第29話「決意」
朝、目が覚めると時刻は午前10時を過ぎていた。いつもなら完全に遅刻している時間だろう。
しかし、僕は今日から二週間、謹慎処分として学校へはいかなくなる。その分、反省文やその間の課題などを渡されたが、そんなものは形だけなので適当にやって提出しておけばいい。
昨日、福原が僕の母親にも連絡を入れて事情を話したらしく、家から帰ってきたときは母親がに心配された。しかし、両親は僕が謹慎になったとこに対して多くは質問してこなかった。うちの教育方針なのか知らないけど、両親は子供の事情に対してあまり深くは突っ込んでこない。
謹慎処分になったからといっていつもと違う何か特別な感情を抱くわけでもない。
高校は親との約束で卒業できれば良いから退学にならなければそれで十分だし、大学に行くのかもわからないけど別に良い大学に行きたいとも思わないから出席日数が減ってもどうでもいい。
家にいる間は別にやりたいこともなく毎日10時くらいに起きては課題をやったり、有り余った時間を消費するためにゲームをして、深夜の2時位に就寝する。
この生活を毎日毎日繰り返していた。なんだか中学三年生のあの頃に戻ったような気分だった。でも、あの頃に比べたら毎日学校に行っていた分、少しはマシになったかもしれない。でも、今は謹慎になってしまったわけだけど。
ふとそんなことを考えていたが、部屋の隅に放り投げられているスマホが目に入り、電源を入れた。福原から電話がかかってきた日から4日間ほどスマホの電源を切って放置したままだったことを思い出したからだ。
電源を起動してなんとなく目についたアプリであるLINEを起動した。この前のような見たくもないメッセージが来る可能性があるかもしれないのにアプリを起動してしまうのがSNSの恐ろしいところだと思いながら、恐る恐るメッセージ画面を見てみると通知が一つのチャットで35件も着ていた。
通知は全て以前に宮橋に強制的に入れられた5人のグループからの通知だった。
メッセージ内容を確認してみると僕が急に謹慎になったことに驚いたといった内容だったり心配してくれている内容が主だった。
急に僕一人がクラスから居なくなったことは誰も気にしないと思っていた。
僕のような存在がいきなり学校を休んでも誰も気にかけず当たり前のように同じ日常が繰り返され、居ても居なくても変わらないような存在だと思っていただけにメッセージが来ていた事自体、正直驚いた。
画面をスクロールし、返信したほうが良さそうなメッセージ内容を探していると宮橋から着たメッセージで「気づいたら連絡をくれ」と着ていたので既読がついた手前無視することはできないと思い、まずは全員に心配をかけたことに対する謝罪文を送った。
するとすぐに既読が付き宮橋からメッセージが返ってきた。今は時間的にも昼休みだから通知にすぐ気がついたのだろう。
ただ、宮橋から送られたメッセージを確認したとき困惑した。
その内容は彼らが明日うちに来たいと言っているからだ。
学校から家も近いため断っても彼らなら来そうな気がしたし、僕が謹慎になった原因でもあるあの件について宮橋と大場が関わっていたことから、いずれ説明を求められるだろうと思ったので渋々承諾した。
それに明日は母親も仕事で夜まで返ってこないからどうせうちに呼ぶならタイミング的にもちょうどいいだろう。
毎日同じことを繰り返していると1日はあっという間に過ぎていって早くも宮橋たちと約束した時間になり、しばらくすると玄関から声が聞こえてやがてインターホンの音が鳴り響いた。
「やあ、みんな」
笑顔を作って対応する。謹慎になっていることで落ち込んでいると勘違いされると困るので相手が誤解しないように表情を作る。
「よお、樹」
「おじゃまします」
「おじゃまします」
