3章 2節

ピュッセルの目。

後世、ウルスに過ぎたる三つの神器の一つとして名高い

「ピュッセルの目」とは、ピュッセル海賊団が作り出した

情報網の事である。

約20年前、中惑星カンドの悲劇を阻止できなかったピュッセルは、

海賊家業から地下に潜り、情報収集をメインとする組織を作り上げた。

ピュッセル団のやり方は単純に情報の売買をするに留まらないところにある。

情報は買うのではなく、仕入れるものであり、

様々な場所・組織に団の手のかかったものを潜入させ、

定期的に情報を仕入れる組織を作り上げた。

情報屋というよりもスパイに近い。

当初は小さい組織で、商売相手も海賊相手ではあったが、

現在は組織も末端がわからなくなるほど大きくなり、

様々な情報がピュッセルの下に集まる。

ただし、キャプテンであるピュッセル自身は武闘派であったので、

その膨大な情報を100%活かしきれていたとは言いがたく、

それを本格的に最大限に活用しだしたのがカエデである。

従って、宇宙暦980年に起きたウルス誘拐事件と

同時に起きた惑星ノーデル襲撃事件に関して、一番に

情報を持っていたのは、ピュッセル団であった。




5月26日午後10時45分より始まったノーデル事件。

旗艦「ライクアンベクトル」の船内に警報が鳴り響く。

ブレイクと同室していたカエデは、即座に腕の通信機で

ブリッジに連絡を取った。

通信士からは3つの情報がもたらされる。

一つは、B番ゲートから入港したグランベリー海賊団の船が、

港から姿を消したこと。

出港したという情報はなく、おそらくノーデル星内部、

マラッサの街に向かったであろうということ。

二つ目は、商業船用の港であるAゲートが、何者かに襲撃され制圧されたということ。

三つ目は、マラッサの街で複数の爆発音を確認したということ。

以上3つの情報をもって、カエデは即座にグランベリーがマラッサの街を

襲撃したのだと断定した。

疑問を感じたのはブレイク伯爵である。


「何故だ?惑星ノーデルは海賊にとってなじみの深い星ではないのか?」


カエデの結論に対し、ブレイクの質問は当然であったが、

カエデは特に疑問を抱いていない。


「軍に接収される街だからね。軍に接収されるぐらいなら、

その前に自分達で奪ってしまおう!

と、あいつなら考えるさ。そういう男さ。グランベリーは。」


カエデは舌打ちしながらそう答えた。


「そんな危険な男を、王国は、軍が放置していたのはなんでだい?」

ブレイクに対し、今度はカエデが質問を返した。


「そ、それは・・・。」


ブレイク伯の言葉が濁る。

船内に響く警報は、鳴り止むことはなく、

慌しく船員が走り回る音が聞こえる。


「この一帯はメイザー公爵の領地だ。

彼からは、この辺りは2つの大きな海賊団が潰れ、残党による治安悪化が

懸念されたが、だがその残党をまとめる動きがある

と聞いていた。

グランベリー海賊団の出現である程度この辺りの治安は担保されたのだ。

毒をもって毒を制すという政治の駆け引きではある。

それに一つの海賊団に犯罪者が集中すれば、潰すのも楽になるからな。」


ブレイクの歯切れが悪くなる。

それは当然の事だった。先ほど述べたブレイクの理由は、

市民からみた理由ではなく、為政者側の視点だったからだ。

更に言えば、そこに「グランベリー海賊団だから」という理由もない。

まだ御しやすい相手だというのであれば話はわかるのだが、

現実的にグランベリー海賊団は他の海賊団より凶暴で、暴力的であった。

ただ、それが王国に向けられたものではなく、市民に向けられたものであったが故に、王国は彼らをのさばらしていたのである。

そこに市民の生活を考えた理由は入っていない。

カエデは言い訳など聞きたくないという感じで通信機での通信に戻る。


「ルーパとは連絡が取れたか?」


「いえ、どうも宿を変えたみたいで、通信も切っているようです。」


「そうか。わかった。連絡があり次第こちらに繋いでくれ。」


カエデは天井を見た。

大きなシャンデリアがぶら下がる天井。特に天井を見たことに意味は無い。

ただ、彼女はルーパを信頼しており、彼が何かの異変を感じ、

計画とは違う行動をしているのだと直感した。

彼ならば、背後から不意打ちで殴られようが、銃で撃たれようが、

緊急事態発生の場合は信号を送ってくるはずである。

ルーパはそういう男である。

何も連絡がないということは、一先ず無事であると彼女は確信していた。

だが、カエデに遅れてブレイク伯がようやく大事な事に気付く。


「王子は?

