第二十話 学生パディの日常

 ──遺産研究会部室。

 昼食はここでとると予め決めていたので、アスラとセンジュは行き違いにならないように練習場に向かわず、まっすぐここに来ていた。

「学生時代の博士たちがどのような食事をなさるかわかりませんが、とりあえず、テーブルはきれいにしておきましょう」

 テキパキとセッティングするアスラ。

 その様子をセンジュは黙って見ながら、何気なく思い出す。

 アスラにはお母さんのような世話好きの一面があるのは、母ちゃんと呼んでは茶化したメンバーもいるぐらい、フォーチュンズの中ではかなり有名だ。

 アスラとしては、それなりに気遣いが出来るほうが、潜入では有効だし、喜んでいる人がいるはいいことだと、常々言っている。

 ──コンコン。

 ドアを軽く叩く音がする。

「遺産研究会のみなさ~ん」

 ノックの音と共に、部室にあらわれたのはヨーク学園の制服を着た学生。

 身だしなみを気づかうタイプではないのか、本人が気がついていないのか、髪にはツタの葉がつけている。

「ヨーク学園タイムズを届けにきたよぉ~」

 新聞部に所属しているだろう、新聞部特製腕章にヨーク学園タイムズと書かれた新聞を携えてやってきた。

 ノックしたのはいいが、許可なくズカズカと入ってくる。

 その横暴な態度が少し鼻につくが、親しい間柄ならではの強引さなのか。

 判断に困る。

「おや。パディのとこのメイドさんか?」

 学生はアスラとセンジュを、邪気がないものの好奇心旺盛なクリクリとした瞳で見つめてきた。

 学園内に自分の知らない人間がいることに対して、警戒していないようだ。

「ええ。そうですね……」

 ここで否定しなかったのは、いちいち波風を立てるようなことをしたくなかったからだ。

 それに、未来のパディに造られた復元人間であるアスラとセンジュは、実際メイドのような給仕もしたことがあるので、ウソではない。

「今回も派手にわけわからない衣装を着せているなぁ~。銀河のお国のところのアニメか漫画かゲームのキャラのコスなんだろうけどぉ~」

 学生はニカッと笑って、八重歯を見せる。

 無邪気で純粋なその笑顔には、小悪魔的愛らしさがあった。

「……」

 それゆえに、自分たちがコスプレイヤーと同一されるのは心外だった。

 たしかに、珍しい格好……ファナティックスーツを着たままであるが……。

 復元人間姉妹は複雑な思いをするしかなかった。

「あ、そうそう。借りていた漫画もついで置いていくよ。月刊遺産ヌーの方は延長で。では、おねぇさん方、あとはよろしくね~」

 学生は学園新聞と漫画本を部室備え付けの机の方に置いて、部室から出ていく。

 さっさと用事を切り上げるその行動は速い、速すぎる……。

「なんか……嵐のような少年でしたね……」

 しかも妙な既視感がある。

 アスラはパッと答えを出せなかったので、すわりが悪くなる。

「パディの知り合いってこういうタイプが多いよね……」

 パディの許可なく、用件だけをサクッと終わらせるタイプってことか。

 センジュはパディの護衛を務めることが多いから、交友関係もある程度把握している。だから、アスラの感じた妙な既視感の答えを即座に出せたようだ。

「確かに。でも、それは……博士は熱中すると周りが見えなくなりますからね……」

 無断決行は、相手方の問題だけではなく、パディ自身にも問題がある。

 お互い様なので、怒れないのである。

「まぁ、先ほどの新聞部の学生はどこぞの忍びと違い、ノックはしましたし……要件を紙媒体にしているところは好感が持てますね」

 パディが返事をしないのに慣れているのか、新聞の上には『これが今週のヨーク学園新聞。感想は三日以内に。あと、銀河の漫画、続巻が出たらヨロシク!』と書かれた付箋が張られている。