「うわあ樹んちなんか広っ」
良識のある大場と明島以外は入室時の挨拶はなしで入ってきてが、そのまま僕の部屋へ案内した。
4人は座り僕の部屋を見回してから宮橋が視線を僕の方へと移した。
「部屋だいぶスッキリしてるんだな」
要するに何も無いということだろう。僕の部屋は自分の身長くらいの本棚が一つにゲームソフトを置いている背の低い棚が一つ、後はテーブルとベットとテレビだけだ。時間をつぶすための必要最低限の娯楽と生活に必要な家具家電が揃っていれば生きていく上で十分だと思っているからだ。
「あまり物を買わないからね」
わざわざそんな理由を説明する必要もないと思ったので違和感なく矛盾の生じないような回答を選んだ。
言葉にすれば相手は信じてくれる。言葉の奥を読まれないために表情や抑揚がある。今までそうやってコミュニケーションを取っていたからこれもいつも通りの会話にすぎない。
宮橋は納得したように頷いてから恐らく彼らが知りたいであろう事から徐々に近づいていくような会話の始まりだった。
「なんか元気そうで良かったわ」
「ほんとほんと、急に居なくなるから死んでたらどうしようかと思った」
「いや、流石に死にはしないけど…」
「なんか樹って思いつめて自殺しちゃいそうじゃん」
成川は相変わらず言葉を選ばずに思いついたことを何でも発言する。その大っぴらな性格が羨ましくもあるけど。
大場が僕の部屋を見渡して近くにあった僕のゲームを置いている棚を物色している。別に見られても困るものはなにもないから特に注意することなくそのままにした。
「家にいる間は何してたの?ゲーム?」
「そうだね。ゲームとか課題でてるからそれやってるかな」
「課題って何が出てるの?」
「問題集の指定されたページやってくる感じだよ」
同じ空間にいて隠し通せるはずはないとわかっていたけどやはり徐々に話は近づいていく。
「反省文とか書いてんの?」
「まあそうだね」
「樹が反省文なんて書く必要ないだろ」
「でも、僕、今謹慎中だし…」
「そもそも、なんで樹が謹慎なんだよ?怪我させたのは俺だろ?」
遠回りして近づいてくるかと予測していたけどやはり宮橋はそういうタイプではなかったことを思い出した。
当然と言えば当然だが成川と明島もこの前あった出来事を知ってる様子だった。でなければここには来ないだろう。
そして、宮橋がそう疑問に感じるのも無理はないと思った。だから、僕は用意していた回答をそのまま頭から取り出して言葉にした。
「でも、喧嘩に巻き込んだのは僕だから宮橋君は何も悪くないよ。悪いのは僕だから」
喧嘩という言葉を選んだ。
この前と同様に喧嘩にすれば解決策が明確な事象として捉えてもらえるからだ。いじめと喧嘩だったら喧嘩の方が普通の世界に生きる彼らには馴染みのある言葉だろう。
「喧嘩って…。あれは喧嘩してるようには見えなかったけど、三対一なんてやりすぎだよ」
大場は何か考え込むようにして棚に視線を落とした。
ただ、一度、目の前で目撃した人間にはこの嘘は無理があったのかもしれないと彼らの反応を見て後悔した。
ゲームの棚に視線を落としていた大場が振り返り、僕の方に視線を向ける。
「あの日の1週間前にも樹は怪我してたけどそれはあの3人と関係あるの?」
関係がないと言ったら明らかな嘘になる。この話の着地点を考えていたがここは余計な寄り道をしないように真実を伝えるべきだと思った。
「あの怪我は3人と喧嘩したときに負ったものだよ」
大場も予想していた答えだったようで僕の発言を聞いてから間を開けずに続けた。
「なんで樹が一方的に暴力を振るわれてるの?3人と樹の間で何があったの?」
訊かれることはわかっていた。ただ、真実を答えるつもりはなかった。この問に素直に答えたら今までの自分を全て話さなくてはいけないからだ。
