第十九話 ファナティックスーツ
「センジュ、博士のために涙を流すのはまだ早いですが、誇りなさい。昨日、貴女はそれほどの大きな運命を変えたのです」
アスラは確実に流れが変わったのだと断言する。
「それじゃ、もしかして……」
「これからが大変ですよ、センジュ。歴史の修正力を侮ってはいけませんからね」
きりっとアスラのピンク色の唇が引き締める。
「……因果律の破れ、か……」
長い睫を伏せがちにした、どことなく哀しい顔でセンジュが呟く。
そうだ、まだ終わっていない。
そして、因果律の破れについて説明しよう!
因果律の破れ、とは……歴史が変わるとき、時空に大きな歪みが引き起こされる。その歪みの影響を受け、遺産が暴走する現象をさしている。
まさに、別の災厄を引き起こすのである。
それを解消するには、歴史を本来の筋へと戻すか、殺された未来の代行として暴走している遺産に打ち勝つか、二つに一つ。
もともと暴走しているブラッディハートだが、この力が加わって、さらに凶悪なドリュアスに進化したのは確定している。確定してしまったのだ。
本番は、これからなのだ!
「ええ、知っての通り本来起きるはずだった歴史を変えてしまうと、殺された未来が復讐にきます」
「わかっている、アスラ姉。殺された未来にも引導を渡してみせる!」
歴戦の戦乙女の忠告にセンジュは頷く。
ジュリーが生体ユニットになったら最後。
悲劇的な未来を差し止めるには、侵略兵器ブラッディハートの消滅以外ありえない。
未来を変えたい自分たちの手で、止めを刺すまで、気を抜いてはいけないのだ。
気合が入ったセンジュを見つつ、アスラは無機質な表情から、心から妹のことを心配する姉の顔へと変わる。
「……それとセンジュ、体に異常はありませんか」
「大丈夫。まだ崩壊する気配はない」
「くれぐれも無理はしないでくださいよ。それでなくとも、昨日よりあなたの体温が高くなっています」
「……」
「確かにファナティックスーツの力を使い続ければ、肉体が破壊されます。ですが、同時に再生、肉体の最適化もしています。体温上昇も体のつくりが変化している証拠であり、戦えば戦うほど強くなれる、人間凶器にも近づけるこの遺産ならではの仕組みです」
ファナティックスーツ装着者が、通常なら全身の骨が砕け、臓腑が破裂ほどの力……本来肉体では耐えきれないほど力を出せる秘密は、損傷しながら、損傷を上回る速さで再生させる、このスーツの特徴一つ、回復機能にある。
壊れた端から爆発的な回復力で補う。つまり破壊と再生のバランスを保っているため、損傷がないように見えているだけなのである。
「それでも、センジュ、あなたは明らかにオーバー……狂戦士モードを多用している者、特有の熱を感じます」
ファナティックスーツには装着者の肉体的負荷はもちろん損傷を度外視して、強大な力を引き出せる機能がある。
通称狂戦士モードといい、自慢の回復機能で補えないぐらいの力を、エネルギーを、引き出すことで、装着者の肉体と遺産操作能力を極限までに上昇させる。
その間の肉体への過剰の負荷は、発痛物質を制御することで誤魔化している。
狂戦士モードは持続時間が長ければ長いほど、肉体が破壊され続け、回復困難な傷が増えていく。
解除すると、今までせき止めていた体の感覚、痛みを感じる神経伝達物質が、放出。狂戦士モード中に酷使した体の情報が脳へと一気に流れるため、装着者は口で説明するのが難しいぐらいの苦痛を味わうことになる。下手をすれば、激痛に耐えきれず、ショック死するという事態に陥ってしまう。
そんな死を覚悟してこそ使える、狂戦士モード。諸刃の剣ゆえ、多用することは禁じられている。
「ついこの間も使用したばかりですから。叶うのならば、あなたには戦ってほしくないのですが……」
「心配してくれてありがとう、アスラ姉。でも……これはあたしの覚悟だ。ブラッディハートを停止させるその時まで、戦い続ける」
鍛え抜かれた鋼のような強靭な自信が見え隠れしている。
「そうですか」
だが、センジュがまとっている死の気配にアスラは怯えている。顔にこそ出してはいないが、内心は心配でしょうがない。
「それに、あたしはパディのためならこの命……」
「センジュ、この先を言ってはいけません。それでなくても境界のディーヴァは装着者の言霊に反応しやすいのですよ。縁起悪いことは述べてはいけません」
「アスラ姉……」
「それと、博士のためならば、どうなっても構わないなどと思わないでください。いくら私たち復元人間は装着者の記憶を継承できるとはいえ、生き返るわけではないのですよ」
ああ、そっくりだ。
復元人間アスラは、パディによって造られた人造人間の中で最古。そして、彼の意志をもっとも理解しているとされている。
だから、時折アスラは無意識にパディと同じことを言う。実働部隊らしく荒事に長けているが、根はやっぱりパディと同じ善人なのだと、見せつけるような言行録がスラスラと出てくる。
普段あらわさない分、より鮮明に聞こえる。
「センジュ、あなたを失うことで私たちが悲しむということを忘れずに!」
頂いたこの命をどうか軽々と投げ捨てないようにと、きつく諭すように願いをこめてアスラはセンジュに叱咤するのだから、余計パディの面影とダブってしまう。
「……」
センジュの蒼い目には、眩く見える。
羨ましく、苦い、その姿。直視できずに、目をそらす。
「センジュ?」
目をそらされるとは思っていなかったのだろう。アスラの戸惑うように名を呼んでくる。
(ああ、あたし、どうしちゃったんだろう……なんだろう、胸が、心臓が、苦しいよ……)
センジュとて、これ以上、あたしの心をかき乱さないでと言いたいところなのだが……これは上手い言い回しではない。
だって、パディと同じことをあっさり言えるアスラ姉が妬ましいほど羨ましいなんて、わけがわからないもの。
言われた相手(アスラ)も困惑するしかないだろうが、言った当人(センジュ)も精神に大ダメージを受けるしかない。
「アスラ姉……わかった」
心の変化に戸惑うセンジュは、とりあえずアスラの忠告を受け入れるような返事した。
……したものの、ソレをすべて聞き入れる気になれなかった。
(そう、犬死だけはしない)
ただ、つっぱしってこの命を無駄に散らすわけにはいかない。
(あたしは、パディを生かせる見通しが立たないうちに死ぬわけにはいかない……)
ドクンドクンと体内に鳴り響くのは、心臓の音。
センジュはうつむき、哀しげに微笑むその顔を、紺碧の羽衣の中へと隠した。
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