第35話 聖地誕生

 砂が落ちてこないように、周囲を別の木で固めた穴に、作業用の木枠を作っていく。

 穴はクラーケンの遊びに使う足の数に合わせて16個作ったが、すべてに均等に足を入れるとは限らない為、人の手による作業も必要になるだろう。

 木枠の内側に防水塗布剤を塗り、更に防水塗布剤を塗った布を敷いてゆく。

 これで完成だ。

「あとは、ここでクラーケンが期待通り遊んでくれるかどうかだな……。」

 俺は出来上がりに満足しながら、上から木枠を敷き詰めて、木の箱が並んだ状態になった砂浜を眺めた。


「そろそろクラーケンが戻って来るぞ!

 みんな!上がってくれ!」

 俺は皆に声をかける。

「待ってくれ!

 あと釘3つで終わるんだ!」

 防水塗布剤を施した布を木枠に打ち付けながら、マイガーが叫ぶ。

 他のみんなは順番に上に上がって来た。

 その時、海の向こうにクラーケンがこちらに向かって来るのが見えた。

「マイガー!来てるぞ!」

 アントが叫ぶ。

 マイガーは上がろうとしない。


「終わったぜ!

 引っ張り上げてくれ!」

 マイガーが下から手を伸ばした。マイガーを掴むのに並べるだけの、大人の男6人が、3人ずつマイガーの片腕をそれぞれ掴んで引っ張り上げようとする。

 たが掴み辛い為うまく行かない。

「──何やってやがんだ!

