第49話 愛花と撫子

「終わった~~~!」

 私芥川愛花あくたがわいとはなは、シェアハウスの自室で土曜日の静かな昼下がりの静寂せいじゃくを壊す大きな声を上げた。

 だが、これは仕方がないことだと思う。

 なぜなら、長い間頭を悩ませていたものが、遂に私の手元を離れたから。

 そう。何か月もかかってしまった雑誌に載る読み切り漫画が遂に完成したのだ!

 いや~、長かった。こんなにかかるとは全く思わなかった。まぁ、半分くらい私が倒れたのが原因だけど……。

 反省点も多くあるが、ひとまずはこれでひと段落。次は、最近おろそかになっていた大学の勉強にいそしむとしよう。

 ……留年は笑えないからな。最悪の場合、親に「大学卒業まで漫画描くの禁止」とか言われるかもしれないし。

 新たな問題に直面していると、扉の向こうからガチャリと音が聞こえた。今は私以外は出かけているけど、誰が帰ってきたんだろう。

 自室の扉を開けて玄関を見ると、そこにいたのは、このシェアハウスのお酒好き残念美人である十六夜撫子いざよいなでこだった。

撫子なでこ、お帰りなさい」

「ただいま、愛花いとはなちゃん。はい、お土産みやげ

 いくつか荷物を持っていた撫子が、小さな紙袋を手渡してくる。紙袋は、近所の有名な洋菓子店のものだ。中身を見てみると、クッキーが入った小袋が入っていた。

「漫画描きながら食べるなら、片手で食べられる方がいいと思ったのよ。それでどう? もう終わりそうなんでしょ?」

「ふふん。それがね、撫子……」

 私は、胸をこれでもかと張って宣言する。

「遂に漫画が完成して、担当さんにもオッケーをもらったのよ!」

「おー、おめでとう、愛花ちゃん」

 撫子は、拍手でたたえてくれる。言葉だけでは分かりにくいが、拍手の速度がけっこう早いので、大分祝ってくれているようだ。少しの間響いた拍手の音が止むと、撫子がたずねてきた。

「それで、何月販売の雑誌に載るの? 買わせてもらうわ」

「えっと、再来月のやつね。わざわざ買わなくても見本くれるって担当さんが言ってたわよ?」

「せっかくですもの。自分のお金で買いたいじゃない」

 好きな物や大切な物には、お金に糸目は付けない。この辺りは、撫子らしい考えだ。

「さ、今すぐにお祝いね」

 すぐって、今は私と撫子以外家にいないのだが……。

 そんな私の考えなど気づいていないかのように撫子は、私の背中を押して、共用スペースにあるソファーへと移動する。

 有無を言わせず私をソファーに座らせると、素早い動きでソファーの前のテーブルにいろいろと食べ物やらを並べていく。そして、撫子が晩酌ばんしゃく用にストックしていたものであろうチューハイを手渡してきた。

「撫子、これって……」

「そう。昼飲みよ」

 昼飲み。お酒を昼から飲む。それは、贅沢ぜいたくな優越感とダメな大人感を与えてくれる行動。いいね、悪くない……!

 チューハイのふたを開けて、撫子の方を見る。撫子も準備万端のようだ。

「愛花ちゃん、お疲れ様でした」

「ありがとうございます」

 ぶつけ合った缶は、軽い音を鳴らした。

 ごくごくとチューハイを胃の中へ流し込む私と撫子。なんだか、サラリーマンが仕事終わりに飲みたくなる気持ちが、すごくよく分かった。

 テーブルに置いてあった食べ物、というかお酒のつまみも楽しむ。う~ん、幸せだ。これじゃあ、他のシェアハウスの住人が帰ってくる頃には、泥酔しているかもしれない。けど、他の住人が帰ってきたら、一緒に巻き込んでしまえばいいか。

「あ、そう言えば愛花ちゃん」

「んや~?」

 お酒を飲みながらだったので、変な返事になってしまったな。

 なんて、思っていると、

「私も内定もらって、就活終わったから」

「ぶっふぉお!」

 思いがけない重大発表に思わず噴き出してしまった!

「え、ちょ、いつの間に? どこになったの?」

「ちょうど昨日の話よ。小さいゲーム開発会社で働くことになったわ」

 小さくブイサインをする撫子は、可愛らしい。でも、それこそお祝いじゃないか……!

 でも、そっか……。

「撫子も夢を叶えたのね」

 私の言葉に、撫子は首を振った。

「まだまだこれからよ。私の夢は、ミリオンセラーのゲームを作ること。愛花ちゃんの夢は、漫画の連載作品を持つことでしょ? 私の就職も愛花ちゃんの読み切り掲載も通過点でしかないわ」

 そうだ。撫子の言うとおりだ。

 まだまだこれから。まだまだ夢は、遠いところにある。

 でも、確実に前には進んでいる。

 撫子は、来年の春にこのシェアハウス離れて、大きな夢の小さな一歩を踏み出す。

 私が、今日一歩進んだように。

「……お互いに離れても頑張りましょう。ね、撫子」

「そうね。いつか愛花ちゃんの漫画のゲームも作ってあげるわ」

 私たちは、笑いながら再び缶をぶつけ合う。

 その音は小さいけれど、心に大きく響いた。

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