第19話 食べたいもの

 ピンポーンと、部屋にインターホンの音がひびわたる。

 どうやら、私の待ち人がやってきたようだ。

 私は、足早に玄関に向かい、ドアを開ける。

「いらっしゃいませ、先生」

「おじゃまします。愛花いとはなちゃん」

 ドアの外には、予想通り、私の客人であり、漫画の師匠――宮沢梓みやざわあずさがいた。

 

 宮沢梓。某月刊誌で連載を持つ売れっ子漫画家で、私の漫画の先生だ。売れっ子である証拠しょうことして、連載中の作品は二回にわたってアニメ化もされている。

 性格は、のんびりとしていて、少し、いや結構な天然でもある。だが、不思議なことに漫画の執筆中には、天然が出ることはないし、描くスピードもかなり速い。どういうメカニズムなのだろうか、疑問ではある。

 外見は、自分の見た目に対してほとんど興味がないのか。服装はくたびれたシャツやスカートで、腰まである長い髪はぼさぼさだ。ちなみに服を買うのも、一年に三回程度らしい。もう少し身なりに気をつければ、恋人ができそうなものだと思うのだが、恋愛事に興味があるのかは謎だ。

 では、そんな彼女がなぜ我がシェアハウスに訪れたのか。

 理由は、単純だった。

「今日は、ありがとうございます。私のネーム見てくれるなら、私が先生のところに行くべきなのに……」

「全然気にしなくてもいいよー。私もたまには外出したかったし、ちょうどよかったんだー」

 そう、最近いまいち伸び悩んでいる私のネームを見てくれるために、この夏の暑さの中、先生は足を運んでくれたのだ。

 ありがたい話ではあるが、やはり申し訳なさが勝つ話だった。

 で、だ。

「どうぞ。冷たいお茶になります」

「ありがとー、撫子なでこちゃん」

 さらっと、先生にお茶を差し出している撫子は、いつの間にいたのだろう。

 私がさっきまで共有スペースで待っていた時は、いなかったはずがだが。

 ……まぁ、変なことするわけではないだろうし、いいか。

「それにしても、やっぱり暑いねー。こういう時は、やっぱり冷たいものだよー」

「ですね」

 夏に食べたいものと言えば、先生の言う通り、冷たいものだろう。

 ざるそば、冷やし中華にかき氷などなど。夏の暑さを和らげてくれるステキな食べ物たち。

 今年の夏は、例年以上に暑い気がするので、より恋しいものだ。

「そう? 私は、夏にあえて熱いものを食べるのも結構好きよ?」

 そう私たちに異論をとなえたのは、撫子だった。

「熱いものかー。この時期に熱いものを食べると、さらに汗かいちゃうよねー」

「私もそう思います。なんで、熱いものを食べたいの?」

 私は、撫子に話をふる。

「さっき、あずさ先生が言ったように、夏に熱いものを食べると汗をかくことになるわ」

「うん」

「でも、それも夏の醍醐味だいごみの一つだと思うのよ」

「なるほどねー。撫子ちゃんは、夏の暑さも醍醐味として楽しみたいんだー」

 その通りです、と撫子は先生にサムズアップする。

 そして、それにこたえるように、先生もサムズアップしていた。

 なんか変なところで共鳴する二人である。

 そんな二人を横目に見ながら、考える。

 今は、うんざりとしているだけであるこの暑さ。

 撫子は、この暑さをただただ敬遠けいえんするのではなく、楽しむことに向けているのだろう。

 暑さの中で、熱い食べ物を食べて、ヒイヒイしながら汗をかく。

 暑さにだらけて、クーラーの風を浴びながら、ダラダラと過ごす。

 それも、夏の醍醐味の一つであるのは、確かなのかもしれない。

 暑くない夏というのも、それはそれでさみしいものなのだろうか?

 今のところ、私には分からない感覚だ。

 でもそんな夏の楽しみ方ができるのは、なんだかうらやましいな、と思う。

 と、そこまで考えて、私はあることを思った。

「ねぇ、撫子なでこ?」

「なにかしら、愛花いとはなちゃん?」

「夏の暑さを楽しむのに熱いものを食べるってことは、冬には冷たいものを食べるってこと?」

 そう。季節によって移り変わる気温を楽しむなら、冬には冷たい食べ物を食べることになると思うのだが、その辺りはどうなのだろう。

 撫子と同じく、夏に熱いものを食べるのは聞くが、逆はどうなのか私は疑問に思った。

「いえ、冬は熱いものがより美味しい季節だもの。冬は、やっぱり熱いものよ」

「それはそうだよー。愛花ちゃん。わざわざ冬に冷たいものは食べないよー」

 あ、やっぱりそうなのか。夏の暑さは楽しむ撫子も、寒さには弱いようだ。

「あ、でも、コタツでアイスは美味しいよねー」

「それは分かります。撫子はどう?」

「うーん、私はコタツでも鍋がいいわ」

 ……もしかして、撫子はただ単に熱いものが好きなだけではないだろうか。

 ちらりと横を見ると、先生と目が合う。

 先生も同じことを思ったのか、小さく苦笑いをしていた。

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