第40話 バレンタイン

「おぶろっ」

「おうっち」

 2人とも何ともヘンテコリンな声を上げる。でも、そんなことよりおでこが痛い……。

 ええっと、何が起きたのだろう?

 私芥川愛花あくたがわいとはなは、シェアハウスの廊下で痛むおでこをさすりながら前を見る。

 そこには、頭を押える同じシェアハウスの住人である花咲幸音はなさきゆきねの姿があった。

 どうやら、私が共用スペースに入ろうとしたところ、出てようとした幸音ゆきねちゃんとぶつかったようだ。

「ごめんなさい、幸音ちゃん。怪我してない?」

「ん、大丈夫や。こっちこそすまんな、いーちゃん」

 それにしても、顔じゃなくてよかった。私の身長は170センチと女としては高い方だが、幸音ちゃんもそこそこに大きので、身長差は10センチもない。私が少しかがんでいたら顔に幸音ちゃんの頭が直撃だ。

 何気に一人を除いて身長が160センチを超えているのが、このシェアハウスの住人達である。

 とにもかくにも幸音ちゃんの無事も確認できた時だった。

 ピンポーンとインターホンが鳴る。

「あ、うちが出るで」

 そう言うと、幸音ちゃんはパタパタとインターホンへと向かって行く。

 訪問者は、誰だろう。宅配便か?

「あ、いーちゃん。宅配便や。受け取ってくれるか?」

 あれ、私何か頼んでたっけ? いや、実家からの荷物かもしれないな。 

 ぼんやり考えながら玄関を開けると、

「やっほー愛花いとはなちゃん」

「要らぬプチドッキリ!」

 目の前では、私の漫画の先生である宮沢梓みやざわあずさが可愛らしく首をかしげていた。


「で、どうしたんですか? 先生」

 余計ないたずらをした幸音ちゃんにコーヒーをれさせて、ソファで一段落したところで先生から用件を聞き出す。

「ん~大したことじゃないんだけどね。これを渡しに来たんだよ」

 そう言うと、先生は脇に置いていた紙袋を差し出してくる。

 受け取って中を確認すると、そこには色とりどりの小さな箱が入っていた。

 試しに一つ開けてみるとそこにはあったのは、

「……チョコレート?」

「うん。こないだバレンタインだったでしょ?」

 なるほど、私達にこれを渡しにわざわざ来てくれたのか……。

「おーええやん! こんだけあったらしばらくはお菓子に困らんな。でも、なんでこんな大量に?」

 紙袋をのぞき込んだ幸音ちゃんの言うとおり、紙袋にはチョコの箱がこれでもかと詰まっている。この量のチョコなんて相当お金がかかると思うのだが……。

「あー、これ買ったんじゃないの。もらったの」

 もらったって、ファンからかな? あ、いや違う。

「キャラクターてに、ですか。そう言えば、去年もありましたね……」

 すっかり忘れていたが、去年も先生のもとには大量のチョコが届いた。もちろん、あずさ先生本人に宛てたものもあったが、半分以上は先生の漫画のキャラクターに向けたものだった。そんなチョコが今年も大量に来たので、私達におすそ分けというわけか。流石、人気漫画だけはあるなぁ。

「嬉しいんだけど、流石に私やアシスタントさんだけじゃ限界があるからね。チョコ、好きだよね?」

「はい、ありがとうございます」

 見てみると、中には結構なお高いチョコも混ざっていた。ありがたくいただこう。

「そう言えば、思うんやけど……」

 早速チョコを食べている幸音ちゃんが口を開く。

「バレンタインで本命チョコを渡す人間ってまだおるんかな?」

 あーどうなんだろう? あんまり聞かないけど。

「漫画だとよくあるけどねー。今だと、友チョコのほうが主流かな?」

「ですね」

 私は、コーヒーを飲みながら相槌あいづちを打つ。

 そう言えば、高校時代も周りでは友チョコを送りあっていたっけか。あとは、嫌いな教師に嫌がらせチョコを渡していた奴も……。

「友チョコが主流と言っても、一定数あるんかな、本命チョコ」

「それこそ漫画の影響で、私も……ってなる人もいるんじゃないかしら」

「あーありそうだね、愛花ちゃん」

 別に漫画の力とかを過信しているわけじゃない。それでも、少なくともちょっとは影響を与えているのではないだろうか。漫画だけではなくドラマや小説でも、何かしらの影響を与えているはずだ。単純に面白いとか、感動したとかそれだけじゃない。このスポーツをやってみたいとか。……あわい恋をする女の子の背中を押してくれたりとか。

「で、そんな影響を与えてくれる漫画を読んでる梓さんといーちゃんは、本命チョコを渡したことあるんか?」

「私はないかなー。愛花ちゃんは?」

「私もない……。幸音ちゃんは? 漫画読むでしょ?」

「うちもないで」

「「「………………」」」

 ……どんなものでも影響を与えないこともあります。

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