その行為は彼らを受け入れることになり自分という人間をさらけ出すことになる。今まで自分を彼らに知らせる必要はないと思い僕は何も答えなかった。
沈黙の間、彼らが納得して帰ってくれるような回答を探していた。
その沈黙が数秒ほど続いた後、ずっと黙っていた明島がその沈黙を破った。
「樹、文化祭のとき言ってくれたよね頼っていいんだよって。私、樹がそう言ってくれたときすごく嬉しかったの。自分一人で戦ってるんじゃないんだって思えた。周りが支えてくれる温かさを感じたの。だから…」
一度言いかけた言葉を飲み込んでから言葉に勢いを付け加えるように明島はもう一度言い直した。
「だから、樹も私達を頼って。もう、自分一人で抱え込まないでよ」
明島の一言からは怒りや悲しみといった感情を感じた。明島に文化祭の時にそんなことを言っておきながら自分は何も変わっていない最低な人間に向けて言っているんだから当然だろう。
「…ねぇ樹。私達じゃ頼りないかな?」
彼女の声は今にも崩れ落ちそうなくらい震えた声だった。
「いや、そんなこと…」
そんなこと…ない。
僕の目を見つめる彼女の大きな瞳からは一粒の雫が頬を伝っていた。
僕は一人の女性を目の前で泣かせた。
最低な人間だ。
僕が高校生活を送る理由は親との約束だから卒業という結果さえ得られればそれで良かった。だから、高校生活は波風立てず誰とも関わらず3年間という時間を消費するつもりでいた。
しかし、彼らはこんな僕にも関わりを持とうとしてきた、そして僕はもう傷つきたくない、人と関わりを持つことへの恐怖で頑なに彼らを拒絶し続けてきた。
こんな僕でも人と関わりを持つのも良いかもしれないと思ったことだってあった、しかし、忘れた頃に思い出させるかのようにどん底に突き落とされ、抗うことのできない現実に直面して人に対する恐怖が僕の中でまた増幅していった。
だから、心のどこかで芽生える感情に蓋をしてその存在に気づかないふりをしてきた。
でも、もう気づかないふりをし続けることに疲れてしまったのかもしれない。自分一人で抱え込んで消化し続けることに限界を感じてしまったのかもしれない。いつかこの苦しみから開放されたいと心のどこかで望んでしまったのかもしれない。
もう一度、心を開きたいと思ってしまったのかもしれない。
殴り合ってまで僕を変えようとしてきたり、影で支えてくれたり、涙を流したり、明るさに笑顔になったり、彼らはこんなどうしようもない人間を受け入れてくれた。
目の前にいる4人を信頼していいのかもしれない。
・・・・・・・・・
外側から施錠された鍵が外れる音が聞こえて扉がゆっくりと開き軋む音が聞こえる。
次第に暗闇に包まれた内側にはまばゆい光が内側全体を包み込む。
外側から入り込む温かい光を全身に感じる。
内側で俯いて座り込んでいた小学生の僕は顔を上げ、眩しい光を腕で遮りつつ直視できるだけの光量に調節して前を見ると、扉の外の光の壁から誰かが手を差し伸べている。恐る恐るその腕を掴むと光の壁から4人が僕の内側に入ってきて僕の小さな体を包み込むように抱きしめた。
なんて、温かいんだろう。
彼らから伝わる優しい熱は暗闇で冷え切った僕の体の心まで熱が浸透してゆく。
4人の光に包まれた僕はまるで顔から溶けるように涙をこぼしていた。
・・・・・・・・・
気がつくと視界がぼやけていた。まばたきをすると目から何かがこぼれ落ちて「ぼたっ」とカーペットに落ちる音が聞こえる。僕は彼らの目の前で泣いていた。大粒の涙をこぼしていた。
もういいか。無理しなくても。
「わかった。話すよ。全部‥全部話す」
「でも、長くなるけどいいかな?」
そう言うと4人はゆっくりと頷いた。
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