。

彼はそもそも小心者であり、権力に弱い。


「本当に、軍は来るんだろうな?」


声がかすかに震えている。仲間の手前強がってはいたが、

ここから逃げ出したいというオーラがウルスにも感じ取れた。

だからこそ、ウルスは自分の作戦が成功したと手応えを得る。


「ええ、軍が自分を見捨てるはずがありません。

必ず救助隊は来ます。安心して自分のところのシェルターに帰ってください。」


ウルスの言葉に完全に気圧されたマーガイアは一歩下がる。


「お、おう。皆、行くぞ!」


マーガイアの行動は早かった。言い終わる前には踵を返し、

さっさとこの場を去ろうとする。


「ちょっと、マーくん待ってよぉ!」


マーガイアの取り巻きの女性がまず反応すると、

彼に付いて来た男たちも後に続いた。

彼らは全員、去っていく。

残されたのは、呆然と立ちすくむリュカたちと、

地面にひれ伏す大人たちだけとなった。


「さぁ!皆さんもシェルターに避難しましょう。

さ、立って!」


目の前の老人に手を差し伸べるとウルスは言った。

ちょっと恥ずかしくて、リュカとは目が合わせられそうにない。

だが、既にグランベリーと対面した後のウルスにとって、

市民相手にタンカを切るぐらい些細な事だった。

なんてことない事だった。

気がかりがあるとすれば、ここに妹のセリアや幼馴染のゲイリが居なかった。

と言う事ぐらいである。

大人相手にタンカを切ったなど彼らが知ったら、

冷やかされていただろう。

彼らしくないと笑われていただろう。

2人がいなくて良かった。と苦笑するウルスだった。

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