今、街にいるのではなかったか?無事なのか?」


カエデはソファーから立ち上がると、腰に手を充て伯を見る。

表情からも王子に何かあったというのは感じられない素振りである。


「今は無事のようだが、迎えに行く必要はあるな。」


「私も行くぞ。」


ブレイクも立ち上がった。

恐らく止めても無駄なことをカエデは承知していた。


「エアバイクは乗れるな?」


カエデの質問にブレイクは頷く。


「ウルスとセリアを回収したら、出港する。

襲撃を受けたのでは、軍の介入は避けられないだろうからね。

あいつらのせいで計画が全て台無しだよ。」


カエデは力なく笑った。

流石に王国に見捨てられた惑星とはいえ、海賊の襲撃があったのでは、

それを無視するわけにはいかないだろう。

軍に撤退しろと要求しても、マラッサの街の住人が困るだけである。

海賊に襲撃された街は、防衛力が壊滅しているため、

二度、三度と海賊に狙われる傾向にある。

従って、軍が駐留して治安を回復するのが望ましい。

要は、ここにきてノーデル星への軍の介入は回避不可能になったのである。

カエデらの誘拐事件は、意味を持たなくなったと言っていい。

ふとカエデはグランベリーの今回の行動が、軍と連動しているのではないかと

疑念を抱いたが、とりあえずその答えは保留とした。

まずは王子と王女を回収し、この場を去るのが先決である。

一抹の不安を抱えながら、カエデとブレイク伯は部屋を後にするのであった。



街外れの安宿の窓から、街の中心部が赤く染まるのが見える。

岩石惑星の内部をくり抜いて作られたマラッサの街に

昼や夜の概念はなかったが、擬似太陽によって人工的に昼や夜は作られる。

今は時間的には夜の時間帯ではあったが、通常は真っ暗ではない。

生活の明かりが岩盤の空に反射し、うっすらと明るいものである。

しかし今は、生活の明かりは見えなかった。

電力を供給する発電所もやられ、白い光源は一つも見えなかった。

代わりに街並みを照らしているのは、真っ赤な炎である。

街の至るところで炎が赤く、岩盤の空に反射され街並みを映し出していた。

ただの火事では、ここまで炎の勢いは強くならないはずで、

ガソリン系の燃料が込められた焼夷弾の類が、

街を襲ったと想像できる。

人工的に作られた街とはいえ、広大な空間であったが、

電気が止められたマラッサの街での大規模火災は、

深刻な問題であった。


「こりゃ、やべぇな。」


ルーパが呟く。


「何がやばいんですか?」


ルーパの隣で街並みを見ていたウルスが聞き返した。


「電気が止まっているマラッサは、今、空気・・・。

酸素の供給も止まっているはずだ。

そこにこの火災。酸素を大量に消費しているし、

熱での上昇気流が密閉された岩石の空から勢いを逃がせずに、

地上に降り注いでいる。

熱風の嵐が街の中心部では吹き荒れているはずだ。」


「そんな・・・。」


ウルスは絶句した。


「ま、この手の街には、地下シェルターが複数避難場所として用意されているから、

そこに逃げ込めば、酸素の供給もあるから大丈夫なんだが・・・。」


問題は空中を飛ぶエアバイクである。

彼らはおそらく、宝石店などの貴金属を扱う店などを襲っている最中だと予想できたが、


「それにしては広範囲に広がって飛んでいる。

まるで何を探しているかのように。」


必然、避難所に向かう市民の安全も危惧された。


「クックル。お前はウルとセリを連れて近くのシェルターに向かってくれ。

何かあったときのために港近くの宿にしたが、


Aゲートは恐らくもう既に奴らの手に落ちている。」

ルーパの言葉にクックルは頷いた。


「港が?カエデさんたちは無事なのですか?」


ウルスは港にカエデたちがいるものだと思っていたので、

思わず反応する。


「Aゲートにお嬢らはいないさ。民間用の港だからな。

ここに来た時に乗ってきた船は偽装を解いて、Bゲートに移動している。

今Aゲートには民間の商船しか居ないはずだ。

