第40話 聖なる木が伝える心

 俺たちは9人全員で、ぐるっと取り囲むように木の周りに間隔をあけて広がった。

 それぞれが木に抱きつくように体をつけ、頬をつける。そして、9人全員が気持ちをひとつにし、木の魔物に、心を伝えようと念じた。

 木の魔物は何も反応を示さない。それを見たノーサンバーランド公爵は、やはりそんなことは無理だったのだと、明らかに落胆の表情を浮かべた。

「うわっ!?なんだこれは!」

 その時、少し後ろに離れて立っていた自身の従者が、驚きの声をあげて周囲を見渡しながら後ずさる。

 何事かと思い、ノーサンバーランド公爵は従者の近くへと早足で近付いた。

「なんだね、どうしたというのだね。」

「だ……旦那様、あれを……。」

 従者が指をさした場所。


 それは木の魔物の周囲の木々たちだった。青々とした緑の葉──だったものが、一様に本当の意味での真っ青に染まっていたのだ。

 それはまるでこぼしたインクが布に染み込んでいくかのように、どんどんとその範囲を広げていく。

「こ、これはどうしたことだ!?」

 生まれて初めて見る光景。明らかに異質であり、人々の目を引くにはじゅうぶんだった。

 通りすがりの者、家の窓から身を乗り出す者、作業をしていた手を休める者。人々は全員足を止め、変わりゆく木々の色に目を奪われた。


 ──まさに伝達。

 木々はその色を変えることで、人々の心をひとつにしてゆく。木が、自分たち何かを伝えようとしている、と。

 何ごとか起きている。まるで木々たちが悲しんでいるかのようだ。天変地異の前触れじゃないのか。

 この異常事態の原因をつきとめ、何よりも先に解決しなくては。人々は次々にそう言って、仕事をしていた者たちもそれを放り出した。

 役場は駆け込んで来た人たちであふれかえった。集まった人々に、我々にはどうしようもありませんので、いずれ国から回答が出るのをお待ち下さい、と繰り返す。

 既に王宮からの事前通達で、何が起きるのかを予め知っていた、各地の役場の担当者たちも、人々の反応の多さは覚悟はしていたことではあるが、その予想以上の対応に追われて、終日てんてこ舞いだった。


 国中の木という木が色を変え、人々はそれにおののいた。一晩経ってもその色は戻ることはなく、人々はなるべく家から出ずに閉じこもった。

 あれだけ騒がしかった冒険者ギルドの中も静かになり、人々が冷静になった頃、

「王宮より公布がある!

