第28話「裏と表」


「何があったんだよ。説明してくれないか、樹」

 宮橋にそう問いかけられたが僕は沈黙を貫いていた。


 宮橋たちと関わって様々な経験をしてきた。彼らと関わらなければ絶対に経験しないであろう出来事はたくさんあって、今まで人を拒絶してきたけど徐々に受け入れていたつもりだったが。


 しかし、それは表面上であって、僕は彼らを内側に入れることができない。あの三人の存在と僕との関係を話せば今までの自分ひいては、見せてはいけない自分がが知られてしまうような気がして怖かった。だから、宮橋の要求には答えられない。


「なあ、樹。教えてくれよ」

「もういいだろ良太。樹だって話したくないことがあるんだよ」

「でも‥」


 宮橋はそう言いかけたが声を引っ込めた。これ以上は追求しても無駄だと思ってくれたのだろう。


 正直、助けに来たことのありがたいと思った。それと同時に余計なことをされたとも思った。今のこの問題を自分の中に閉じ込めておいて誰にも知らせることなく、自分の中に閉じ込めておきたかったから他人に知られたくないという思いの方が強かったからだ。


「今日はもう帰ろう。長居したらまた追ってくるかもしれないよ」

 僕はこのままだまり続けるか話したとしてもごまかすつもりでいたから大場がそう言ってくれたのはありがたかった。

 宮橋も同意しているようでどうやら今日はこれで終わりそうだと僕は安堵していた。


「わかった。今日はもう帰るか。じゃあな」

「じゃあね」

 宮橋と大場は踵を返し駅の方へと歩いていった。

 宮橋はなにか不服といった表情で帰っていたっが、僕も帰る彼らの背中を見送り、形だけでもと手を振った。 


 それから彼らとの距離感は文化祭後とは変わらず一定の距離感を保っていた。彼らもあのときのことは話題に出さずいつも通り楽しそうに学校生活を送っている。


 こうして見ていると人間は演技し続ける生き物だと感じる。自分の心の中で本当は知りたいことや感情がうごめいているけど他人にさとられまいといつも通りの表情を浮かべ、いつも通りの日常に溶け込む。


 ただそんな日常が続いたのはほんの数日だけだった。

 『2年5組の天野樹君、至急職員室まで来なさい。繰り返します。天野樹君、至急職員室まで来なさい』

 放課後になり校内放送で僕の名前が呼ばれた。もちろん僕がなにか問題を起こした記憶はなく呼ばれる理由は全くわからなかった。心当たりがあるとすればあの日のことだけど僕が過失した記憶はない。だとしても、なにか話があるとすれば思い当たるフシはあのときのことだけだ。


 放送がかかると柿原が僕の方へやってきた。

「また呼ばれてんのか。天野っちも意外と問題児なんだな」

 柿原はケタケタと笑いながら冗談のように言っていたが、実際はその通りだと思っている。

 このクラスで一番の問題児は僕だ。にもかかわらず普通のフリをして普通の仮面をかぶり普通の世界に溶け込もうとしているような怪物だ。そのことは自分でもわかっている。僕の頭ではそうやって社会に溶け込んでいくしか思いつかなんだからしょうがないんだ。


 職員室に入ると福原が僕のことを見つけて職員室の一角にある応接室に案内された。

 入るとソファが2つありその真ん中にガラスのテーブルが置いてあり、向こう側のソファに初めてみる人物が座っていた。

 ソファに座る人物に視線を移すと僕の考えていることを察した福原がソファに座っている人物を紹介した。


「こちら開英高校の田原先生だ」

「天野君はじめまして。開英高校生徒指導担当の田原です」

 見た目は30歳くらいだろうか。色黒で肌艶が良く、眼光鋭い。僕の学校生活ではあまり関わりたくないタイプの教師だ。

 彼はソファの背もたれにはかけず、背筋をピンと伸ばして座っている。僕の隣に立っている教師と比較してしまうせいか、同じ教師でもここまで違いがあるのかと驚かされる。

「田原先生、終わったらまた呼んでください」

 そういって福原は席を外した。


 目の前に座る田原は僕がソファに座る様子を上から見下ろすように見ていた。

 

 開英高校と聞いて今まで僕が関わってきた出来事でその中で誰が関わったことなのか概ね予想がついた。だから、次の田原の発言も予想通りだった。

「うちの学校の井上大成君お友達だよね?」

 強面な見た目とは裏腹に物腰の柔らかい言い方だった。今までに何人もの生徒とこうやって面と向かって接してきた経験値を感じる。


 といっても、僕が開英と問題を起こした前提で彼は来ているため僕のことを他校の問題児として慎重に接しているのだろう。

 でも、慎重になるのは当然か。

 見た目と中身が全く正反対の人間だっている。普段おとなしい生徒でもそれは取り繕った表面だけで、実は気性が荒い人だっているだろう。初対面だということもあるけど、きっと、彼は僕のことをそういう人間だと思っていても何らおかしくない。


 彼の発言に対して、僕と井上を友達という関係性に帰着させていたことが鼻につく表現だったが、わざわざ話の腰を折ってややこしくするのも面倒なので僕は頷いた。


「そっかそっか。井上も小学校と中学校が一緒で天野君とは仲がいいと言っていたよ」


 仲が良い?一体この教師は何を言ってるんだ?

