第12話

 最近ムツは外に出て作業をするようになった。たまにラインで連絡が入っていたり、外出中という置手紙が残っていたりする。家を一歩も出ないで不健康な生活を送るよりは、よほど健康的でいい。私はそういう時、じゃれついてくる猫のごとく家事の妨害をしてくるムツの邪魔を受けず、のんびりと専念できる。

 そうして夜遅くになって帰ってくるムツに、飛び切りの料理をふるまうのだった。幸せそうに夕飯をほおばるムツを見て、ふつふつと幸せな気持ちがわいてくる。日常感が好きなのだと思う。この人が多いだけで孤独な街で、二人で送る日常――

 期日にゆとりがあるからか、ムツは意気揚々とビールをあおっている。

「明日も朝から予定があるんでしょ、深酒はやめときなよ」

 まもなく十一時を差そうというかけ時計を眺めて、渋い顔をするムツ。

「そうだった、ひと缶だけにしておこう」

 彼女らしくなく、素直だった。しかし私はその言葉をいぶかしむではなく、むしろ胸に温かいものが満ちていくのを感じていた。仮に自分の子供がいたとして、なにか新しいことをできるようになったような気持ち、と例えられるだろうか。まあムツは大の大人だけれど。

「最近、規則正しい生活をできるようになって、私は嬉しいよ」

「そうでもないとねー……さすがにやってけないなと。健康第一よ、肌つやもいい感じだしね」

 そうして、ムツはスマートフォンを取り出して、部屋の写真を撮っている。最近買った猫柄のランチョンマット。彼女はそれを、ちょっとしたメッセージとともにLINEで父親に送信している。

 近頃は父親を安心させようと、ちょっとしたやり取りをしているようだ。

仲直りができることをもちろん願っている。彼女の家族との関係もよくなるなら、なおよいな、と考えながら、寝ようと思って自分のベッドに

「ね、相談なんだけど」

「なあに」

「あなたのこと、恋人って紹介してもいいかな」

「カミングアウトするってこと?」

 私はやっと、ムツをしっかりと見つめた。お酒に目がすわっておらず、むしろ真剣なまなざしだ。彼女は酔っていない。酒に飲まれていない。強い意志を持ったまなざしを向けたまま、ムツは一つうなずいた。

「勇気を出す。私、エリと付き合ってるんだよ。恋人になってそれはどうやったって事実だよ。親しい人には打ち明けないといけないと思う」

「それが難しくて」

 本当は、角が立つ言い方をしたくはない。けれど私の口から出るのは、鋭い言葉だった。

「私は苦しんでるの、私だって言いたいのに言えないの、それなのにムツは簡単にそう言えるんだね。第一、ムツのお父さんはまだお母さんを亡くしてショックを受けてる。そこに追い打ちをかけるようにカミングアウトしたら、どうなると思う?」

「なんでそれを打ち明けることが、ショックなことだと思うの?」

 即座に、いたって明朗とした口調でムツが言ったので、たじろいでしまう。

「だって、それは、普通じゃないから」

「私たちにとっては普通だよ、それがなんで普通じゃないの?」

 その言葉で受けたショックを、表情に出さずにいられているだろうか。

「ちょっと意地悪な言い方をしてしまったかな。世間でいう普通とは、確かに違うのかもしれない。それで苦しんでいることも、知ってる」

 ムツは仕事をしているときのように凛々しい口調だった。

「私はできるだけ、事実を描かないことにしているの。いつも、ファンタジーなイラストばかり請けて描いているのは、事実には事実の大切さがあると思ってる。私たちがここで住んでいる事実を、親しい人間だけの間のものにしていたいんだ。だからお父さんに、二人の関係を、しっかり伝えたい。その上で、難しいとは思うけれど、二人で田舎に帰りたい」

 先ほどから、澄んだ瞳で言い続けているムツ。私は黙っていた。この話を続けたくはない。嫌な予感に胸がずきずきと痛んで仕方がない。

「まさか、私には仕事があるの。知り合いもたくさんいる。しっかり仕事をしたいと思っているんだよ」

 ムツとは一緒にいたい。が、あの狭苦しい田舎には、帰りたくはなかった。けれどムツを追いかけて、帰りたいとまで一瞬考えた自分は、相当彼女に熱を上げているのだ。

 二人での、ここでの生活。それが崩れてしまうのは、絶対に嫌だ。

「じゃあ、しばらく遠距離恋愛でもいいかな?」

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