だからこそ、そこが狙らわれる。

恐らくだが、奴らはAゲートから脱出するはずだ。

金になる貨物もAゲートにはたんまりあるし、民間用の港だから警備も甘い。

要するに、奴らが真っ先に狙うのはAゲートの占領さ。

BゲートからAゲートに移動するには、一度外に出るか、

マラッサの街を通過する必要がある。

今、ここにやつらがいるのはそういうこと。

街を襲ってるのは、そのついでさ。」


ルーパはそう言いながら、本当にそうか?と自問自答していた。

その割には、エアバイクが広範囲に展開しているのも不自然であるし、

船から打たれたであろうミサイル攻撃が、町の中心部だけではなく、

無差別に住宅地にまで広がっている説明がつかなかった。

そう、町全体が燃えているのである。

ミサイルは消耗品とは言え、決して安くはない。

海賊家業ではなお更である。

あのグランベリーが、ミサイルの無駄打ちするなど到底考えられなかった。


「クックル。急げ。やつらだってシェルターの中までは踏み込んでこない。」


クックルは寝ぼけ眼のセリアを背中に担ぐと、ルーパとウルスを見た。

大柄な体型のくせに、動きは素早い。


「待ってください。ルーパさんはどうするんですか?」


ウルスはクックルから視線を外すとルーパを見た。

話の流れ的に、ルーパは同行しないように感じられたからである。


「俺は街を見に行く。顔見知りも沢山いるからな。」


それ以外にも、グランベリー海賊団が何を狙っているのか調べるという理由もあったが、ウルスにはそれは伏せた。

伝える必要性を感じなかったからである。


「私も一緒に行きますっ!」


それは、誘拐されてより今まで彼らの指示通りに行動してきたウルスの

初めての反抗だった。

だが、その事に気付いた者はいない。


「駄目だ。足手まといだ。」


ルーパはウルスのその言葉をまるで予見していたように、

返す言葉を予め用意していたように、自然と拒否した。


「私にも、顔見知りがいます!リュカやメルボルンのおばさまが心配です!」


思わずルーパはウルスの顔を覗き込んだ。


(こいつ・・・名前を・・・)


今日、初めて会った相手である。

正式な自己紹介をしたわけでもなく、今後の付き合いがある相手でもない。

街で声をかけてきただけの少年リュカ。

服屋で変装の手伝いをしてくれたメルボルンばあさん。

それだけの関係である二人の名前が出てきた事にルーパは驚いた。


「ルーパさんっ!」


ウルスの声でルーパは我に返った。

クックルがセリアを背に担いだまま、扉のほうへ向かう。


「おい!?クックル。」


口数の少ないクックルが行動で自分の意思を伝えようとするのはいつもの事である。

それを察するのもルーパの日常であった。

クックルはセリアのみを担いだまま、扉の前で振り向くと、

片手で親指を突き立て、goodのサインを送る。

そしてニカッと笑って外へ出て行った。


「・・・ったく、どいつもこいつも・・・。」


額に右手をあてがいながらルーパは独語した。

彼は観念したように、顔を上げる。

窓の外の赤く染まった街を見た。

左手でウルスの頭を掴むように自分の隣に引き寄せる。


「ウル、お前が一番優先すべきことは何かわかってるな?」


空気が熱で歪む街並を見ながらルーパは問いかけた。


「はい。自分の命です!」


ルーパはコクリと頷いた。


「着替えろ!1分だ。直ぐに出る。」


「はいっ!」


少年は翻ると、ベッド脇に走る。

そんなウルスを見て、俺も甘いなとルーパは思った。


「だが、ウルとセリを別行動させんのは、リスクヘッジの面でもありか?

さて、吉と出るか凶と出るか?

上手く行ったら、王太子ウルスの大冒険って映画でも作りましょうかね。」


ルーパはヘヘッと笑いながら、街の上空を飛ぶエアバイクを

睨み付けるのであった。


ウルスとルーパの2人は、出かける準備を終え、

宿のカウンターへと降りてきた。

カウンターには宿の店主が居た。


「よぉ、親父。

まだ避難してなかったのかい?