 田原の一度お互いの緊張を解きほぐすための愛想笑いが静かに消えていき、本題に入るようで表情は元の真剣な顔つきになった。


「実は今日、倉西高校にお邪魔した理由はね、井上が腕を骨折したことなんだ。井上は倉西高校の天野君に暴行を加えられた際に負ったものだと言ってるんだよ」

 田原は肩を落とすようにため息をついて右腕を抑えた。

「井上も利き手を怪我してね、勉強に支障が出てしまってるんだ」

 しかし、僕は彼の言っている意味がわからず言葉を失った。

 僕が暴行を加えた?僕は今まで彼らに散々暴力を振るわれてきて一度たりとも暴力で返したことはない。

 全く的はずれな事を抜かす目の前の教師に腸が煮えくり返る思いだった。

 きっと、井上が嘘の証言をしたに決まってる。

 どこまでもどこまでも逃げられない井上の手のひらで転がされているような気がした。


 ただ僕はやっていないし、ここで否定して今後に影響は出ないだろうと思った。

「いえ、やってません」

 すると田原が即座に返答した。

「でも、なんで井上から天野君の名前が出てきたのかな?井上が自分で骨折したわけじゃないし、二人の間で何かあったんじゃないの?」

 田原はその強い眼力で圧倒するように俯いて聞いている僕の顔を覗き込んだ。

「天野君、大丈夫だよ、怒ったりしないから。正直に話そうか」

 どうしても僕がやったと言ってほしいようにしか聞こえなかった。

 そもそも、田原に会ったときから僕に対して懐疑的なのは感じていたから端から僕の意見なんて訊くつもりように思えた。

 僕の意見を訊くどころか僕に「やった」と言わせて責任を全てなすりつけようとしているに違いない。

 開英高校は県内でも有数の進学校であり、最も人気の高校でそのイメージを保つために暴力沙汰なんかで学校の評判を落とすわけにはいかないのだろう。だから、被害を受けた側になれば学校としての面目が保たれ、事態は複雑にならず僕が一言謝れば今この場で解決することだって可能なのだ。

 

 彼にとって生徒同士で行われる問題なんてどうでも良くて学校の面目が保てるか保てないか、面倒なことになるのかならないのか。彼が気にしてるのはそこだけなのだろう。


 僕が黙っていると田原は僕に追い打ちをかけるように井上について話し始めた。


「男同士だからね。手を出してしまうような喧嘩に発展することもあると思うんだ」

 田原はテーブルに置かれているカップに注がれている緑茶に手を着けて喉を潤してから続けた。

「天野君は井上と小中一緒だったから知ってると思うけど、あいつはちょっといい加減なところもたまにあるんだよ。学校にスマホ持ってきたりしてね。あ、うちの高校ではスマホの持ち込みは禁止されてるんだ。でも、しっかり者でクラスをまとめてくれるようなやつで学級委員だってやってるんだよ」

 そんな井上が問題を起こすわけ無いだろとでも言いたげな様子で、まるで我が息子を自慢するかのようにニセの井上の姿について語られた。


 これが井上が今まで表面で取り繕ってきた姿なんだ。だからといって、田原が今まで積み重ねてきた井上の印象をたった今この時間で崩すことはできないし、その証拠もない。

 要するに今ならまだ許すから素直に「はい」と一言言えと命令されているようなものだった。


「本当にやってないんだね?」


 やっていないと言った場合、彼は素直に引き下がってくれるのだろうか。いや、このまま話がこじれるのは明らかだ。実際に井上に怪我をさせたのは宮橋だけどあれは怪我をさせたくてやったわけではない。あれは正当防衛だ。

 しかし、ここで僕がやっていないと証言したらいずれ宮橋たちの名前を出さざるを得なくなり、また迷惑をかけてしまうかもしれない。僕がやったと言うまで目の前の教師は引き下がらないだろう。それに、彼らを余計なことに巻き込みたくない。それだけは避けたかった。