「えっと……なになに、特集はヨーク学園の四つの偶像と魔法陣……」

 記事の内容は、ヨーク学園全体を守護する究極魔法結界についての考察のようだ。

「それに、漫画本は『妖術異伝・炎(ほむら)参る』……後にアニメ化する作品ですね。どこぞのシノビが好んで読んでいました」

 当時のジパニンの人気漫画で、主人公とその相棒役の狐妖怪が融合合体して、悪の軍団と戦う伝奇バトルものである。

 パラパラとめくって目を通しているのは、ブラッディハートの仕掛けた罠ではないと確認するため。

 遺産は見た目から恐ろしいものもあるが、様々な形態をとれるものもある。

 過去には宝石といった金銀財宝はもちろん、分厚い本、話題の劇場のポスター、果てはポケットティッシュにまで扮した遺産もあった。

 まさに油断大敵。

 新聞・漫画と言えども、本当に無害なのかちゃんとチェックしないと、安心できないのである。

「……どうやら、何の変哲もない紙媒体のようですね」

 よかったよかったとアスラはホッとする。

 緊張状態が続いているからか、何もなかったこの状況に思わず安堵のため息をついてしまう。

「そうだね、アスラ姉……」

 新聞と漫画を机の上に戻す際、センジュの蒼い目に立てかけてある写真付きのボードが映る。

 遺産研究会のメンバーが写っている。

 集合写真そのものもあるが、一緒に出歩いた記念に撮ったものや、罰ゲームなどでふざけ合ったものなど、いかにも仲がよさそうな光景が収められていた。

「ハハハ。こういうのがパディの日常だったんだね……」

 パディはここに来て友(ジュリー)を知り、遺産研究会でゆるく楽しく青春を謳歌していたのだ。

 どんな未来や死が待ち受けているのかも知らない、希望だけがあった学園生活。

 守りたかった日々がいっぱい詰まった箱庭。

 話には聞いていたが、実際見て、感じて……センジュはやっと、こんな何気ない日常を取り戻したくて必死に足掻いた老齢のパディの気持ちがわかってきた。

「パディは本当にいい顔で笑うんだ……」

 研究室に飾ってあった古ぼけた写真は、このボードの中の一枚だろうか。

 在りし日に見せていたであろう眩しい笑顔は、何もジュリーだけではなかった。

 パディもまた屈託のない笑顔で写っていたのだ。

「いい顔で笑って、動いて……死に際のあの笑顔より……ずっとあたたかいんだ……アスラ姉」

 震えるセンジュにアスラは何か声をかけようとしたが、かけられなかった。

 哀しみに満ちた妹の心を溶かすには、自分では役不足だというところも、もちろんある。

 寄り添うことさえも、おそらく困難だ。

 アスラとセンジュでは、パディに対しする想いが全く違うからだ。

 うすうす気がついてはいたが、ハッキリと言える。

 分かり合えないからこそ、気楽に接せられる。その代わり、深く踏め込めない。

 歯がゆいが、これは事実だ。

 アスラではセンジュを慰めきれない。

「……」

 アスラがこの場の空気に耐えきれず、眼を閉じたときだろうか。

 三人分の足音が廊下から聞こえてくる。

「アスラとセンジュ、いるかなぁ~」

「どうだろう。だけど、パディのためならってことでいるんじゃないかな」

「え、僕のため?」

「あ~、んだなぁ、パディの身の安全のためなら嫌でもいるだろうなぁ。いやはや、従順な超絶美人を作り出すなんて、えらくエロい博士になったものだなぁ……もしかして欲求不満?」

「しみじみとそんなこと言うな、銀河。事実だけど、事実だけど……エロだけが目的じゃないはずだ!」

「パディ……それだと、エロ、もちろん目的ですって言っているようなものだよ……」

「はわぁわわぁ!」

「ギャーハハハハ。体どころか思考も正直だなぁ、パディ! もう下手に隠そうとしねぇほうがいいだぁよ」

 そして、この雑談である。

 フォーチュンズの聴力が優れていることを知らないのか、当人たちにも聞かれていたと知ったら、気まずくなる会話が繰り出されている。

 アスラはダラダラと汗を流し出しながら、センジュを見る。

 センジュの方は俯いたままだ。どうやら、まだ心あらずのようで、能天気な学生たちの雑談は聞き取れていないらしい。

 ソレがいいことか悪いことなのか、わからない。

 だが、センジュの中のパディのイメージが崩れずに済んでいる点は、評価するべきところだろう。

「確かに……。パディ、変に気取らないほうがいいよ……昨夜のこともあるし……」

「性癖がバレ、貧血失神したことかぁ。いやぁ、嫌な事件だっただぁよ」

「何を他人事のように言っているんだ、銀河。お前のせいだろぉぉおおがぁああああ!」

 パディが声を荒げる。

 博士時代には聞いたことのないぐらいの怒声だった。

「朝までぐっすりなんて、健康的でねぇか」

「健康上の問題じゃないよ。交流的な問題だよ! あれからアスラはよそよそしいし、センジュに至っては目をそらしてくるし!」

「ええと、それはその……パディ……ドンマイとしか言えない小生を許してくれ……」

「そりゃ、いくら尊敬する博士になる男だろうと、今はただのエロ学生。警戒するだろうよぉ、性的な意味で。少しは常識的に考えろぉ」

「やっぱり、ソレか、チクショー!」

 ……正確には違うのだが。

 変な方向に勘違いされている。

(センジュが博士から目をそらしているのは、笑顔が眩しすぎるだけですのに……)

 そして、アスラはそんな妹を見るのがつらくて、結果的によそよそしくなってしまった……わけだ。

 思春期少年の思考回路を完全に読み間違えた。

 こいつら、物事を全方面エロ関連でしか考えてねぇ。

 アスラはあきれればいいのか、ほほえましく苦笑いしたほうがいいのか、悩んだ。

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