第17話 油まみれの森

「大分安定してきたな。」

 俺たちはスイートビーの巣箱の様子を確かめに来ていた。

 蜜蜂というものは、巣が手狭になってくると、新女王を元の巣に残して、半数が旧女王と共に新しい巣を作れる場所を探しにいく。

 母親が出るというのだから、俺はこれを知った時は驚いた。新しい世代の為とは言え、人間なら考えられない。

 ちなみに分蜂は、天気がよくて気温の高い春から夏にかけて移動しやすい。


 この時大量に巣を出た蜜蜂が、木なんかに集まっている場合があるが、お腹いっぱいに蜜を蓄えているので、不用意に刺激したり攻撃したりしなければ、あちらも攻撃して来ない。

 木に大量に集まっているスイートビーを見つけた村人が騒いで村に駆け込んで来た事があったが、移動先を探しているだけだから、放っておいたらいいと言っても、しばらく怖がって森に近付かなくなった。

 まあ、普通の蜜蜂でもギョッとするところを、こぶし大の蜜蜂が集まっているのだ。気持ちは分かる。


 女王蜂は生まれてしばらくすると、一人で雄蜂の集まるところに出かけてゆく。言わば婚活だ。

 そこで10匹以上の、多くて20匹もの雄蜂と交尾し、何とここで、一生産む卵の分の精子を得る。

 女王蜂が一生に産むと言われている卵の数が500万個。スイートビーで1000万個だ。

 女王蜂はその精子を、なんと仮死状態にして、受精嚢という器官に保管し、必要な時に使う。

 人間が精子を凍結保存するはるか昔から、そんな機能を持っているのだ。


 オスの役割は交尾以外に存在しない。交尾までの期間、巣箱の中で働き蜂から蜜を貰うか、密房に自分からおもむき、蜜を吸う他は、うろうろとしているか、毛づくろいのように体を触っている。

 そんなオスたちは、メスである働き蜂から疎まれて、羽をかじられたり、追いかけ回されたりと、邪魔もの扱いされるのだ。

 仕事をしている姉と妹たちから、家庭内で不遇の扱いを受けるニートのようなオスたち。

 その上婚期が過ぎると、巣箱にいる必要がなくなるので、餌を貰えなくなり、働き蜂によって巣を追い出されてしまう。

 おまけに運良く女王蜂と交尾が出来たとしても、交尾器の一部を女王蜂の体に残して、地面に落ちて死んでしまう。

 悲しすぎないか、蜜蜂のオス。


 女王蜂は受精嚢から必要な分を取り出して、卵を産むわけだが、なんと、これは受精卵、これは無精卵、と産み分けることが出来る。

 受精卵からはメスが生まれ、働き蜂や女王になる。

 無精卵からはオスが生まれる。

 つまり男女の産み分けすら可能なのだ。

 これは蜂という種類の昆虫すべてがそうであるように、スイートビーにも同じ機能が備わっている。


 俺は作られた巣から女王蜂を探した。

 女王蜂は働き蜂に比べて、体の大きさ、特にお腹の大きさが異なる。

 色や形はほぼ同じな為、じっくり観察しないと分からない。

 俺は女王蜂を見つけると、片翅を少しだけ切り、背中に赤色を付けた。

「何をしてるんだ?」

 身隠しのローブを着たジャンが、不思議そうに俺の手元を見ている。

「これはクリッピングだ。」

 女王蜂が分蜂して逃げてしまわないようにする為のものだ。背中につける色は育成された年を判断する為のもの。


 西暦を5で割り切れる年は青、

 1余る年は白、

 2余る年は黄、

 3余る年は赤、

 4余る年は緑、

 でマーキングするという、国際的な決まりが養蜂家には存在するが、そもそもこの世界は西暦じゃないし、5年以上生存することの少ない蜜蜂と違い、スイートビーは10年は生きるので、この計算だと色が足らない。

 単に俺が分かっていれば充分なので、今年は赤と決めた。


「おーい、アスガルド!人が訪ねて来てるぞ!」

 再開したサウナで客対応していた筈のアントが俺を呼びに来る。

「──客?」

 村長の家に連れて行かれて家に入ろうとすると、外に立っていた屈強な男にジロリと見られた。護衛だろうか?

 どうやら客というのは、ちょっとお偉い立場の人間らしい。

 応接間の椅子に腰掛けていたのは、仕立てのよい服を着てヒゲを蓄えた紳士と、その後ろに控えるように立っている、従者であろう若い男だった。


「どうも。アスガルドだ。

 俺に用と言うことだが、あなたは……。」

 ヒゲの紳士が椅子から立ち上がり、右手を差し出す。

「ご挨拶が遅れて申し訳ない。

 私は公爵のフォトンベルトと申す者。

 これは従者のエンスリーです。」

 俺はフォトンベルト公爵と握手をした。

「これはどうもご丁寧に……。

 こんなむさ苦しいところまで、わざわざいらしていただいたのは、俺に仕事を依頼されたいと言うことですか?

 ──あ、立ち話もなんなので、おかけください。」

 俺とフォトンベルト公爵がテーブルを挟んで椅子に腰掛ける。


「さよう。ベルエンテール公爵よりご紹介いただきました。

 最近私の領地が、魔物に荒らされているようなのです。」

「魔物に……ですか。それなら冒険者ギルドでもいい筈だが、なぜ俺に?」

「実はまだ、魔物の被害と決まった訳ではないのです。

 私の領地では林業を営んでおるのですが、元々高温多湿な地域ではあったのですが、連日雨が続いて木が弱りだした。

 それに加えて、地面が油まみれになるという、奇妙な現象がおこるようになったのです。

 今までも魔物が出ない訳ではなかったのに、そのような被害はいまだかつてありませんでした。」

「油まみれ……?」


「魔物の調査と退治だけであれば、冒険者ギルドでも構わないのですが、私は林業のほうを今すぐにでもどうにかしたいのです。

 魔物が原因だったとして、魔物がいなくなっても、油まみれになった土を、誰かが片付けてくれるわけじゃない。

 魔物が原因であった場合、今土をどうにかしたところで、再び同じ被害が発生しないと言い切れません。

 このままでは土が死んでしまう。

 ですが、もしあなたの知識で、油を出す魔物を活かしつつ、林業と共存出来る可能性があるのであれば、私はそれにかけてみたいと思ったのです。」


「なるほど、そういうことであればお引き受けしましょう。

 ちょっと大きい仕事になりそうなので、冒険者ギルドを通じて、正式に依頼をいただけますでしょうか?」

「ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」

 フォトンベルト公爵は、ほっとしたように笑顔を見せた。

 俺はフォトンベルト公爵と、訪問日時について約束をし、夕方には冒険者ギルドで依頼を受けることにした。

「公爵家からの依頼か……。

 まもののおいしゃさん、これで本格的に浸透させられるといいな。」

 俺はぐっとこぶしを握りしめたのだった。

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