 だから、僕が取れる行動は一つしか思いつかなかった。



「福原先生終わりました」

「どうでした?」

「本人も反省しているようですし井上の方にも私から伝えておきます」

「ええ、ではよろしくおねがいします」

 田原は脱力した僕の肩に手を置いて軽く握るように力を入れた。

「天野君、学校側から今後改めて処分が下ると思うけどしっかり反省して今後こういうことがないように十分注意するように。いいね?」

 僕は無言でうなずきその様子を見た田原は満足したように職員室を出ていった。

 田原が職員室を出ていったことを確認した福原が僕に視線を移した。

「天野ちょっと部屋入れや」

 福原に背中を押されてまた応接室に入り、ソファにどっかりと座った福原は内ポケットからタバコを取り出し火をつけると天井めがけて煙を吐いた。

「応接室なら喫煙して良いことになってるんだ。外に出るのが億劫だからいつもここで吸ってる」

「そうですか」

「お前とこうやって話すのは初めてだな」

「そうですね」

 特に話すことはないが、福原が聞いてきたことは適当に反応しておけばいいだろうと思っていた。

「改めて聞くが本当にやったのか?」

「はい」

「お前がそういうやつには見えないんだけどな」

 福原はまた天井に向かって吐いた自分の煙を見つめて消えたのを確認した後、福原は僕に視線を戻した。

「今ならまだ間に合うんだぞ?」

「いえ、大丈夫です」

  結論を変えるつもりはない。自分の選択が正しかったと思っている。これは僕だけの問題だし、誰も巻き込まずに解決するにはそうするしかなかった。

 しばらくの沈黙が続き福原が逡巡を終え、口を開いた。

「これからお前の処分は恐らく一週間か二週間くらいの謹慎になる。恐らくというか暴力行為だから確実だな。だから、家にこもって頭冷やせよ。もしやったんだったらな。いや‥」

 福原は途中まで言うとなにか少し考えてからまた言い直した。

「いや、やってなくても頭冷やせよ」

 なにか見透かされているような不信感を感じた。福原はそんなに鋭い洞察力の持ち主ではないと思っていたけど、高校生が付く嘘は大人には簡単に見破られてしまうものなのかもしれない。


 すると福原が何か思い出したようにタバコの火を灰皿にすりつぶすようにして消し、ソファから腰を浮かせた。

「これから書類を諸々書いてもらうんだがその書類が生徒会室にあってな、これから取り行くか」

 一緒に来いということか。謹慎になった人間に対して書類を取ってきてくれるわけないと甘えたことを考えていた。そう思うのは、生徒会室にはあまり足を踏み入れたくないからかもしれない。

  

「失礼するぞー」

 生徒会室のドアをノックすることなく開け中に入った福原に続き僕も福原が歩いた跡をたどるように生徒会室に入り込んだ。

 生徒会室内を一度見渡すと生徒会メンバーの大森、長内、霧島が何やら作業中で僕らが入ってきたことに気がついた大森が福原を出迎えた。

「福原先生どうされたんですか?」

「いやあ、うちの生徒がやらかしてよ謹慎になるから書類を書きに来たんだよ」

 それを聞いた大森は僕の方を見てから何度か小さくうなずいた。概ね大森は予想通りといった表情だろうか。文化祭前から僕は生徒会長からどうも嫌われているような気がする。


「じゃあこれから俺は職員会議あるから書き終わったらまた職員室に来てくれ。会議が終わったら結果をお前の携帯に電話するから」


 そう言い残して福原は生徒会室を後にした。

 どうせ謹慎になることは変わらないんだっから書類なんてどうでもいいと思いながら書けるところを埋めていると後ろから肩を叩かれ、振り返るとその相手は大森だった。

「やっぱりあのときに君のことをもっと知っておくべきだったな。いずれこうなるような気はしていたよ」

 相変わらず彼は僕がなにかしでかすのではないかと思っているらしい。実際当たっていたわけだけど‥。だから、生徒会室にはあまり行きたくなかった。


 あまり長居はしたくなかったのでさっさと書類を書き終えて生徒会室を出て、職員室に向かって廊下を歩いているとき、バタバタと音がして振り返ると長内が追いかけてきていた。

「本当に天野がやったのか?」

「そうだよ」

 これ以上に答える必要はないと思い、言葉を選んだ。

「そうか。天野は真面目なやつだからそういう事するようなやつには思えなかったから本当かどうか本人から確かめたかったんだ。会長の前だと言いづらいと思ったし‥」

 長内は優しいやつだ。僕と違って表を取り繕っていることがなさそうで正義感も強い。

 そんな彼も僕が表面上ではおとなしくしているが、実は暴力を振るうような裏表のあるやつなんだと思うのだろうか。そして、僕がそんなやつだと知ったら僕のことを嫌うのだろうか。今まで表だけ見せていた人間が裏の部分を見せたら裏切られたような気分になるのだろうか。


 帰宅途中、福原から連絡があり僕は二週間の謹慎処分となった。

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