 そこまで来てんだぞ!」

 ジルドレイが叫んで下に飛び降りると、エドガー、ランウェイ、オットーがそれに続いた。


 4人は一斉に下からマイガーの両足と尻を持ち上げる。上から引っ張り上げる力も手伝って、マイガーが上に上がることが出来た。

 ジルドレイ、オットー、エドガーが自力で上に上がる。

「──ランウェイ!!」

 俺はランウェイに手を伸ばした。ランウェイの伸ばした腕を掴んで引っ張り上げる。

 その時クラーケンが砂浜に衝突し、ランウェイの後ろで巨大な波を立てた。

 波が俺たちの作った木枠の木箱の中へと吸い込まれて行く。


 波がおさまったあと、16個の木箱の中には、なみなみと海水が浸る姿が見えた。

 クラーケンは一瞬大人しくなった。

 SSランクとはいえ、魔物は生き物だ。今までと様子の変わった砂浜に困惑しているのかも知れない。

 ソロリソロリと、木枠の中に足を伸ばしていく。

 クラーケンの足先が木枠の中の海水に触れる。俺たちはゴクリと唾を飲みながらそれを見守った。

 クラーケンの足が木枠の中の海水をこねだした。

 楽しくなったのか、残りの足で体を支えながら、すべての木箱に均等に足を入れ、ビタンビタンと叩いたり、海水をこねたりしだした。

 俺たちは歓声を上げた。


 俺たちが作った木箱は、天日塩を作る為のものだった。

 海水の塩分は大体約3%で、1 リットルの海水に含まれる塩は30グラム程度だ。

 これをクラーケンの遊びを利用して取り出そうというのだ。

 塩の取り方は様々だ。

 日本の場合、普通の塩は、海から機械で吸い上げた海水を、機械で濾過したり、煮詰めたりして、蒸発させるやり方が最も一般的だ。

 天日塩を作る場合は、ネットを張り巡らせた高さ数メートルのタワーに、機械で汲みあげた海水を放水する。

 海水はネットを伝って下に落ち、太陽の熱と風が少しずつそれを蒸発させてゆく。

 これを何度も繰り返すことで、塩分濃度の高い“”かん水“が出来る。その“かん水”を元にして塩を作るのだ。


 だが、この世界には、海水を直接吸い上げる機械なんてものはない。

 そこでクラーケンだ。

 昔ながらの天日塩の取り方には当然機械など使わない。木箱に入れた海水を、太陽の熱と潮風を利用し、時間をかけて乾燥させる。

 タワーを使うと1〜2ヶ月で天日塩ができるが、普通に乾かすと最低でも3ヵ月はかかる。

 その間毎日、1時間に1回、最低でも1時間半に1回、木箱の海水をかき混ぜなくてはならない。

 これがちょうど、クラーケンが遊びに来て帰って行き、また戻ってくる時間と一致するのだ。


 時間をかけて自然に蒸発した塩は、加熱処理した際に失われる、海水に含まれる栄養分を残したまま結晶化するので、風味豊かな味となる。

 この世界で、白いダイヤと呼ばれる、高級な塩が作られるのである。

 クラーケンは過去の記録でも最低3ヶ月は港に出没することが分かっている。

 クラーケンが出没しない日があれば人の手でかき混ぜる。

 乾燥しきる前にクラーケンが来なくなった場合も同様だ。


 これが成功すれば、船が出せない間の稼ぎを補ってあまりある大儲けを街にもたらすことになる。

 クラーケンは退治しなければならない魔物ではなく、次に来てくれる日を有り難く待つ魔物に変わるのだ。

 もちろん数十年に1回しか来ない為、それ以降も塩が取りたければ、人の手で定期的に海水をかき混ぜれば、時間さえかければ塩は出来る。

 天日塩作成用の木箱は、この先もこの港にあっても困らないものだ。


 俺たちは毎日クラーケンを観察し続けた。クラーケンは飽きることなく木箱の中を叩いたりこねたりして遊んでいる。

 1度海水の波をたてて木箱の中が濡れ、乾燥させるのがやり直しになってしまったことがあった。

 だが、砂に近い、塩になりかけの海水の感触の方が気持ちがいいのか、それ以降、クラーケンは波をたてなくなった。

 大分乾いてきた頃には、塩が盗まれないよう、交代で夜にも見張りを立てたりもした。

 そうしてクラーケンが飽きていなくなるのを同じくして、アゾルガの港特産、クラーケンの天日塩は、見事に出来上がったのだった。


 その日、アゾルガ特産天日塩の作成に関わった人々は、ほぼ全員がアゾルガの港に集まっていた。

「や、やっぱ、無理だよお、アスガルド。

 俺が子爵とかさあ。」

 エンリーは真っ白なスーツに、胸に白と黄色の花飾りをつけられた状態で、とても不安そうな顔をした。

「何を今更言ってるんだ?

 既にシュタファーさんとの養子縁組が終わって、お前はとっくに子爵じゃないか。」

 今日はエンリーとソフィアさんの結婚式だ。

 貴族の娘が平民に下賜出来ないという決まりがある為、子どもがいないシュタファーさんがエンリーを養子に迎え、晴れてエンリーは、子爵として男爵の娘であるソフィアさんにプロポーズしたのだった。


 出会いのきっかけとなった、クラーケンの天日塩作成に関わった人たちみんなが、お祝いの為に集まってくれている。

 エンリーは、みんなが拍手で迎える中、アゾルガの港にある教会の中央を歩き、神父の前に立ち、ソフィアさんを待った。

 教会の扉が開き、ロリズリー男爵と腕を組んだソフィアさんが、静かにエンリーの元へと歩いて来る。

 父親から新郎へ、新婦の引き渡しの儀式だ。


 エンリーの横に立ったソフィアさんを見て、ロリズリー男爵がひと目もはばからず、鼻水をすすりながら泣いた。

「きれいだ、とてもきれいだよ、ソフィア……!」

「お父様……!

 ……今まで、育てて下すってありがとうございました。

 ソフィアは幸せになります。」

 ソフィアさんも泣きながら、父と娘はそっと抱きしめあった。

 エンリーがソフィアさんに肘を差し出した。ソフィアさんがその腕を取り、2人は神父に向き直った。


 近いの言葉をのべ、2人が口付けた瞬間、再び大きな拍手が巻きおこった。

 シュタファーさんも、エンリーの両親も、フォークス村のみんなも、大きな拍手をしながら泣いていた。

 先に教会の外に出て待っていたみんなが、後から出てきた新郎新婦に、アゾルガ名物のビビアーナの花を投げかける。

 花の道を通って、新郎新婦が教会の前に止まっていた馬車に乗り込んていく。

 全員に手を振りながら、2人は新婚旅行へと旅立って行った。


「素敵な式だったわね……。」

 俺の隣に立ったリスタが、涙を浮かべながら言う。今日はリスタもドレスを着ていた。

「──お前は再婚しないのか?アスガルド。」

 サイファーが俺に聞いてくる。

「再婚も何も、離婚をしていない。」

 俺はサイファーの言っている意味がわからず答える。

「そりゃ、女房が逃げたから、正式な話しあいが出来てないってだけだろう?

 小さな子どもを置いて何年も帰って来ない相手を、妻だ母だと呼べるか?」

 ランウェイが眉間にシワを寄せながら言う。


「よしてくれ、子どもに聞かせる話しじゃないだろう。」

 俺は式に連れて来ていたリリアをちらりと見ながら、ランウェイをたしなめた。

「?

 ──リリアちゃん、どうしたの?」

 見るとリリアが、リスタのドレスの裾をつまんで小さく引っ張っていた。

「リリア、やめなさい?

 お姉さんのドレスがのびてしまうだろう?」

 リリアは頬を染めながら、リスタを見上げて見つめていた。

「……お姉ちゃん、キレイ……。

 お嫁さんみたい……。」

「あ……ありがとう。」

 その言葉に、リスタも頬を染めながら、ちらりと俺の方を見たのだった。


 後日、クラーケンを利用した、天日塩の作成の方法が、冒険者ギルドを通じて国に上げられた。

 いつまでたっても討伐隊を出さない冒険者ギルドに、煮えくり返っていた宰相たちは、まさかそんなことをしているとは思いもよらず、本当にクラーケンによる被害がないのか、アゾルガの港に調査隊を派遣した。

 そして、被害どころか、クラーケンを利用した天日塩が作成されたのが事実であると認識した瞬間、それを大々的に国内に発表したのだった。


 クラーケンの天日塩は、その味と希少性で爆発的に高騰し、アゾルガの名は一気に国中へと広まった。

 クラーケンが天日塩を作った場所をひと目見ようと観光客が押し寄せ、それがきっかけで貴族と元平民が結婚したという逸話に、恋人たちの聖地と呼ばれるようにもなった。

 そして、その騒ぎと熱が未だ冷めやらぬ頃、俺は王宮から直々に呼び出しを受けてしまったのだった。

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