第25話 魔物に操られた犬

「犬が魔物に取り憑かれてしまったとは、具体的にどのような状態なのでしょうか?」

 人間や動物、他の魔物を操って攻撃する魔物は少なくない。

 だがその多くはダンジョン内に潜み、そしてほぼもれなく魔法を使う。

 俺の現役時代も、仲間を操られて苦しめられたことのある、直接魔物に攻撃されるよりも、ある種やっかいなタイプだ。


 人里近くで現れるケースだと、吸血タイプが有名だが、人だけでなく犬をも操れるとなると、始祖と呼ばれる、強力で魔力の高い、SSランク相当の魔物だ。

 Sランクが10人いても倒せるか分からない、最早伝説レベルのシロモノだ。

 とても俺ひとりで太刀打ちなど出来ないし、害しかないそんな魔物を活かす手段などない。

 はんのきまぐれのように人里に現れては、仲間を増やして荒らすだけ荒らして去って行く。


 過去に現れたケースは何度もあるが、始祖そのものの討伐には、未だ至っていない。

 操られた人々や動物を、完全に魔物化する前に、または魔物化した後に殺すしか、対応手段のない、恐ろしい魔物なのだ。

 本当にそんな魔物が現れたのであれば、調査自体も慎重を要する。冒険者ギルドにも報告し、冒険者全体で当たらなくてはならない。


 血を吸われ、操られると、基本は目がうつろになり、人も動物も魔物も、最終的には、常によだれを垂らしながら、他の生き物を襲い、血を吸って仲間を増やす。

 最終的な状態になるまでは、割と正常な状態と変わらず、人間の場合、会話も可能であったりするので、長い間潜伏されてしまうことも多い。

 いつの間にか村全体が仲間にされて、そこで初めて魔物の被害に気付くのだ。


 ただし、血を吸われて仲間にされても、他の生き物の血を吸ったところで、人は人しか仲間に出来ないし、動物は同じ種類の動物しか仲間に出来ない。

 魔物はたまに人間や動物を仲間に変えられる個体が現れることもあるが、基本は同じ魔物しか仲間に出来ない。

 そこが始祖と、始祖に仲間にされた対象との違いだ。


 婦人の犬が仲間にされていたとしても、近くに始祖がいない限りは、人が襲われて血を吸われることはあっても、仲間になることはない。

 その点では、婦人の犬だけが被害を受けたのであれば、今すぐ危険という状況ではないが、婦人の犬は殺さなくてはならなくなるだろう。

 まずは婦人の犬の状態の確認と、近くに始祖がいる可能性の、痕跡を探さなくてはならない。


 俺は犬を殺さなくてはならないかも知れない可能性については、取り敢えず婦人にふせることにした。

 別の何かが原因である可能性も、もちろんあるのだから。

「もし……ですが、本当にシュタファー婦人の犬が、魔物に操られているのだとしたら、俺の手にはおえない、とても恐ろしい魔物が近くに現れた可能性もあります。

 慎重にあたらせて下さい。

 まずはその犬の状態が見たいのだが、案内していただけますか?」

 シュタファー婦人とエンリーは、心配そうに顔を見合わせた。


 シュタファー婦人は、まずは庭の脇にある犬小屋を見せてくれた。

「犬の名前はベルと言います。

 いつもこちらにつないでいるのですが、毎日抜け出してしまうのです。

 とても大人しくていい子だったのですが、ある日を境に、突如言うことをきかなくなってしまって、私に吠えかかったり、牙をむくようになったのです……。

 困った私を見かねて、エンリーが後をつけてくれたのですが……。」


 エンリーは怯えたように、その時のことを思い出してブルブルと震えだす。

「ベルのあとをつけて、何をしているのか見張ってたんだけど、裏の森に魔物といるのを見ちゃったんだ……。

 ベルは毎日、その魔物のところに行ってるんだよ。」

「──魔物と?」

 それは有力な情報だ。

「それはどんな魔物だ?

 分かる限りでいい。特徴を教えて欲しい。

 例えば、目が赤く光っているだとか、灰色の肌で、人型をしていただとか、そういうことはなかったか?」


「目は……、赤かったと思うよ。

 それに灰色だった。

 ──でも、人型なんかじゃなかったぜ?」

 人型じゃない?

「じゃあ、具体的にどんな魔物だったんだ?」

「全身が毛むくじゃらの毛に覆われた、目の赤い灰色の魔物だよ。

 とても大きくて、俺の背丈くらいはあったな。」


 始祖ではないようだが、魔物を介してベルが従魔にされたのであれば、人も危険になってくる。

 もちろんそれ自体が従魔にされた魔物であるのなら、始祖が近くにいる可能性も捨てきれない。

 せめて遠くからでも様子が見たい。

「エンリー、今日もベルはそこに行ってるんだろう?

 すまないが、その場所に案内してくれないか。」

「ええっ!?

 そ……そうだよな、分かった。」

 エンリーはゴクリとツバを飲み込んだ。


 森の中を歩く道すがら、俺はもっと詳しいベルの状態を、エンリーから聞き出す事にした。

「エンリー、ベルは急にシュタファーさんに吠えたり、牙をむくようになったとのことだが、……シュタファーさんが噛みつかれるような事はなかったか?」

「いや?俺の知る限りそれはないよ。」

「餌はきちんと食べるのか?」

「それは食べてるみたいだ。

 餌入れはいつも空になっているから。

 むしろいつもより、たくさん欲しがるようになったみたいだ。」


 ふむ?

 始祖に仲間にされたとしても、始祖が従魔化した魔物に仲間にされたのだとしても、奴らの主食は血だ。

 味を不味いと感じるようになるのか、段々と今まで食べていたものを口にしなくなる。

「ちなみに様子がおかしくなってどれくらいなんだ?」

「確か2ヶ月くらい前からって、シュタファーさんは言ってたよ。」


 2ヶ月だって?

 それなら別のことが原因かも知れない。

 血を吸われたのであれば、1ヶ月もあれば完全に魔物化し、普通の食事を受け付けなくなる。

「──あそこだよ。

 いつもあそこに、魔物と一緒にいるんだ。」

 木々を掻き分け、出来るだけ音をさせないようにしながら覗くと、ベルらしき茶色い犬と、巨大な灰色の毛むくじゃらの魔物の姿が見えた。


 フサフサの体毛が長くのびて、殆ど灰色の鞠のようだ。

 たが、エンリーは赤い目だと言ったが、この距離だからとはいえ、とても目の色までは確認出来ない。

「お前、どうやって目の色を確認したんだ?

 俺には全然、目の位置なんて分からないぞ?」

「俺が見かけた時は、ここまで毛むくじゃらじゃなかったんだよ。」

 なるほどな。


「最悪のケースを想定していたんだが、これなら大丈夫そうだ。

 エンリー、シュタファーさんを連れて来てくれないか?

 あと、これから言うものを持って来てくれ。」

「ええっ!?

 ほ、ホントに大丈夫なのかよ、犬を操る魔物だぜ?

 俺たちだって、近付いたら操られちまうんじゃ……。」

「まあ、ベルはある意味、やられちまってることには、間違いないがな。」

 笑う俺に、エンリーは訳がわからない、という顔をした。

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