早く逃げたほうがいいぜ?」


ルーパは財布を取り出すと、店主の目の前に一枚の金貨を置いた。


「ゴート金貨か。助かるよ。」


親父はそそくさと金貨をポケットにしまう。

金銭のやり取りは電子化が日常のこの世界ではレアだったが、

非常時には現物のほうがいい場合もある。

王国公式の通貨であるコットは全て電子化され、現物の紙幣やコインは

存在しないため、闇ルートで数種類の通貨が流通されているが、

その中でもゴートは、信用のある通貨だった。


「頼まれていた件だがな・・・。

グランベリー。今回の行動は、金銭目的だけじゃねぇみたいだな。

もちろん、宝石店や港の貨物は全て奴らに押さえられているが・・・。

あ、あと若い女もだ。連れ去られたって情報が入ってる。」


店主はカウンターに数枚の写真を置いた。

そこにはグランベリー海賊団の団員が、街を襲っている風景が

写されている。

繁華街の店が襲われている写真もあれば、女性が団員に腕を捕まれているのもある。

女性らはそのまま船に乗せられ、海賊団の男どもの慰め者になるであろう。

裕福な家庭の女性ならば、身代金と交換に解放される可能性はあったが、

それでも乱暴は行われるだろうし、そもそもマラッサの住人で

身代金を払える層はそんなには存在しない。

可哀相だとは思うが、ルーパは同情はしなかった。

何故なら、彼も海賊だからである。

ルーパが海賊になったとき、ピュッセル海賊団は既に海賊家業から

足を洗っていたが、先輩たちから数多くの武勇伝は聞かされていた。

金と女は海賊にとって略奪対象であり、

その行為の否定を、ルーパにはできない。


「気になるのはコレだ。」


親父が一枚の写真を指さす。

そこには、エアバイクに乗せられた子どもが写っていた。

ぐったりとしており顔は見えなかったが、体型的に子どもである。


「どうも奴ら、子どもを攫っているらしい。それも1人や2人じゃない。

身代金目当てとも思えないんだが?」


親父はそう言うと、側にいたウルスを見た。

ルーパが連れて来たこの子どもが、何かしら訳アリなのは

親父も感づいている。

グランベリー海賊団のこの不可解な行動が、ウルスと関連があるかも知れないというのは、誰もが疑うところであろう。


「ありがとな。おっさん。」


ルーパは親父の訝しげな視線を無視して、ゴート金貨を更に2枚カウンターに置く。

親父はニヤリと笑った。


「今のところ襲撃されたのは、役所、自警団詰め所、発電所、通信塔、繁華街のめぼしい店、そして、Aゲート。Aゲート以外は完全に破壊されている。

終わりだよ。この街は。」


自傷気味に親父は言った。


「シェルターの中で救援を待つんだな。生命維持だけなら3ヶ月は持つだろ。

軍も近くに来ている。」


「ケッ!王国に逆らってた街の住人だ。、保護と言うより、確保だな。」


親父は観念したように呟く。

その言葉にルーパは反応せず、出口へと向かった。

ウルスが後に続く。


2人は宿の外に出た。

電気系統が死んでいるため、人工の明かりはなかったが、町全体を覆う炎の光が

岩石内に作られた壁を反射し、赤っぽく照らしている。

温度調整機能も死んでいるはずであるが、炎の熱気がほどよく空気を暖め循環していた。

町外れにある宿であったが、路地には人がかなりの数見受けられた。

さっきまでは意識していなかったが、街全体に警告音と無機質な声で

酸素欠乏のアナウンスが流れている。

非常用の電源は多少生きているようであった。


「ウル。ここから先は、俺の指示に従え。

文句があるなら後で聞く。

今は黙って、何も考えず俺の言うとおりに動け。」


ルーパがウルスの肩を抱きながら言った。


「はい。」


少年は答える。


彼は自分自身では気付いていなかったが、ルーパの

「文句があるなら後で聞く」という台詞に安堵感を感じていた。

それは、「後がある」という事である。

後があると言うことは、生き延びてこの場所から脱出できるということである。

そして、ルーパやカエデたちと今後も行動できるという事である。

それこそが今のウルスの一番の望みであったので、

ルーパの言葉がとても心強かった。


後年、この2人に関して、セリアが興味深い発言をしている。


「お兄様とルーパさんの相性がいい?