 みな広場に集まるように!」

 と声を発しながら馬に乗った公布係が村や街中を駆け回った。

 一刻も早く理由を知りたがった人々は、ぞろぞろと自分たちの住む地域の、村人たちは村長の家の前、街の人たちは広場へと集まって行った。

 人々が集まった中心には、王宮からつかわされ、各地に散って行った公布係の姿があった。


「──此度の件について、王宮より公布があった。

 これは約束の地、ロングイグアイランドの聖なる木の仕業だ。」

 集まった人々がざわめく。

「現在、魔物の討伐を拒絶する声により、かつてないほど魔物があふれかえっている。

 このまま魔物が増え続ければ、やがては人の数をこし、我々の生活も命も脅かすことになるだろう。

 聖なる木はそれを憂いでいる。

 聖なる木の声に耳を傾けよ。

 そうでなくば、やがて取り返しのつかないところまで来てしまう。

 魔物は共生可能な場合も存在するが、その土地や置かれた状況によって異なる。

 その殆どは共生不可能なものばかり。

 正しい判断を仰ぎ、可能な限り元の状態に戻すのだ。

 さすれば木々は色を取り戻すであろう。」

 人々は互いの顔を見合わせた。


 冒険者ギルドには、また大勢の人々が集まっていた。だが以前のような態度の人間は1人もおらず、申し訳なさそうに、皆一様にうなだれている。

 受付嬢が討伐以外不可能なものと、活用共生検討の余地があるものを振り分けて、討伐以外は不可能なものから、クエストを作成してゆく。

 依頼主に受注済みの書類を手渡し、別の職員に冒険者ギルド側の書類を手渡して、職員がクエスト募集掲示板にそれを次々に貼り出してゆく。

 今回の件で冒険者の数が減ってしまった為に、クエスト受注者が現れるのに、お時間がかかります、と依頼主に一言添えて。

「……もう大丈夫そうだな。」

「ああ。

 魔物の数が落ち着いたら、また木を元に戻しに、あの地へ向かおう。」

 ランウェイと俺は冒険者ギルドの様子を伺いながらうなずきあった。


 今回の出来事は、偽のダイエット情報に飛びつく人たちが大騒ぎする状況に、とてもよく似ているなと思う。

 かつての前世でも、やれ3食納豆がきくだとか、3食ゆで卵は医者が保証しているだとか、3食リンゴがいいだとか、そんな眉唾もののダイエットがたびたびブームとなった。

 何故か3食すべてを同じもの、というのが共通している点はさておき、それに人々が、真偽の程を確かめもせずに、ワッと群がるところが同じなのだ。

 銀行の倍以上の利息をうたい、巨額詐欺で逮捕者が出る事件なども、定期的に発生しては、あとをたたなかった。


 共通しているのは、お手軽で、自分たちにも簡単にやれて、利益や結果が手に入ると思わせるものばかりだ。

 やらないと損をすると思った途端、それは人々の目を曇らせる。

 簡単に利益や結果が手に入ると一度思い込んでしまうと、たとえそれを提案したのが詐欺師であっても、身内の言葉にすら耳を貸さなくなる。

 何度過去に同じ出来事があっても、同じように信じてしまう人が、毎回大量に現れては大騒ぎをするのだ。


 今回のことだってそうだ。魔物の討伐ではなく、共生活用の依頼に切り替えるだけで済むと思っていたものだから、損をさせられる前に得をしようと焦ってしまっていた訳だ。

 前世であれば、詐欺師集団から逮捕者が出た報道があっただとか、医者などの専門家が一言、テレビでそれは嘘だと言えば、簡単に収束していくような内容だ。

 だが今回はその専門家である、冒険者たちの言葉を疑っていたわけだから、単に国が公布だけを出したところで、人々の興奮はおさまらないであろうと、王宮側も考えていた。


 そこで約束の地の聖なる木と崇められている、木の魔物の存在が、クッションとして必要になったのだ。

 国中の誰もが知る聖なる木。実際はただの木の魔物なのだが、それを冒険者と王族以外に知る人たちはいない。

 聖なる木が専門家の役割を果たし、人々の目を覚まさせる。そこで公布を出すことによって、初めて人々は、冒険者ギルドが教えてくれたことが、本当のことだと聞き入れる耳を持てるようになったのだった。

 それに引っかからない人々からすると、愚かに見えるかも知れない。すぐに飛びつく前に調べたり、色んな人に聞いてからやれば済む話ではある。

 自分だけは騙されないと、頑固で意固地になってしまった家族や知り合いに、困らされた人たちもいたかも知れない。


 だが俺は、人とはそうしたものだと思っている。

 人は少しでも幸せになりたいのだ。誰よりも先にそれを掴もうと、争うように生きている。

 ほんの少しだけそこに、人々に正しい知識や情報を与える存在がありさえすれば、きっと今よりも楽しく暮らせる未来が待っている。

 俺は人々に、そして魔物に、それを与えられる存在でいたい。

 まもののおいしゃさんは、そうした人々と魔物に小さな架け橋を渡して、ほんの少しだけ、今よりお互いが暮らしやすく、幸せを手に入れられる手助けが出来る。

 そんな仕事だと思っている。

 すべての魔物との共生は不可能だが、可能な限りそれを見つけていきたい。幸せになる権利は、どんな人にも、魔物にだってある筈だから。


「さて、俺もクエストを受けてくるか。」

「現役のSランクがか?」

「あれを普段受けるレベルの冒険者の数が足らないんだ。

 少しでも早く元の生活を取り戻してやりたいしな。

 初心者の頃の気持ちを思い出すさ。

 ──初めて魔物を倒して、村人たちに感謝されたあの頃をな。」

 ランウェイは俺に手を上げて別れると、クエスト掲示板とにらめっこを始めた。

 そこにサイファー、リスタ、グラスタ、サーディンが近寄って来る。

 ジルドレイ、エドガー、オットーも、白煙の狼、鉄壁の鋼、漆黒の翼の面々を伴い、次々に掲示板の前に集まって来た。

 この分なら近いうちに、村や街は落ち着きを取り戻すだろう。

「俺も、まもののおいしゃさんとして、出来る限り共生活用出来るものに、対応していかないとな。」

 俺は冒険者ギルドの受付嬢に声をかけ、活用共生検討の余地があるもの、に振り分けられた書類の束を受け取った。


 木というものは、元々会話をしている。声も出さなければ、動くこともない。だが確かにそこには感情が存在している。

 木々は体から発する気体を使って、周辺の木々に危険を知らせる事が、様々な研究により分かってきた。

 物質の特定にはいたらず、現時点では、エチレンという気体のホルモン物質説が有名だ。

 また、野菜や果物のなる木々なども、音楽を聞かせる事で味がよくなったり、収穫量が倍増する事でも知られている。

 そして、実験の結果が少ないことから、確定事項とはされていないが、人の心にシンクロする生物であるともされている。

 約束の地の木の魔物は、それをすべての木に対して行うことが出来る、いわば木々を支配する王様なのだ。

 この世界の樹木は、種類は違えど、一定の魔力を帯びている。その魔力が約束の地の木の発した感情に反応して、次々に他の木へと伝え、その色を変えるのだとされている。


 約束の地の魔物。別名イグドラシル。世界樹とも呼ばれるその木は、この世界では太古から存在する木の魔物だ。

 9つの世界を内包すると言われ、俺の名前もその世界のひとつをもじって、村長に付けられたものだ。

 9人の人間が必要だというのは、そのエピソードから来ているのか、9人の人間が必要だったから、そのエピソードが生まれたのかは分からない。

 もっと多くても少なくてもいけたのかも知れないが、この騒動を憂う9人の心に、確かに魔物は反応してくれた。

 村長は子どもの俺にこう言った。

 お前に親はいないが、ワシと約束の地の聖木がお前を見守っている。だから、きっと大丈夫だ。

 いつか聖木がお前を守ってくれるように、お前が守りたいと思えるものを、守れる人間になりなさい、と。

 だから俺にとっては、約束の地の魔物の木は、会ったことのない親のようなものだ。

 年をとってすっかりそのことを忘れていたが、お礼を言いに木の色を元に戻しに行く時には、リリアも一緒に連れて行こう。

 そしてその木を見せてやろう。お父さんのお父さん、いや、お母さんかな?

 そんな存在であるのだと。

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