あなたの目は節穴ですのね。

あの2人の相性は最悪ですわ。

お兄様が太陽だとしたら、ルーパさんは月ですわね。

太陽が輝けば輝くほど、月は陰りますのよ。

お互いを繋いでいるのは・・・そうですね・・・。

信頼・・・なのでしょうか?

でも、逆に言うと、信頼だけの関係ですわ。」


そう評される2人は、信頼という関係だけで、危険な場所に

踏み込もうとしているのであった。



ウルスとルーパは、大通りに出た。

夜中の22時過ぎであるにも関わらず、大通りは

人で埋め尽くされていた。

ほとんどの者が、町の中心部から郊外へと歩いている。

彼らの多くは地下シェルターに向かっていた。

地下シェルター自体は、マラッサの街の至るところにあるが、

街の中心部に行くほど、シェルターの規模は小さい。

郊外ほど大きく、大量の人間が入れるシェルターだったので、

必然、人々の多くは郊外を目指した。

ましてや街の中心部ほどグランベリー海賊団のエアバイクが

空中を周回しており、炎の勢いも、ミサイルの着弾率も跳ね上がる。

人々はまるで小魚の群れのように大群をなし、

大通りを郊外へと流れるように列を作る。

民衆の多くは片手ほどの荷物しか持っておらず、

皆が皆、慌てて家を出た事が察せられた。


「ウル。はぐれるなよ。」


ルーパたちはその群集の中を逆行するように、

人々を搔き分けて進む。

ルーパがまず道を作り、その後にウルスが続く。

その間、2人は無言だった。

ウルスの脳裏に、周囲の人々の声が刷り込まれる。


「ばあちゃんは無事かなぁ。」


「痛いよぉ。」


「何であいつらが襲ってくるんだよ!?」


「通信は?無事?」


「王国は何やってるんだ!」


「さぁ、歩いて。」


「どうして私がこんな目に合わなきゃいけないのよぉ!」


「生き延びたら、結婚しよう。」


「どうしてあなたは、いつもいつも!」


「終わりだ・・・。」


ウルスは耳をすませた。

聴覚だけではなく、視覚も嗅覚も。

肌で感じる全てに神経を集中させる。

多くの人間が、出来る事なら忘れたいと感じる情景を、

彼は記憶することに集中していた。

まるで旅行先で素晴らしい景色に出会ったときのように、

少年は今のこの時を記憶しようとしていた。


「軍は!?軍は出動していないのか?」


「軍が動くわけないだろうが!やつらにとっちゃ、内輪揉めみたいなもんだ。

期待できるかよ!」


その会話に反応しそうになる。

軍はすぐ側まで来ている。

ウルスはその事実を伝えたくなるが、考えを振り切った。

今、ウルスがその事実を伝えたところで、何か変わるわけではない。

信じてもらえないのがオチだ。

少年はルーパを見失わないように、後に付いていくだけである。


雑踏の中、それでも周囲に神経を張り巡らせていたウルスの耳に、

異音が流れ込んできた。

ひゅるるるーと間の抜けたか細い音が脳を刺激する。

音の大きさ的に位置は遠い。

だが、その異音にウルスは視線を空に向けた。

同時にルーパがウルスの手を掴み、引っ張る。


「うわっ。」


ウルスの身体がルーパに引き寄せられると、彼はルーパを見た。

ルーパも何かを感じ、空を見上げていた。

この時点でウルスもその異音の正体が何なのか悟る。

今、空を見上げるとしたら、理由は二つしかないからだ。

一つはグランベリー海賊団のエアバイクの襲撃。

一つは、海賊船からのミサイル攻撃である。

慌ててルーパの視線の先をウルスも追う。

空に小さな点が見えた。

それはどんどん大きくなり、対象の姿がハッキリとしてくる。


「ウルっ!」


ルーパがウルスの手を更に強引に引っ張る。

空の点は次第に大きくなり、軌道がウルスらのいる場所から

50m後方付近に落ちると予測できた瞬間、

バゥ!という鼓膜に響く音と共に、

空気の振動が肌を襲った。

続いて、ドゥ!という重い音と共に、爆発と爆風が人々の列の中心で

破裂する。

人々の悲鳴は爆音でかき消され、土煙で視界も失われる。

気圧の変化でキーンという耳鳴りが脳裏を支配する。

激しい爆風で目を開ける事も出来ない。


「・・・ル!ウル!聞こえるか?」


ようやくウルスは周りの声を識別できるようになると、

ルーパを見た。

同時に、周囲から悲鳴や叫びが聞こえてくると、ウルスはようやく

周りの惨状を目視する。

ミサイルが落ちたのはウルスらからは50mほど離れた大路地の中央。

そこまで長い隊列が続いており、隊列を途切れさせるように

真っ赤な炎が路地の中央で壁を作っていた。

その周囲には立っているものはいない。

しゃがみこんでいる者と、倒れているものと、

後は、小さな肉塊がところどころに見えた。

50mほどの距離で小さな点でしかないはずであったが、

爆発で大路地の中心部からは人が退避し、炎とウルスの間の

視界を遮るものがない状態であったので、

ウルスにはそれが何かハッキリと何かわかった。

単語で言うならば、手、足、半身、頭・・・。

そして、赤い鮮血・・・。

通常であれば、即座に目を背けたくなる惨状であったが、

ウルスはまるでそれに魅入られるように、目を逸らすことが出来なかった。

無意識にこの光景も記憶しようとしているかのようである。

12歳のウルスが、人の死を感じるのはこれが初めてである。

祖父はウルスが産まれたときには亡くなっており、

葬式というものにも出たことがなかった。

死という存在は知っていたが、実感したのは初めてだったのである。

まるで固まったかのようなウルスの手を、ルーパはもう一度引いた。


「ウル。行くぞ。」


ウルスは視線を炎の中心地から離せないまま、コクリと頷く。

だが、動こうとしなかった。


「行くぞっ!」


ルーパは強引にウルスの身体を自分の隣に引っ張り、

ウルスの視界を自身の身体で塞いだ。

視界が閉ざされたウルスは、視線を上げルーパの顔を見る。

その瞳からは光が消えているかのようにルーパには見えた。


「行くぞ・・・。」


力なくルーパはウルスに再度同じ言葉をかけた。

ウルスはゆっくりと、半信半疑のような感じで頷く。

頷いたというよりも、視線を落としたように見えた。


2人は混乱している周囲を他所に、再び街の中心部に向かって走り出した。

大通りが炎に包まれた事で、先に進めなくなった住人たちの列は、

バラバラに路地へと別れはじめている。

大路地から人が退避しているのでウルスらの歩むスピードも速くなったが、

同時に隊列から逆走している彼らが目立つようになってきている。


「俺らも路地に入るぞ!?」


ルーパはそう言うと、大路地から小さな路地へと進路を変えた。

ウルスは黙って付いていく。

付いてきた事を後悔しているのだろうか?

ルーパは後方を付いてくるウルスを確認しながら、

ふとそう考えた。

連れてきたのは失敗だったか?

そんな疑問が沸いて来る。

だが、今はもう遅い。

彼は街の中心部へと向かっていたが、

最終目的地はカエデたちのいるAゲートだった。

ウルスをカエデたちの下へと連れて行くことが目的である。

宿からシェルターに避難させるよりも、

カエデたちと合流させるほうが良いと判断したのであった。

だから、連れて来た事に後悔はない。

それが目的なのだから。


だが・・・とも思う。

ウルスがこの強烈な出来事で「壊れてしまわないか?」心配になった。

否、壊れかけている気がした。

しかし、ルーパはその考えを封印する。

彼にとって、ウルスが壊れるか壊れないかは大きな問題ではなかった。

彼にとって優先事項は、ピュッセル海賊団の利益である。

それは、ウルスの生存が第一であって、

生きていれば後はどうにでもなると判断していた。

もしここでウルスが死んでしまえば、

その責任はピュッセル海賊団に向けられ、

王国による海賊殲滅作戦は勢いを増すであろう。

それでは本末転倒なのである。

ウルスやブレイク伯を生きて返す事が、この誘拐作戦の肝であり、

最優先事項である。

それは誘拐劇を立案したカエデからも厳命された必須項目なのであった。

そこにウルスの個という要素はない。

あるのは生命の無事だけである。

そしてピュッセル海賊団で次期エースと目されるこの男は、

任務に忠実に行動できる男だった。

切り捨てる事が出来る男だった。


ルーパの中に、ウルスに対する思いやりは、この場面では一切なかったのである。

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